2にちめ「我らが学び舎、廃校舎」

 校舎本館へ続く桜並木。ここは何を隠そう、我が校が誇る春の名物スポットなのだ!――と、新入生向けのパンフレットでは紹介されている。

 春の淡い朝日に照らされた赤のレンガ道。両脇には、春の風物詩こと満開の桜木が軒を連ねる。桜吹雪の向こうに聳える校舎本館は私立高校の贅を尽くした七階建てで、オフィスビル顔負けの外観だ。


 今日は花見シーズン真っ只中の四月七日。新学期最初の登校日である。


 生徒たちは掲示板で新しいクラスを確認がてら、雪合戦ならぬ花びら合戦をしたり、桜をバックに記念撮影したりと朝っぱらから思い思いにお花見している。風流を楽しむにしては賑やかすぎな気もするが、高校生の専売特許のハイテンション具合でいったら、文句なしの花丸解答サクラサクだろう。

 そんな春風と脳内春一色のミーハーで埋め尽くされたレンガ道にて。物語の主人公、鮎沢八束はというと――、


「はぁ……」

 どんより溜息をついていた。


 八束は帰宅部で鍛えた中肉中背のもやしっ子体型。柔らかい黒髪は床屋に行きそびれたせいで野暮ったく、寝不足なのか少々やつれている。

 服装は当校の冬服で、顔のつくりは平々凡々。周囲に埋もれるくらいだからイケメンの部類ではないだろう。

 八束は見た目だけなら、そこらの高校生と変わりない。けれどテンションの差が歴然としている。鬱々した眼差しはレンガの切れ目を辿るばかりで、桜なぞ見ちゃいない。


 どうしてこうも沈んでいるのか?

 原因があるとすれば――、


 桜並木の突き当たり。昇降口が目前に迫ると……八束はレッドカーペットのようなレンガ道を横切った。


 ――原因があるとすれば、通う校舎が周囲と違うせいだろう。

 というのも八束が通うのは、あんな立派な校舎じゃない。今日から通うのは、レンガ道より左に枝分かれした脇道の先にある。


 アスファルトに黒木といった葬式カラーな脇道を進むと見えてくるはずだ……ほら。

 左手のグラウンドを越えた先。右手ならテニスコートと屋内プール棟を越えた先。すなわちインドアな八束には無縁な運動部ストリートの突き当たりにそれはあった。

 八束が見上げるのは廃墟……じゃなくて、今日から二年間お世話になる学び舎である。


 外壁は風通しを追求したのか、吹き抜けが随所に見られる蜂の巣構造。全体的に暗い色調なのは木が腐っているから。てっぺんを飾る丸時計はぴくりともせず、窓ガラスはどれも黄ばんでいる。雨樋は垂れ、屋根には植物が根を張っているだろう。

 目の前にあるのは、我が校でも悪名高い校舎。誰が呼んだか廃校舎。

 設立当初からあるらしいそこは、なんと学校の七不思議の五つを収容しているという曰く付きの建物だ。


「もはやダンジョンじゃん……」


 穴だらけの廊下を土足で進むと、賑やかな声が聞こえてきた。

 やっとこさ辿り着いたのは二階の突き当たりだ。昭和臭ぷんぷんの木造ドアを挟んで、クラスメイトの笑い声が聞こえる。

 この教室で間違いない。なにしろ廃校舎を登下校するのは、八束たちクラスの生徒しかいないのだから。


 ドアの上には、ネームプレートが飛び出しているだろう。

『2年 普通科』

 埃まみれのそれには、角張った文字でクラス名が表記されている。




 私立西園にしぞの高校。そこは学力、スポーツ、芸術活動など、あらゆる分野において全国トップクラスの実績を誇るエリート校だ。

 毎年入学する一年生は、全国模試のトップランカーやスポーツ強豪校のレギュラー、大臣賞クラスの受賞歴がある画伯など、全国区で名を馳せる天才ばかり。当校ではそうした原石を特殊なカリキュラムによって磨き、様々な分野の頂点を総なめにしている。


 エリート校であるために、西園高校では他の有名校でもなかなかお目に掛かれないような、独特の進級システムをとっている。

 具体的には二年次より理数科や国際科、体育科に芸術科などの学科に分かれ、理数科なら高校理系科目の枠を越えた高度な研究を行ったり、体育科なら競技ごとに招聘した名将の下で練習をしたりと、それぞれで最先端かつ専門的なカリキュラムを組んでいるのだ。


 ここで注目してほしい点が一つ。学科が分かれるタイミング、すなわちというのが、このシステムの味噌だ。

 一般的に学科が分かれるのは入学時。言い換えるなら、高校受験の合格発表の時点である。だってその方が、生徒たちは一年次から希望通りのカリキュラムを受けられ、学校側も入学試験の合否判定と学科振り分けをいっぺんに行えて、いいことずくめだから。

 それなのに、なぜ二年次から学科を分けるのか。


 理由は二つある。

 一つは、一年生のうちに保健や家庭科など、英才教育には邪魔な科目の単位をまとめて取得させるため。

 そしてもう一つは、何かしらに特化した生徒を育てたいはずの高校に、特色のないのが特色な普通科が存在している理由でもある。

 もったいぶらずに言おう。それは学科振り分け試験によって落ちこぼれをふるいに掛け、一学年が終了するのと同時に彼らを追放するためだ。


 いくら厳選に厳選を重ねた新入生でも落ちぶれるやつはいる。高校の勉強についていけなかった、怪我で選手生命を絶たれた等々。理由なんて人それぞれだが、凡人に成り下がった彼らが学校の期待に添えなくなったことに変わりはない。

 そうした落ちこぼれをエリートコースから叩き落とすのが、一年次の二月に行われる学科振り分け試験だ。

 希望する学科に対して、本当に適性があるかを筆記や実技テストで調べ、凡人を炙り出す。そして容赦なく間引く。

 手厳しい進級システムだが、こうでもしないとエリート高校としてのブランドは守れないのだから仕方ない。


 では、凡人の烙印を押された落ちこぼれはどうなるのか。

 ここで普通科の存在意義が出てくる。

 私立西園高校にとって普通科とは、学科振り分け試験で不合格となった落ちこぼれの受け皿なのだ――。


 建て付けの悪いドアをこじ開け、八束が目の当たりにしたのは、奇抜な格好のクラスメイトたち。二年普通科の教室は不良の巣窟だった。


「……って、はい?」


 金髪、眉なし、金属ジャラジャラ。ピアス、ギャル、タバコもくもく。机に踵を載せるのも、地べたに弁当を広げるのも、どいつもこいつも不良。見渡す限り不良だらけ。


 八束は思う。

 ――この人たちは誰ですか?

 英語に訳すと、

 ――Who are they?

 答えるなら、

 ――Oh! They are members of baseball team, YANKEES! HAHAHA!


「いやっ、笑えるか!」

 アメリカンジョークはこの辺にして。目の前にいるTHE不良さんたちは?

 例年、普通科に進級した先輩は荒れに荒れ、一年以内にもれなく退学してしまうらしいのだが……なにも昨日の今日でメタモルフォーゼしなくたっていいじゃないか。


 ようやく模範的不良の何人かがこちらに気付いたようだ。その一人、元クラスメイトらしきスキンヘッドが八束を指差して、

「うわっ。鮎沢ってば、変な格好!」

「お前らに言われたかないわ!」


 真面目な八束の制服登校はクラスメイトに大ウケだ。けれど黒板前の鼻ピアスだけは引っ掛かりを覚えたようだ。

「鮎沢は理数科じゃなかった? だって首席だろ?」

 誰かが答える。

「お前、情弱かよ。鮎沢は理数科を蹴って、自分から普通科に来たんだよ」

「なんでまた普通科なんかに……首席様の考えることはさっぱりだな」


 さっぱりなのは、お前らの格好だろ。言い返したいのは山々だが、

「はいはい邪魔邪魔。そんなところに座られると、通るに通れないだろ」

 八束はカバンを箒に通り道を確保。おざなりに与太話を蹴散らした――。




 携帯電話内蔵の時計によると、時刻は一〇時前。校舎本館では、始業式を終えた同級生が教室で自己紹介でもしている頃だろう。

 そんな中、普通科では――、

「「「腕相撲じゃああああっ!!」」」

 腕相撲チャンピオン決定戦(春場所)が開幕していた。


 新学期早々こうした汗臭い催しが行われているのは、担任教師が不在だからか、クラスの大半が男子だからか。

 ちなみに、もやしっ子の八束は参加を辞退した。同じく男子校みたいなノリの似合わない伊藤凜もイケメンよろしく遠慮したので、二人仲良く蚊帳の外。土俵から離れた窓辺でだべっている。


「それにしても驚いた。まさか凜までイメチェンしてるなんて」

「新学期だし心機一転ってなノリで、春色に染めてみたんだ。イメージは桜な」

「そんな奇抜な桜があってたまるか」


 春休みを挟んで再会した友人は、なんと髪の毛が真っ赤になっていた。飄々ぶりが売りだったこの男も、もれなく普通科に染まってしまったらしい。


「ところで……ざっと三〇人か」

「ん?……どうかしたか?」


 凜もつられて振り返る。

 八束は教室を見回して思ったのだ。


「今年普通科に落とされたのって百人はいただろ? それなのに教室には三〇人くらいしかいない。だから残り七〇人はどこに行ったのかな〜って思って」


「そりゃ辞めていった以外には考えられないだろうよ」

 返答は素っ気なかった。凜は好角家たちを遠目に見ながら、

「ここに残ってるのは俺も含めて、過去の栄光を捨てきれずにいる分からず屋ばっかりだ。『ここに自分の居場所はない』って内心分かっちゃいるのに、それでも肩書きを捨てきれないもんだから、こんなとこにずるずる足を運んじまう。賢いやつは才能に見切りをつけて、今ごろ身の丈に合った居場所をつくってるだろうさ」


 かく語る凜の横顔は、自らを嘲笑うように寂しそうな表情をしていた。そっか……誰も好きで廃校舎に来たわけじゃないんだ。

 普通科はいくら落ちこぼれの受け皿といっても、実態はゴミ箱に他ならない。用済みになった生徒を劣悪な環境に押し込めて、自主退学を暗に促す。それを行う場所こそ普通科なのだ。

 誰もこんな不衛生極まりない廃墟に来たくて来ているわけじゃない。学校から戦力外通告を受けてもなお居場所を求めた結果、これだけの人間が集まったのだ。もちろん凜だって……失言だった。罪悪感が胸に突き刺さる。


「まあ……好きで普通科に来たやつなんて、俺くらいだろうな」


 気まずくなったので、ここは自虐ネタで笑いを誘ってみた。

 ところが、反応は予想外のものだった。


「いや? 他にもいるぞ、一人」

「本当に?……誰? 俺も知ってるやつ?」


 初耳だ。まさか他にも進んで廃校舎にやってきた変わり者がいたなんて。


「ヤッツーの知り合いかまでは知らないけど……って、距離が近いわ暑苦しい」

 机に乗り上げるくらいの食いつきっぷりに凜は苦笑い。しっしと追い払う。


「あ、悪い悪い……」

 こりゃ失敬。椅子に座り直して、

「――それで?」


 腕相撲大会では現在、準々決勝が繰り広げられているそうだ。エキサイトした奇声が、今は少し耳障りに感じる。


「まあ、つくのん……って子なんだけど」


 赤羽月乃。愛称はつくのん。

 どちらも初めて聞く名前だ。


「すると……女子?」

「しかも面食いのヤッツーもお気に召すだろう、めっちゃ美少女」

「そんなに……って誰が面食いだ」

「あはは。聞いた話だと、普通科でやりたいことがあるんだとか」

「変わってるな」

「お前もな……そういやヤッツーはなんで普通科に来たんだっけ?」

「そりゃ凜たちがいるからだけど?」

「悪い……そっちの気はないんだわ」

「俺だってないわ」

「だよな~。ヤッツーは女好きだもん」

「言い方」


 その言い方だとプレイボーイみたいじゃないか……八束は遠巻きで腕相撲観戦する普通科女子たちに目を向けた。

「でも……いくら可愛くたって普通科生。もれなく奇抜なんだろうな」

 凜も同じ方を向いている。けれど八束とは違うことを思ったようだ。


「だとしても美少女に変わりないだろ?」

「……まあな」

「もし告られてもオッケーするだろ?」

「……かもな」

「や~い、面食い」

「凜が言わせたんだろ」


 凜の笑顔はガキっぽかった――まったく、見た目は変わっても中身は変わっちゃいない。

 しかし……赤羽月乃だったか。

 名前は覚えておこう。これからクラスメイトになるわけだし、曰く『めっちゃ美少女』らしいし。八束だって年頃の男だから、可愛い子が気にならないわけじゃない。

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