(伍)

 凱炎は、先陣として10万の兵を率い、泉水せんすいから、北河を渡河して、中原道ちゅうげんどうを東へ進んでいたのだが、かなり欲求不満になっていた。


 凱炎軍は、中原道をゆっくりと、慎重に進んでいた。周囲に斥候を放ち、前回強襲を受けた反省から、如親王国内の用水路や小さな河川を確認もしていた。そして、情報を集めると、後方にいる岑瞬に、伝令を出して指示を仰ぐ。凱炎が、岑瞬に言われ、自分で決断し決めた事だったが、凱炎の気質には合っていなかったが、


「ふっ、慣れない事は、するもんじゃないな。だが、これも帝国の為、陛下の為」


 周囲にうそぶいていた。



 本人が長年の戦いの中で培った経験と勘では、如親王国軍は、本気で戦う気は無さそうだった。それなら、さっさと進みたいところだったが、岑瞬の指示で、ゆっくりと進む。それだったら、如親王国軍を、叩きたいところなのだが、それも自重するように言われていた。そして、それを知っているように、如親王国軍は、本気で攻めてこなかった。



「う〜む。何かイライラするな。如親王国軍の動きもスッキリしない」


 凱炎のイライラは、つのっていった。





 その頃、すぐ後方には、第二陣として、岑瞬、条朱、廷黒がいた。この中で、岑瞬が全軍の参謀役として、如親王国の侵攻戦の計画をになっていたのだが、その計画は、ひたすら前回の敗戦のてつを踏まないように、慎重なものだった。その為に、比較的、熱血漢な条朱は、戦いたくてうずうずしていた。そして、頻繁に廷黒の陣に来ては、愚痴ぐちっていった。



「凱炎殿は何をやっているんだ。さっさと進んで、戦えば良いものを」


「だが、それが、岑瞬様の計画だろ?」


「そうだが、え〜い。俺も先陣に行くぞ」


「まあ、落ち着け。命令無視で、岑瞬様に怒られるぞ」


「そうか。うむむ」


「まあ、焦るなよ。攻め込んだ以上、いずれ戦いはあるさ」


「そうだ、そうだよな!」


 条朱は、立ち上がり拳を握り気合いを込める。だが、条朱を励ましながら廷黒は、全く違う事を考えていた。


 おそらく、如親王国と岑瞬の間で何かの密約があるなと。その密約は、おそらく、帝位継承に関する事だろう。岑瞬は、陛下の死を待っているという事なのだろうか? 


 そして、陛下の死を待って軍を引き、如親王国軍に損害を与えない。という事は如親王国軍が、もし継承戦争が起きた時に、岑瞬に味方するって事だろうか?


 全体像は掴めなかったが、なんとなくの予想はたった。


「耀勝が味方に……。面白くなるかもな、これは」


 廷黒は、誰もいない自分の天幕で、ポツリと呟いた。今までは、両陣営の間を、上手く立ち回ってと、思っていたのだが、こちらの陣営も悪くなさそうだった。





 同じ頃、その岑瞬はと言うと。


「分かっている。だから、前回の敗戦を忘れたのかと、伝えてください」


「はっ、かしこまりました」



 伝令が自分の天幕から走り出ていくと、岑瞬は目を閉じた。そして、懐から書状を広げ、軽く目を通す。


「全く、運の良い事だ」



 岑瞬は、先陣の凱炎、そして、第二陣の条朱、さらに、後陣の興魏から五月蝿うるさいぐらいの伝令に一つ一つ対応し、戦っていないのに、忙しい日々を過ごしていた。


 まあ、作業的には、凱炎から送られてきた情報を整理し、凱炎には一々、ここに敵が伏しているかもしれない、敵が回り込む可能性があるだのと言って、細かく警戒させ。


 早く進み攻略せよという、総大将の興魏には、凱炎からの情報を精査して、耀勝の策の可能性があるとして、警戒しつつ、進んでいると伝令を送り。


 そして、先陣に行っても良いかとか、早く戦いたいと要求してくる条朱には、厳しく自重するように厳命していた。




 岑瞬は、耀勝からの書状を広げて見ていた。そこには、岑瞬が大岑帝国の帝位を望むなら、如親王国が支援する事、そして、帝位を継承したら如親王国は、大岑帝国の岑瞬の許可が得られるのならば、同盟国。駄目ならば、属国として存続したいと書かれていた。


「良いに決まっている」


 岑瞬は、嬉しそうに呟く。


 さらに、耀勝の書状には、岑瞬には知らされていない、岑英の病状が細かく書かれていた。それだと、


「もって、秋口までか。だが、夏には……。お疲れ様、兄上」


 そして、今回の戦いには、如親王国は戦う気は無い事。出来れば、大岑帝国側も如親王国を荒らさないで欲しいと書かれていた。もちろん、岑瞬にとっては、大岑帝国の帝位の方が重要であり、如親王国攻略戦などどうでも良かった。そして、もう一度、最初に呟いた言葉を繰り返す。


「全く、運の良い事だ」



 岑瞬は、思った。自分の妻が、耀勝の親戚だった。そして、その妻が耀勝に連絡をとったら、あの耀勝が、喜んで協力してくれるという。幸運な出来事であった。



「さあ、このくだらない戦いはいつまでになるかな?」


 兄が太陽なら、自分は月であるという事を心掛け、大岑帝国の発展の為に、兄に尽くしてきた男は、今、兄の死を望むようになっていた。





 お互いやる気の無いような、戦争であったが、まるっきり戦いが無いわけではなかった。ほとんど、唯一の戦いと言っても良い戦いが、初夏に突入した如親王国で起きた。



 場所は、中原道を三分の一程進んだ街、朝鳥ちょうちょう。中規模程度の城塞都市であった。朝鳥は、重要拠点でもなく、如親王国第二の都市である邑洛ゆうらくの周辺にある街でもなく、ただの中規模程度の城塞都市である。


 何故かこの街に、住民を全て避難させた後、如親王国軍の(約5千)が立てもったのである。この部は、耀勝のめいで、唯一5万の兵を率い、凱炎の軍をからかうように戦っていた、輝沙キシャの配下であった。


 如親王国を守る為の軍のはずが、まともに戦わないことに腹をたてた部を率いる校尉が、配下を率い離脱、誰も守る者のいなかった、朝鳥の街に入ったのである。そして、住民達を強制的に周囲の街に避難させ、万全の体制で、大岑帝国軍を待ち受けた。



 しかし、数は5千あまり、大岑帝国軍の先陣である、凱炎軍でさせ10万。勝負になる訳がないのだが、自らを如親愛国軍と名乗り、全員が正義感に燃え、死ぬ覚悟であった。


 耀勝曰く、


「くだらない愛国心ほど迷惑なものは無いですね〜。考え無しの馬鹿ほど、軽々しく愛国の旗を振りたがる」


 と、側近に後に語ったそうだ。まあ、耀勝にとって、無駄に命を散らせる行為が許せなかったのだろう。





 さて、戦いの話に戻るが、朝鳥に近づいていた凱炎は、さっそく岑瞬に伝令を出した。岑瞬は、その情報を聞き、不思議に思ったが、こう思い至った。


 流石に、戦いが無さすぎるのも変だろうと、耀勝が考慮して、適度な戦いの場を提供してくれたのだろうと。


 そこで、先陣である凱炎に攻撃を命じた。ただし、第二陣には、離れて動かぬように命じたのだった。



 凱炎は、岑瞬に命じられるまま、朝鳥を取り囲んだ。一応、降伏勧告を行ったが、朝鳥の守備兵は、その使者を殺し、首を城壁に掲げた。


「えーい! 奴らは、蛮族か! 攻めるぞ!」


「おー!」


 もし、この行為が、凱炎を怒らせる為だったら、大成功だろう。


 凱炎軍は、攻城兵器である投石機、破城槌はじょうつい梯子はしごを用意。そして、歩兵に守られた、弩兵がゆっくりと前進して攻撃を開始する。まとまりはあるものの、ただ普通の一般的な攻城戦となった。


 凱炎軍は、野戦は得意であったが、攻城戦はあまり得意ではなかった。と言うか、だいたい趙武や、先の如親王国攻略戦で戦死した、黄悦コウエツがそっち方面でも能力に優れていたが、その後加わった将も凱炎の好みもあり、片寄った将で構成されていた。



 それでも、周囲を蟻の這い出る隙間もなく、取り囲み、かなりの損害をだしたものの、2日程で城壁を突破した。朝鳥の城壁は、投石機によって、ぼろぼろに崩れ、城門も原型を留めていなかった。


「突入だ!」


 凱炎は、城内への突入を命じた。ただ大きな街ではないので、全軍で突入する事は出来ず、まず1万程の軍を突入させた。朝鳥の残存兵は、おそらく当初の半分以下であろう。だが、度重なる降伏勧告も無視していた。



 3日目に突入した凱炎軍の兵は、交代しながらだが結局5日目にようやく、朝鳥を陥落させる事が出来た。敵を全滅させる事によって。


 朝鳥の守備兵は、街中のいろんな場所に分かれて隠れていた。そして、不用心ぶようじんに進む凱炎軍に襲いかかってきた。慌てて、対応すると、さっさと逃げてまたどこかに隠れる。そして、凱炎軍が、逃げる軍を追うと、また別の所に隠れていた軍が、襲いかかるという事を繰り返し、凱炎軍は、混乱のまま1日を過ごした。



 その事を聞いた凱炎は、翌日突入する軍の数を増やすと共に、端から一軒ずつ家を潰しながら、出てきた兵と戦い倒し進んでいった。結局、まるまる2日かかり、街は静かになった。凱炎軍は、敵5千を倒すのに、負傷兵も含めてだが、8千程失った。


「ようやくか。しかし、兵を失ったな。趙武だったら、どう攻めたか?」



 後に、仮定の話として、凱炎はこの戦いを趙武に話した。趙武は、ちょっと考えて、


「そうですね〜。住民が居ないんだったら、風上から火を付けて、家を燃やしていけば、風下に逃げて行きますかね。後は〜」


「いや、もう良い」


「はあ?」


 がっくりと肩を落とした凱炎を、不思議そうに見る趙武がいた。





 こうして、如親王国攻略戦として、唯一の戦いが終わった。岑瞬は、被害のでた凱炎軍を第二陣に下げ、先陣に行きたがった条朱では無く、廷黒を先陣に上げた。廷黒は、もくもくと、先陣を岑瞬の望み通りこなした。




 そして、夏も終わりを迎えたその時、大岑帝国帝都大京から、各地に早馬が飛んだ。その早馬は、如親王国攻略軍にも来た。



「何だと! 陛下がお倒れになっただと!」


「はっ、はい」


「それで、大丈夫なのか?」


「詳しくは、分かりかねますが、侍医は、家臣団にも集まった方が良いとの事です」


「う〜む。そうか、わかった。御苦労だった」


「はっ!」



 興魏は、早馬から話を聞くと、各軍に伝令を送った。興魏、王正、岑瞬、凱炎、条朱、廷黒の各大将軍と、近衛三軍の将が、興魏の天幕に集まった。

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