第3話 祖母と姉妹
暖炉の火によって炙られた薪がぱちぱちと爆ぜる。
首長・ダニタの家に通されたティナは暖炉に一番近いテーブルに案内され、有り難く冷えた体を温めた。家に戻るなりニウカはエプロンを身に着け始める。
「今、食事の準備をしますね」
時計を見ると、すでに夕刻を回っている。
そういえば食事時か、とティナは思い出したかのように胸中で呟いた。
そこで食料を持っていたことに気づき、肩にかけていた麻袋をニウカに渡す。
「山を下る途中でオジロを狩ってきたの。よかったら使って」
「えっ、わぁ、ほんとだ。しかもちゃんと捌いてある。おばあちゃん、オジロだよオジロ」
「助かります、ティナさん。若いもんは肉が好きですからなぁ」
「私だけ食いしん坊みたいに言わないでよ、もー。ティナさん、今、あったかいスープを作りますからね」
ニウカは台所でてきぱきと働いた。その間にティナは向かいのダニタと仕事の話を始める。
「ご依頼はナウマンの駆除でしたね」
「ええ、ええ、そうなんです」
ダニタは眉を寄せてやや俯いた。
——氷岳魔獣ナウマン。
アルカディア帝国北部山脈地帯に生息する大型の魔獣だ。
太い四本の足に、天に向かって弧を描く長い牙。
成獣では最大十メートルにもなる強靱な巨体は分厚い毛皮で覆われている。
草食性で大人しい性格だが、十数頭で群れを成し、冬期には食糧を求めて村の穀物庫を襲うこともあるため、カウシュフェルトのような集落にとっては危険な存在だ。
「今年は隣山に二十頭あまりの群れが確認されておりまして、一番近いこのカウシュフェルトが襲われる可能性があるのではないかと——」
ダニタの危惧は納得のいくものだった。さらにダニタは続ける。
「ナウマンの群れが見つかった時はいつも傭兵協会に駆除をお願いするのですが、今回はなんでも名うての狙撃手がいらっしゃるという話で」
「名うてかどうかは分からないけれど」
ティナは小さく肩を竦め、口端を少し上げてみせた。
「狙撃という手は非常に有効だと思います」
ナウマンはリーダーを失うと統率が取れなくなり、群れが崩壊する。
例えば何人もの傭兵チームを組んで群れを殲滅するより、よほど効率的と言えよう。
リーダー一匹を狙撃で討つだけなら、集落の人々の生活圏である山を傷つけることもない。
そこへ、二階に続く階段からとことこと小さな足音が聞こえて来た。
「——あれ?」
ティナがそちらへ視線を巡らせると、年端もいかない女の子が一人、じいっとこちらを見つめてくる。
肩口で切り揃えた髪と素朴な顔立ち。まるでニウカをそのまま幼くしたような容姿だった。
「あなた、だあれ?」
幼い少女の甲高い声が無邪気に尋ねてくる。
ダニタが「これ、モニカ」と口を窄める。
ティナは椅子から立ち上がり、少女に歩み寄った。
集落の外から来た見知らぬ人間であり、大きな狙撃銃を背負っているティナを目の前にしても、少女は大きな瞳をぱちぱちと瞬くのみだ。
ティナはしゃがみこんで、目線を少女と同じ高さに揃えた。
「はじめまして、私はティナ。あなたは?」
ダニタが後ろで「あれま……」と声を上げている。
少女はにっこりと笑顔を浮かべた。
「あたし、モニカ。お姉ちゃん、綺麗な人だね。美人だね」
「えっ、と」
掛け値無しに褒められてどうしていいか迷っていると、台所からニウカがやってきた。
「あーっ、もうモニカ。ダメじゃない、二階で大人しくしてなきゃ」
「ニウカお姉ちゃん、また怒る。キライ。ティナお姉ちゃん好き」
そうしてモニカは「抱っこ!」といわんばかりに手を広げる。
ティナは反射的にモニカを抱き上げていた。
子供特有の高い体温が服越しに伝わってきて、ふと昔の記憶が甦る。
ファースト・フロントの孤児院『灯火の揺り籠』で育ったティナにとって、年下の子供達の面倒を見るのは日常茶飯事だった。
子供に強く出られないのは今も昔も同じ。
何故か子供にだけは好かれるのも。
現にモニカはティナの首に腕を回し、ぎゅうっと抱きついている。
「ティ、ティナさん。ごめんなさい! モニカったら……」
「いいのよ」
甘んじてモニカの抱擁を受けているティナにニウカも目を瞠っている。
薄氷のようだと称されるくらいだ。
周囲から見える自分の性格ぐらいは自覚しているし、それはあながち間違いではないのだが、どうも今の姿はそれとギャップがありすぎるようだった。
しかしニウカはすぐに嬉しそうに目を細めた。
「ありがとうございます、モニカを可愛がってくれて。モニカは甘えん坊なんです。親の顔を知らないで育ったから……」
ニウカの表情がやや寂しげに曇る。
ティナはモニカを床に降ろし、じっとニウカを見つめた。
ニウカは気まずそうに苦笑する。
「魔獣のしわざだったようです。……実は私も物心つく前のことだったので、おばあちゃんに聞いた話なんですけど」
「ナウマンは幾度もこの村に災厄をもたらしました」
ダニタがしわがれた声で話を引き継ぐ。
その目尻には透明な雫が浮かんでいた。
「私も息子夫婦を——この子達の親を亡くしました。ティナさん、どうかこの村を救ってください。お願いします」
ダニタは祈るように手を合わせ、ティナに頭を下げた。
事は彼女達の、ひいては集落の運命を左右する。
ティナもまた神妙に頷いた。
「承りました」
その時だった。
ダニタの家のドアが外側から弾かれたように開いた。
雪にも耐えられるよう丈夫なはずの木製ドアは、蹴破られたのかその一部が破損していた。
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