第4話 冷酷なコウモリ野郎
冷たい外気がなだれ込むように屋内を満たす。
寒風と共にやってきたのは一人の大柄な男だった。
「——よぉ、婆さん。お喋りは済んだかな?」
ティナはその声を聞いて、はっと瞠目する。
あの衆人の中から聞こえた、ティナを——“蒼薔薇”と呼んだ声。
間違いない、この男だ。
「だから言ったろ、傭兵協会からはロクな奴が来ねえって。で、いい加減俺に依頼する気になったかい?」
猛禽類のように鋭い目でその場にいるものを眺め回しながら、獲物を見定めた蛇のような仕草で唇を舌で濡らしている。
前髪が片方に偏ったざんばら頭に、顎には無精髭。
ややこけた頬が男をより危険な印象へと導いている。
黒い迷彩服は確か自由都市同盟軍のものだ。
片手にウォルナット素材のボルトアクション方式の汎用小銃——さらにスコープが取り付けられているということは、おそらく狙撃用にカスタムしたものだ——、そしてもう片方の手には吸いかけの煙草を手にしている。
男は煙草をおもむろに床に捨て、軍靴の裏でにじった。
男の無礼極まりない言動に、ダニタが顔を真っ赤にして怒鳴った。
「ガルバスさん! あんたには頼まんと何度も言っただろう。この村から出て行っておくれ!」
——ガルバス、とそうダニタは男の名を呼んだ。
ティナの脳裏にとある傭兵の噂が過る。
その記憶をひっくり返している間に、モニカがティナの腕の中からすり抜け、無防備に前へと進み出た。
「おじちゃん、だあれ? ティナお姉ちゃんのお友達?」
「——あァ?」
ダニタをからかうようににやにやと目を細めていたガルバスの顔つきが急に変わった。
それは見る者を凍り付かせるような表情だ。
まるで羽虫を叩く前のような、蟻の行列を踏み潰す前のような、冷たい視線だった。
ガルバスの動作は唐突だった。
大きな手でモニカの髪を引っつかんだかと思うと、そのまま少女を持ち上げる。モニカは火がついたように泣き出した。
「いっ、痛いよ、痛い痛いぃっ……!」
「ぎゃあぎゃあうるせえガキだな、今すぐおねんねさせてやろうか? あ?」
「モニカ! いやっ——やめて!」
ニウカの悲痛な叫びが響く。
ティナは躊躇無く動いた。
腰のホルスターから護身用のリボルバーを抜き、ガルバスに突きつける。
それを初めから予知していたように、ガルバスもまたライフルの銃口をこちらに向けた。
「その子を離せ」
我ながら平坦な声だった。
敵に狙いを定める時ほど感情が静まっていくのは、狙撃手の性だ。
ガルバスはにやりと口端を吊り上げ、遊び飽きた玩具のようにモニカを手放す。
ニウカが転がるように走り寄ってきて、モニカを抱きしめた。
「知ってるぜ、あんたのこと」
ティナは唇を引き結んだまま動かない。
対して、ガルバスはいよいよ饒舌になる。
「——“蒼薔薇”のティナ。スナフ王国出身の傭兵にして、伝説の探索者アーミア・バレンスタインの娘。『新しき深淵』を探索するためにチーム“ブルーローズ”を結成。目的を達成しチームを解散。その後、母親を殺した魔獣アバドンを討伐し、かの有名なバフォメット事変に傭兵として参加、多大な功績をあげる……っと。はは、冗談みてえな経歴じゃねえか。本当にアンタみたいな小娘なのかねぇ? 疑わしいよなぁ?」
安っぽい挑発に応じるつもりはない。
ティナは尚も目の前の男を睨み据えながら、心の中でガルバスの正体を見極める。
(ガルバス・ベゲッド。元自由都市同盟の軍人で、部隊でも随一の狙撃手だった——)
だがガルバスは罪を犯した。
彼は突然、同じ部隊の仲間を皆殺しにして、帝国へ亡命したのだ。
さらにガルバスには幼い頃、親を殺したという噂まである。
(今は確か私と同じ傭兵協会帝国支部所属で、いつもは下級貴族の用心棒をしてるとか。……けど、金を積まれれば、例え依頼主の敵であっても、あっさり鞍替えする)
そしてついた悪名が『
ティナがこうしてガルバス本人と対面するのはこれが初めてだったが、なるほど、噂に違わぬ非人道的な立ち居振る舞いである。
それに問題は、
「どうしてあなたがここにいるの? 依頼主と支部から指名を受けたのは私よ」
「くくく、そうかい、そうだねえ」
ガルバスは口角を歪め、肩を上下に震わせた。
「だが、そりゃ不公平ってもんじゃないか、お嬢ちゃん? 俺だってたまにゃ人助けをして英雄だ勇者だとおだてられたいと思ってね。協会が募集をかけているのを見て推参したという次第さ」
どの口がそんなことを言うのか。
喉から飛び出そうになった文句をすんでのところで呑み込む。
ガルバスの言っていることはでたらめだ。
今回の依頼は直接ティナを指名してきたので協会は仕事を募集していない。
ただ、カウシュフェルトからのナウマン討伐は冬になると度々依頼があったため、あらかじめ予期することは容易いだろう。
「現に俺は集落の若い連中から、ナウマン退治を頼まれていてね。奴らは女になぞ任せられるかと息巻いてたよ」
ティナはちらりとダニタに目をやる。
ダニタは申し訳なさそうに俯いていた。
人垣の前列を陣取っていた村の若い男たちの姿を思い出す。
なるほど、あの疑惑と敵意の眼差しは、そういうことか。
「どうだい、ここは一つ、先にナウマンを倒した方が報酬を得るってえのは。要するに競争さ。面白そうだろ?」
「——断る」
ティナはガルバスの提案をにべもなく撥ね付けた。
ガルバスは無精髭をさすりながら、にやにやと笑う。
「おやおや、蒼薔薇ともあろうお方が。よりにもよって怖じ気づいたか?」
深い溜息がティナの唇から漏れる。
狙撃で鍛えた忍耐も限界に近い。
「これは私の仕事よ。関係ない人間は出て行って」
「ふう、交渉決裂か。なら好き勝手やらせてもらうぜ」
ガルバスはライフルを下ろし、あっさりと踵を返す。
そしてダニタの家を出て行く直前、肩越しに振り返った。
「今度は雪山で逢おうぜ、蒼薔薇」
ドアが静かに閉ざされる。
室内はすっかり冷たい外気で満たされ、暖炉のぬくもりも及ばぬほど寒かった。
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