3にちめ「突然ですが、ストーカー被害を受けています」
「――お待ち遠様〜っ! 味噌ラーメン餃子セット三つと餃子定食、それから餃子二皿。全部大盛りね!」
「どうも……って、どれだけ食べるつもりだよ?」
ただいまランチタイム。八束と凜、それに後から合流した
とはいえ学校が終わったわけじゃない。
結局あの後も担任教師が来なかったこともあり、空腹でご機嫌斜めな玲奈のために抜け出してきたのだ。
廃校舎は今頃、酒盛りがどうのと盛り上がっていることだろう――教室を出た時、黒板を使ってクラス会が企画されていた。
閑話休題。焦がし味噌の香ばしく濃厚な香りが湯気に載って、食欲を唆る。
店主が直々に配膳したのは、味噌ラーメン餃子セットが人数分と餃子定食、それから餃子二皿。後者二品は玲奈の注文だ。
というのも、この金髪ギャルはスレンダーな見た目に反して、笑えないくらいの大食漢なのだ。
「いっただきま〜す!」
玲奈は『待て』を解かれた犬のようながっつきようで、脇目も振らずラーメンを啜る啜る。大盛りのラーメンがみるみるなくなっていく……とまあ、ご覧の通りだ。
味噌ラーメンの見た目はオーソドックスなものだ。気前よく切られたチャーシューに白髪ネギ、コーンとメンマ、味付け卵が見栄えよく載っている。
箸を入れると、麺は縮れ麺。店主のおじさんが朝から仕込んだものらしく、コシは強めで、小麦の風味がスープと絡み合って旨い。
「さてさて、空きっ腹も落ち着いたことだし……なんか面白い話して」
「おいおい、食事中くらい黙って……食べるの早っ!?」
顔を上げると、なんと玲奈は食べ終わっているじゃないか。『いただきます』からまだ三分と経っていないのに……。
「いいからほれ、面白い話」
玲奈が面白い話とやらを手招きする。もちろん食事中の人間からしてみれば、迷惑極まりないし、食レポも満足にできていない。
八束も凜もおざなりに断って、縮れ麺を掬い上げた。今は食べるのに集中したい……うん旨い。
そういう具合に誰も構ってくれないから、玲奈は唇を尖らせた。
「あ~あ、つまんないや……おじさ〜ん、餃子もう二皿追加で〜」
「――って、まだ食べる気か!」
男性陣の食事が終盤に差し掛かる頃には、玲奈は追加注文した餃子をも食べ終えていた。成人男性の三食分の量は食べただろうに、手持ち無沙汰にメニューを見ている――デザートは別腹とか言う口か。
「それじゃあヤッツー、面白い話ね」
「そう『面白い話を』って振られちゃうと、かえってできないんだよなあ……」
八束は腹八分を越えて、ちょっと苦しくなっていた――これなら見栄を張らず普通サイズを注文するんだったか。食べ疲れたので、休憩がてら話に乗ってやらんでもないのだが、
「ちなみに面白くなかったら餃子奢ってね」
「端からそれが目当てだろ」
いやはや、玲奈の胃袋は底なしだ。
ついでに斜め向かいより、
「俺も奢って〜」
「便乗するな」
凜も食べ疲れたのか、餃子のタレに浮いたラー油の玉を箸で突っついている。
「緊張するこたないって。どうせヤッツーの話が面白かったためしなんて、これまで一度だってないんだから」
「そういうことは思っても口に出すな。気にしてるんだから」
まったくもう……八束はお冷やを呷った。やっぱり食べすぎたみたいだ。ちょっと気分が悪い。
「面白い話……あ、そういえば――」
面白いかは分からないが一つ、誰かに相談してみたい話があっただろう。いい機会だ。グラスをテーブルに置く。
「実は俺さ、ストーカー被害に遭ってるかもしれないんだ」
反応は沈黙。唐突すぎたか。
やがて二人は顔を見合わせ、頷き合った。
「おじさ~ん! 餃子追加~っ!」
「俺も~っ!」
「おいこら、最後まで聞けって!」
出だしから面白くない認定は失礼だろう。
カウンターのサラリーマン客に接客中だったおじさんが「あいよっ!」と顔を上げた。
聞こえよがしに凜がひそひそ。
「ヤッツーにストーカーとか、あり得る?」
「ないない」
わざとらしく手を振って否定する玲奈。
今度は玲奈がひそひそ。
「冗談は顔だけにしろっての」
――って、「全部聞こえてるぞ」
「ヤッツーがストーカーなら納得できるんだけどな」
「『いつかやると思ってました』ってやつ? リアルに想像できて怖いんですけど」
「お前らってやつは……散々馬鹿にして。俺を何だと思ってるんだ?」
「「ストーカーでしょ?」」
「その被害者だってば!」
まったくもう……右も左も『自分で言ってたじゃん』って顔をしている。八束はいつの間にかストーカーに仕立て上げられてしまったようだ。
『もう話すのはよそうか……』と溜息をつこうとしたところ、凜が聞いた。八束の餃子に箸を伸ばしながら、
「それで……具体的にどんな被害を受けてるんだ?」
「どうって……あ、それ俺の餃子!」
ひょいぱく。最後の一個だった餃子はタレを経て、あっという間に口の中へ。人に奢らせておきながら、餃子まで強奪するなんて。好き放題してくれる。
「それで……具体例だっけ?」
いろいろ思うことはあれど、水に流すとしよう。八束は言われた通り、これまでのことを思い出してみた。
「そうだな……例えば一人で出歩いている時、誰かに跡をつけられているような、嫌〜な気配があったりするとか。カバンの中身が、どことな〜く前に見た時と違っている気がするとか」
言葉通りだった。八束はこの頃『これってストーカー被害?』と疑う場面に遭遇する。
電信柱の影から舐めるような視線を感じることがある。カバンに突っ込んだ体育着が、次に見た時にはきれいに畳まれていたことがあった。ゴミの日に自分のゴミ袋だけなくなっていることがある等々。確証があるわけじゃないが、こうも頻発するとストーカーの存在を疑わずにはいられない。
とはいえ、話を持ち出しておいてなんだが、八束自身それほど問題視しているわけじゃない。なにしろ気配だけで、今のところ実害はないから。
それでも気味が悪いのは確かなので、第三者の意見を聞いてみたかったというのが、この話題を出したいきさつである。
「気のせいじゃない? ヤッツーって自意識過剰なところがあるし」
「思い過ごしだといいんだけど……」
「気のせいだって絶対。ヤッツーを狙うストーカーとか、レア度高すぎじゃん」
「人を色物扱いするな――って人に箸を向けるな。汁が飛んで汚いだろ」
こうした無神経なところも藤川玲奈の特徴だ。
凜がピッチャーに手を伸ばす。
「気配ってのは帰省した時も感じたのか? つい昨日まで実家にいたんだろ?」
「どうだったかな?……少しは感じたかも」
「じゃあそれストーカーじゃなくて背後霊だわ」
「そっちの方がタチが悪いわ」
凜はけらけら笑いながら、ピッチャーから自分のグラスに、ついでに八束のグラスにもお冷やを注いでくれた。悔しいが、こうやって何だかんだで気の利くところは素直にかっこいいと思う。
対して、お隣さんは哀れむように、
「憑かれてるんだよ、きっと……」
「それ漢字が違うでしょ。『疲労』じゃなくて『霊的な方』だよね絶対」
玲奈は『気配り』という言葉を知らない子だから、何も期待しちゃいけない。
「――ってか、こういうことを言うのもなんだけど、早く新しい彼女をつくらないから、そんなことになるんじゃん?」
ラーメンの残りを食べきると、凜がそんなことを指摘した。
「それは関係ないだろ」
八束は即座に首を振った。
「いつまでも昔のことにこだわってるから神経質になって、変な妄想にも取り憑かれるんだ。さっさと新しい彼女に乗り換えれば、気配だって今に忘れるさ」
凜はお冷やで口を湿らせて、
「……だからどうだ? この際、玲奈と付き合うってのは?」
「玲奈はちょっと……凜に譲るよ」
「無理。俺も今いる彼女で手一杯だから」
とまあ満場一致。貰い手なし。
「真顔で拒否んな! ウチを厄介者みたいに押しつけ合うな~っ!」
すかさず玲奈が足をげしげし蹴ってきた。これが地味に痛い。
「凜の彼女ってOLさんだっけ?」
「そりゃ前の前の彼女だわ。今は女子大生のさなえちゃん」
「おいおい『前の前』って……相変わらず新陳代謝が凄まじいな」
「俺は『来る者拒まず、去る者追わず』ってスタンスだから……ほれ。隣に写ってる子がさなえちゃん」
イケメンで高身長というハイスペックな見た目からしてお察しの通り、伊藤凜はよくモテる。
「これまた物腰の柔らかそうな人だな……」
特に年上のお姉様方からの人気は絶大で、入れ食い状態かってくらい彼女が入れ替わり立ち替わりしている――しかもその彼女が決まって美人という。なんでも凜の少年っぽい一面に母性本能をくすぐられるんだとか。
「う〜ん……新しい恋か……」
「誰かいい子を紹介してやろうか?」
「俺はいいから、玲奈に誰か紹介してあげて」
「それはちょっと……そんな罰ゲームみたいなこと、人様に押しつけられるか?」
もちろん、「何が罰ゲームじゃい!!」
瞬間湯沸かし器並のレスポンスで、玲奈は怒髪天。首を締め上げ振り回した。暴力もまた彼女の特徴といえば特徴である。
八束は凜のアドバイスを掻き消すように、十八番の溜息をついた。
「はぁ……」
やっぱり相談したのは間違いだったか。なにせ得られたのは疲労だけ――、
店主のおじさんが仲裁に入る。
「二人とも落ち着いて。餃子を一個ずつサービスしといたから。これを食べて仲直り……ねっ?」
あと餃子の代金、二皿分……。
「――角度はこのくらいでいいですかね?」
一人の少女が自問自答しながら、洗面台の換気扇に蓋をする。脚立から下りて、ノートパソコンを開く。
画面には、洗面所を俯瞰した映像が映っているだろう。
こまめに掃除された洗面台、水垢一つない鏡、壁に掛けられた無地のタオル、歯ブラシ一本、髭剃りとシェービングクリーム……そしてパソコンと睨めっこする白い髪の少女が一人。
「……及第点ってところですかね?」
白い髪の少女が換気扇を見上げる。
すると画面上の少女もカメラを向いた。ルビーのような瞳をもった、お人形さんのような女の子だ。
ここでパソコンが閉じられた。
「これにて取り付け作業はおしまいです」
洗面台の鏡には、髪の毛も眉毛も睫毛だって真っ白な少女が映っている。
大人びているようで、あどけなくも見える顔立ち。肌は陶磁器のようにきめ細かい。鏡文字で『西園高校陸上部』と書かれた赤いジャージを羽織り、中から同じ学校の制服を着ている。
澄んだ瞳がここで……何か気になったように鏡を覗いた。
少女はそーっと。そのシルクのような前髪に手を伸ばし、撫でるように整えた。長い睫毛が瞬く。鏡の少女が微笑んだ。
足下の工具箱やら脚立やらを抱えて、少女は洗面所を後にする。踏み入ったのは八畳間だ。
勉強机に本棚、ちゃぶ台にベッドといったシンプルなレイアウト。1ルーム特有の生活の詰まった部屋。見方を変えれば、生活に必要のない物を取り払った部屋。
住人の人物像が見えない部屋に立ち入った少女は、ひとまず荷物をちゃぶ台へ。そのまま一直線にベッドに身を委ねた。
なめらかな髪がシーツの上を波打つ。
この日は洗濯日和ないい天気。薄地のカーテンを透かして日差しが差し込む、朗らかな昼下がりだ。
「八束さんの匂い……」
少女は目に留まった枕に顔を埋め、深呼吸を一つ。途端に表情が柔らかくなった。
「ふふっ――」
それは嬉しそうな笑い声だ。
「今日から、ず~っと一緒なんですね」
紅い瞳はお昼寝したいのか、とろんとしているだろう。
「これからはもう、ずっと独り占め……誰にも手出しさせませんから……」
寝言のように、ガラス色の声が続ける。
「あの女と違って、ずっと八束さんの傍にいるんですから……」
そうして純白の睫毛が完全に重なり合おうとした時「――はっ!」と。何かに気付いたように、紅が目を覚ました。
見つめている物。それは――、
「時計……止まってますね」
少女は勉強机の置き時計に手を伸ばした。
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