第7話 ヘルツィヒフレーダー:バイゴーン・デイズⅡ

 ——狙撃はいい、とガルバスはつくづく思った。


 引き金を引くだけで面白いようにぱたぱたと人が死んでいく。


 中央都市アマルーナから西方に位置するハウゼンシュトリヒ要塞を、軍の若年将校らが占拠、クーデターを起こすという事件が発生した。

 その鎮圧に駆り出された自由都市同盟軍第207機兵部隊であり、彼らの突入を支援するのが、ガルバスの所属する第37狙撃部隊の役目だ。


 といっても今のガルバスは生身である。

 というのも下士官らの大半は機兵を持たず——任務でも無いのに軍から多くの機体を持ち出せば、敵に勘ぐられるのは必至だ——、擲弾投射砲や魔導砲といった武器で反乱軍と立ち向かっていたからだ。


 敵の機兵部隊と味方の機兵部隊が激突する乱戦の最中、ガルバスは要塞を見渡せる高所の岩場を陣取り、一人静かに弾を込めていた。


 距離、700メートル。

 要塞の矢狭間アロースリットから擲弾砲を撃とうとしていた若者を、十字のレティクルに閉じ込めて、狙撃する。


 決して広くはない矢狭間をすり抜けた弾は砲手の胸を貫通した。

 これで十人目。

 胸元に星でも飾りたいぐらいだな、とガルバスは独りごちた。


「いいぞいいぞ、ベゲッド。もっと撃て!」


 次の獲物に狙いを定めていたガルバスの隣から、突然、胴間声が響いた。

 スコープから目を上げると、そこには細い鞭を空中に向かって振るう、上官がでっぷりとした腹を揺らしていた。

 岩場に隠れて伏射姿勢を取っているガルバスとは違い、堂々と胸を張っている。

 ガルバスは思わず舌打ちをしそうになった。

 こうして悪目立ちすることこそ、狙撃手にとって一番の敵だった。


「静かにしてくれ」


「……なんだと?」


「邪魔だと言っているんだ。位置がばれる。120ミリ滑腔砲でこの山ごと粉々にはなりたくないだろう、アンタも」


 いかに優れた狙撃手といえども、機兵の砲弾が飛んできたら跡形も無い。

 そんなことも分からないで狙撃部隊を取り仕切っている奴の気が知れなかった。


 ひゅん、と顔の傍を何かが通り過ぎた。


 気がつけばガルバスの頬に鋭い痛みが走り、一条の血が流れていた。


「それが上官に向かって取る態度か!」


 細い鞭が何度も何度もガルバスの顔面に叩きつけられる。

 唇が切れ、鼻血が出た。

 それでもガルバスはとっさに狙撃手の命とも言える両目を腕で庇っていた。


 ひとしきり部下を痛めつけて満足したのだろうか、それとも肥満体の中年男には十分な運動量だったのか、上官は肩を激しく上下させながら、にやりと笑った。


「はぁ、はぁ——はは、思い知ったか、痴れ者め。貧民街出のネズミ風情が。これに懲りたら」


 ぱぁん、と上官の頭が吹き飛んだ。


 真っ赤な血と脳漿を撒き散らして、首から上のない死体は仰向けに倒れた。

 長距離狙撃用の大口径弾を至近距離で食らったのだ、無理はない。


 ただ既視感のようなものがガルバスの胸に去来した。

 両親を殺したあの時のことを思い出す。

 ガルバスは時間が経つに連れ、少しだけ後悔していた。

 どうして自分はひと思いに急所を突いてしまったのだろう、と。

 もっといたぶって弄んで痛めつけてから殺せばよかったのに。


 ガルバスは再び狙撃銃を手に取った。

 要塞の上部をスコープで覗き込む。

 兵士を鼓舞するためだろうか、大旗を振って、檄を飛ばす者がいた。


 試しに旗の竿部分を撃ってみる。

 突然弾かれた旗に、将校は困惑しているようだった。

 だがすぐに狙撃だと分かって身を屈めようとする。

 ガルバスは続けて旗を持っていた右手を吹き飛ばした。

 途端に倒れて痛みにのたうちまわる敵の、今度は左足を撃った。

 左腕も右足も次々と狙撃する。


 失血が酷いのだろう、やがてびくんびくんと痙攣し出した将校の股間を最後に打ち抜いてやった。

 狙撃弾は将校の体内を食い破り、やがてその命を完全に奪った。


「お、お前は……何をしているんだ……?」


 震える声が横手からかかった。

 聞き覚えのある同じ部隊の仲間だった。


 ガルバスは振り返ること無く、上官の死体を下支えにしながら——死後硬直が始まっていて、銃床を支えやすかったからだ——次々と見える敵全てをいたぶっていた。


「何って遊びだよ、お遊び。統率も碌に取れちゃいねえ敵をただ撃つってのもなんだと思ってな。一体、どんだけ弾浴びれば死ぬか試してんだよ。……ほら見ろ、六発も耐えやがった。最高記録だ。あいつはなかなか根性がある! ははっ、俺の天使ちゃんがまた一人女神の元に召されたってわけだ!」


 歓声を上げるガルバスの周囲には部隊の仲間が集まり始めていた。

 中には機兵乗りもいる。

 ガルバスは仕方なく遊戯を一時中断し、スコープから顔を上げた。

 最初に駆けつけた仲間の一人が、震える指で上官の死体を差す。


「それはお前がやったのか……?」


「あん? そうだが?」


「じょ、上官殺害など、重罪だ! 銃殺だ!」

 

「そうだ、我々で、粛正しなければ」


「俺達にも累が及ぶ。こいつを殺せ! 今すぐに!」


 仲間が口々に叫ぶ。

 ガルバスは色めき立つ男達を眠たげな目で眺めていた。

 まったく最初こそこちらの狙撃の腕を頼りにしていたくせに。

 いざガルバスの人となりを知ると、途端に畏怖するようになった、彼らを。


 深い深い溜息の後、ガルバスは言った。


「——飽きた」


 彼らが何かを返すよりも早く、ガルバスは身を翻し、近くの森に飛び込んだ。

 部隊の奴らが困惑している間に、森に潜ませていた機兵に乗り込む。

 何かあった時の為にいつでも動けるよう待機させていたので、亀のようにとろい起動シークエンスは不要だ。


 森を挟んで気色ばむ隊員達の気配が伝わってくる。

 怒りと恐れ、殺意と憎悪。

 それらが針のように肌を突き刺してくる感覚は、存外心地の良いものだった。


 ガルバスは操縦槽そうじゅうそうの中でにやりと笑う。

 それはやがて忍び笑いになり、高々とした哄笑となり、決して広くは無い操縦槽を満たしていく。


「さぁ——楽しい楽しいパーティの始まりだ」

 



 ◇




 柄にもなく昔のことを思い出していた。


 ガルバス・ベゲッドは閉じていた瞼を開け、組んでいた腕をほどいた。

 操縦槽の映像盤に映る景色は白一色だ。

 アルカディア帝国北端にある大ラウス山脈の一部である雪山。

 忍び寄る冷気を厭うようにガルバスは軽く首を振る。


「さぁて」


 ガルバスは狙撃用スコープを目元まで手繰り寄せた。

 ガルバスの右目をスコープの緑色の光が淡く照らす。


 視界に映るのは十字に切り取られた雪山の景色だ。

 周囲を探り、とある針葉樹の森を見つけたところで、ガルバスは口が裂けんばかりに笑う。


「あんたは俺の天使になるのかな? それとも——死神になるのかな?」


 山脈はいよいよ黎明を迎えようとしていた。

 明るい朝日が上り、山を更に白く染め上げていく。

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