7にちめ「月の光」
八束は現在、路地裏を探索中。月乃とたわいないお喋りをしながら出口を目指している。
「八束さんって、お友達が多いんですね」
「多いっていうか、気付いたら大半が普通科に入ってたんだ」
「八束さんのお友達ですから、きっといい方ばかりなんでしょうね」
「うん。赤羽さんなら、すぐ仲良くなれると思う」
「そうですか……でも私はこうして八束さんと一緒にいるだけで、十分満足できているんですよ?」
「ま……またまた、そんなご冗談を」
笑って受け流すも、その実、心臓はバクバク。思わせぶりなセリフが、またも八束を惑わせる。
しかし……なぜだろう。返ってくる言葉の端々に妙な違和感を覚える。それに先程から重大な何かを見落としている気がしてならないのだが……考えすぎかな?
「あの……」
ガラス色の声が耳に入って、ようやく独り歩きしていたことに気付かされた。振り返ると、月乃はなぜだか畏まった顔をしていた。
路地裏から足音が消えた。
「私たちって、その……」
月乃はそこまで言うと目を伏せて、そしてまた八束を見つめた。
「……友達、なんでしょうか?」
おずおずした言葉つき。そこに先程までの透明感はない。
「もちろん友達なんじゃないかな? 少なくとも俺はそう思ってるけど?」
向けられた一途な視線に、八束は努めて優しい笑顔を返した。きっと月乃は普通科に進級したことに、不安を覚えているんだろう。
私立西園高校にとって普通科に来るとは、今まで大切にしてきたものを一つ残らず手放すことを意味する。
普通科は問題児の集まりだ。そんな連中の片割れを、友人や部活動は許さない。友人からは一斉に縁を切られ、部活動からは爪弾きにされる。それが普通科生に対する周囲の対応なのだ。
きっと月乃も志半ばで陸上部から追い出されたに違いない。ジャージへの執着からは競技への未練が窺えるだろう。
「友達、なんですか……」
「うん、友達」
月乃はきっと孤独なんだ。じゃなきゃ友達かどうかなんて、わざわざ尋ねまい。
八束はのんびり歩きだす。遅れて月乃もついてくる。
「友達として、今後は赤羽さんとも青春っぽいことをしていけたらいいな〜って、俺は思ってるよ」
「青春らしいことを、八束さんとですか?」
「うん。それも卒業式の時には思い出が抱えきれなくなってるくらい充実した感じの」
「八束さんと……青春……」
「体育祭に学園祭に修学旅行に……ほら、青春の象徴的なイベントもこの先たくさん控えていることだし。これから楽しくなるよ、きっと」
出口らしき明かりはいまだ見つからない。景色の変化といっても、建物の高さが一階分低くなったことくらいか。なんだか繁華街と真逆の方に向かっている気がしてならない。
月乃は俯いたまま『青春』の二文字を噛み締めているようだった。横顔に掛かる雲は、幾分か薄らいだように見える。
やがて紅い瞳がきらめいた。
「私、青春したいです!」
月乃は前のめりに思いを伝える。
「八束さんと思い出をいっぱい、い~っぱい作りたいです!」
八束は「そうこなくっちゃ!」と頬を持ち上げた。
「卒業まで二年もあるんだ。やりたいことは何だってできるんじゃないかな?」
「はい。八束さんと一緒でしたら、きっと」
どうやら元気を取り戻してくれたようだ。安心して歩幅が広くなる。
月乃は明日からの毎日に夢を膨らませているようだった。横顔からは希望がありありと読み取れるだろう。
かくいう八束も八束で、期待で胸がいっぱいだった。荒れ放題の普通科でも、この子と一緒なら楽しくやっていけそうな気がする。
雲が流れていく。
二人は意気揚々と角を曲がる。
「あっちゃ〜……行き止まり」
また道を間違えたらしい。八束は頭を掻いた。ここまで枝分かれのない長い一本道だったから、引き返すのも一苦労だ。
「あのっ……何度も繰り返すようで申し訳ないんですけど、私たちは……友達、なんですよね?」
「友達だとも」
「それ以上でも以下でもないんですよね?」
「まあ……そうなんじゃないかな?」
「……そうですか」
肩をしょんぼり縮こませる仕草は、返答が期待外れだったと言いたいのか。残念がっているように見える。
「ひとまず引き返そうか?」
「は、はい……」
八束は微妙なリアクションに首をかしげながらも、来た道を戻ろうと踵を返した……ところが、その矢先だった。
月乃が振り返ったかと思えば、帰り道ではなく八束と向き合う。
「もう一つだけ!……もう一つだけ質問してもいいですか?」
分厚い雲が月を飲み込んでいく。
月明かりが徐々に薄らいでいく。
「もし……もしですよ? もし私が『友達のままじゃ嫌だ』って言ったら……どうされますか?」
「えっ……?」
暗闇を掻い潜り、紅い瞳が八束をじっと見つめている。
「と……言いますと?」
「友達より親密な関係……つまり恋人です」
なるほど、月乃は八束さんの恋人になりたいんだそうだ……ん?
「こ、ここ、こいびとぉぉぉぉっ!?」
鶏みたいな鳴き声を撒き散らしながら、最寄りの壁まで後ずさる。
聞き間違い……でも確かに『恋人』って聞こえた気が……嘘でしょ?
月乃が歩きだす。凄まじいリアクションを披露した八束のもとへと。
「机を並べてお喋りしたり、一緒にお出かけしたりするのもいいですけど、私は手を繋いだり、ぎゅ~ってしたり、愛を囁き合ったりもしたいんです。友達じゃ満足できません。八束さんとは恋人……つまり彼氏彼女の関係になりたいんです」
闇のベールが剥がれていき、姿がより鮮明に見えるようになる。
一点のくすみもない純白のキャンバスに、雪の結晶のような睫毛。吸い込まれそうなほど澄んだ瞳。通った鼻筋。春らしい色の唇。
……目のやり場がない。
拡張していく情報量に圧倒され、八束はたまらず目を落とした。マグネットみたく壁に貼りつき、後頭部をコンクリートにこすりつける。
戦場仕様のブーツを履いた黒のニーソックスが迫ってくる。
太もも、ソックスとスカートの間。あれが俗に言う『絶対領域』ってやつか。
――だったよな、藤井?
そういえば普通科仲間の引き篭もりが、去年こんなことを熱弁していただろう。
『絶対領域というのはだな、まずニーソの繊維質なカラーと太ももの柔らかな色合いとが織り成すコントラストが重要なんだ。例えば黒ニーソだと、ニーソの黒と肌の白っていう一見するとオセロみたいに相反する二色が合わさることにより、それぞれの色味や質感が絶妙な具合に際立たされる。これが白ニーソや縞ニーソの場合だと変わってきて……そうそう。忘れちゃいけないのがゴムの締め付けによって生み出される肉感なんだけど――』
――そろそろ黙れ。
八束は藤井も絶賛の絶対領域を前に思う。怖い……その一言に尽きると。
なにせ絶対領域が躙り寄ってくるんだ。しかも凄まじい爆弾発言まで引っ提げて。こんなの、怖い以外の何ものでもないだろう。
「赤羽さんが言いたいのは、つまりその……プロポーズって捉えていいのかな?」
「もちろんプロポーズですよ」
月乃は吹っ切れたような笑みを浮かべていた。男女がとるべき最低限の間合いに踏み入ってもなお、歩みを止めることはない。
「あはは、赤羽さんは冗談もうまいんだね。プロポーズだなんて……っ!?」
目と鼻の先に、お人形さんのように整った顔がある……いや近すぎるって!!
月乃との間にもはや間合いはない。服と服とが触れ合い、お互いの胸の鼓動が伝達し合うゼロ距離だ。
この上品な香りはシャンプーだろうか。控えめな芳香が嗅覚を刺激し、こめかみの血管が脈打ってしょうがない。五感のすべてに赤羽月乃が侵入し、頭がオーバーヒートする。
こんなに距離を詰めるなんて……いったい彼女は何を考えているんだ?
汗で冷えたシャツがじんわりとぬくもりを帯び、呼吸するたびマシュマロのような反発が返ってくる。
普段はお胸の二つや三つで音を上げる八束さんではないのだが、これは満員電車でのラッキースケベとはわけが違う。
「あか……あかはさんっ!?」
ぷるぷると壁伝いにつま先立ちになって、なんとか距離をとろうとする。
しかし月乃は止まらない。背伸びをして、すぐに距離を詰めてしまった。
「冗談なんかじゃないですよ」
声に合わせて、甘い吐息がふぅ~と胸元に掛かると、肌が粟立った。十六歳の少年には刺激が強すぎたようだ。
――藤井、俺はどうすればいい?
たまらず八束は有識者に助言を求めた。
『ガーターベルトは絶対領域に新たなベクトル、つまり鉛直方向の――』
――その話はもう終わったんだよ!
ニーソ好きのニートなんか当てにならない。八束はお空に向かって、狂った声を羽ばたかせる。
「と……とりあえず落ち着こう。ひとまず離れて、ここから抜け出して。それで解散して、また明日バイバイってな感じで――」
どもりにどもる八束を無視して、白い頭が自己完結するように小さく頷いた。
「この際です。はっきり言っちゃいましょう」
深呼吸が聞こえた。そして――、
「好きです。私と付き合ってください」
ついに告白されてしまった。
――いやいや!! 何この急展開!?
不良のサンドバッグになりかけていたら、月のような美少女に助けられ。同じクラスということもあって仲良くなって、その場で告白されて……って、
八束は疑問を抱いた。「……ん?」
それにしても急展開すぎやしないか?
月乃と出会って、まだ一時間足らず。お互い知らないことだらけなのに、告白なんて普通するだろうか。いくら何でも早すぎる。お見合いや合コンでさえ、もっと順序を踏むはずだ。
たとえ月乃が以前より好意を抱いていたとしても、同時に彼女は自分が覚えられていなかったことも知っているのだ。そうした現状を自覚していながら、告白を敢行するなんて普通じゃない。
待てよ……ここまでの展開だっておかしくないか?
人通りの皆無な路地裏の一番奥で。たまたま通りかかった少女が、たまたま殺されかけている少年を助けたところ、それが偶然にも想い人だった。
あまりにも出来すぎた展開。まるですべてが起こるべくして起こったようだ。
八束は一つの仮説を立てた。こう考えるとどうだ?
片想い中の少年を監視していたら、あろうことか彼が殺されそうになった。急行すると、運良く話す機会を得た。会話をしていると次第に理性に歯止めが効かなくなってしまい、とうとう告白してしまった。
これも信じがたい話ではある。
けれど今までの流れを説明しようとすると、この仮説が一番もっともらしくて、腑に落ちてしまう。バラバラだったあらゆる事柄が、パズルのようにまとまってしまう。
そういえば、廃校舎で凜が言っていただろう。
今年の普通科には、自ら志願して来た同級生がもう一人いるらしい。それも面食いの八束だってお気に召すだろう美少女だと。
確か名前は……赤羽月乃。
ついに記憶と名前とが結びついた。
どうりで聞き覚えがあるわけだ。知らないわけがない。
なにせ『赤羽月乃』はつい今朝方、耳にしたばかりなんだから。
そうなると……いやはや。とんでもない勘違いをしていたのかもしれない。
八束はこれまで、月乃は不本意ながら普通科に来たんだとばかり思っていた。
しかし蓋を開けてみると、彼女は同じ普通科志願者。つまり憂き目なんて端から存在しなかったのだ。
「――っ!?」
紅い熱視線と目を合わせた瞬間、妙な胸騒ぎを覚えた。
間近で視線を交えてみて、ようやく気付いたのだ。月乃の瞳に違和感を覚える。
はたして紅い瞳は本当に八束を見ているのだろうか?
もちろん紅い視線を辿れば、こちらに行き当たるのだが、ルビーのような瞳には映っているべき八束がいない。実際にはまったく別のものを見ている。
焦点と映像の不一致。ルビーの奥で歪な闇が蠢いている。
今になって八束は、赤羽月乃の正体について確信めいたものを抱いた。全身の血がみるみる青くなっていく。
曰く、月には表と裏があり、自転や公転の関係により、地上から裏の顔を仰ぐことはできないんだそうだ。見えるのはいつも甘美な表の顔だけで、裏がどうなっているのか知っている人間は、ごく一部に限られる。
ほとんどの人は表しか知らないゆえ、裏側だって同じように美しいのだろうと想像してしまう。八束だってその一人だった。
しかし今は違う。
八束は月の裏を覗いてしまった。正体を知ってしまった。その顔がいかに歪で、いかに深い闇で閉ざされたハリボテなのかを。
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