第9話 ブラウ・ローゼ:スターティング

 少し獣臭い匂いが鼻先を掠めた。

 重たい瞼を懸命に開くと、そこは愛機ブラウ・ローゼの操縦槽そうじゅうそうだった。


 ティナは決して広いとは言えない操縦席に身を沈め、膝を抱えて丸くなっていた。

 いつの間にか眠っていたらしい。

 足元にはニウカが用意してくれた、オジロのスープが入っていた金属製の容器が転がっている。

 スープとナウマンの毛布のおかげで温かく過ごせたことは確かだった。


 なんとなくまだ起きたくなくて、ティナは毛布を口元まで持ってくる。


(——“ブルーローズ”が解散してもう四年になるんだ)


 “ブルーローズ”はティナとレッドが立ち上げた、探索チームの名だった。

 その目的はスナフ王国領に広がる地下空間『C-02』——通称『新しき深淵』を探索することだ。

 今のティナの異名にもなっている『蒼薔薇』はこのチーム名から来ている。

 青い薔薇の花言葉は『不可能』そして『奇跡』——『不可能に挑む者達』という意味で名付けた。

 ティナは“ブルーローズ”というチーム名が嫌いでは無かった。

 その証拠にブラウ・ローゼの機体にパーソナルマークとしてペイントしたのも『蒼薔薇』だ。


 自然、先ほどまで見ていた夢が脳裏でリフレインする。


(……私、忘れちゃってたのね。レッド、あなたの言葉を——)


 ティナを“薄氷”だと評したのは他ならぬレッドだった。


 ティナを好きだと言った、同じ口で。


 レッドはティナをそう表現したのだ。


(強くなりたいよ、レッド。あなたと並び立てるぐらいに強く)


 いつまでも“薄氷”などとは言わせない。

 ティナは決意の眼差しで起き上がった。

 毛布を操縦席背部の僅かなスペースに押しやると、操縦槽側面下部の計器類に目を通す。

 スリープモードに入っていたので、計器はいずれも低い値を示していた。


 ティナは操縦桿に腕を通し、足踏板に両足を乗せる。

 そのまま意識を集中させ、体内のエーテルを練り上げる。

 一定量エーテルが溜まると、頭の天辺からそれを吸い上げられる慣れた感覚がした。


 魔導炉がティナから吸い上げたエーテルを増大させ、転換炉へとそれを送り込む。

 転換炉は黒血油こっけつゆを各部魔力収縮筋に注いで、運動エネルギーを生み出した。

 集音器からしゅうしゅうと外界の音が漏れ聞こえてきた。

 おそらく昨晩のうちに降り積もった雪が溶けていく音だろう。


 ティナは再び計器類を見遣る。


 魔導炉出力、安定。

 魔導制御回路スフィア、立ち上げ完了。

 各間接部、ロック解除。

 動作チェック、異常なし。

 火器管制システム、立ち上げ完了。

 プラズマ・カノン、アクティベート。

 ブレイズ・リアクター、フルタンク。

 オールグリーン。


 ——ブラウ・ローゼ、起動。


 膝を抱えるように座り込んでいたブラウ・ローゼが立ち上がり、威風堂々と胸を張る。


 ティナは操縦槽前面に展開された映像盤に視線を移す。

 そこには昨日と何一つ変わらぬ雪山の風景が投影されていた。


 確認したかったのは現在位置の詳細だった。

 昨晩、集落を出てからすぐ日が沈みはじめ、ティナは黄昏時の中、狙撃ポイントを探さなければならなくなった。

 日没間近の頃、広大な常緑針葉樹の森を発見し、とりあえずそこに身を潜めたのだ。

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