ストーカー系女子の飼育日記

芝崎

1さつめ「ストーカー系女子の逃走日記」

第一章

1にちめ「ストーカー系女子」

「はぁ……」溜息。

「はぁ……」まただ。

 ここ最近、溜息ばかりついている気がしてならない。

 鮎沢八束あゆさわやつかはオンボロ机に突っ伏して、もう一発。濃い溜息をついた。


 今日は四月一八日。金曜日。

 華の高校生活の二年目が始まったのがつい二週間前だというのに、この男子高校生のアンニュイ具合といったら目も当てられない。


 さっきから息をするように溜息ばかりついている八束だが、いったい何を悩んでいるのだろう?

 年頃の男子の悩みと聞いて、思い浮かぶものといえば、クラス替えに失敗したとか、ベッド下のアダルティな本がお母さんに見つかったとか、弁当のおかずが五日連続でちくわだったとかが定番だろうが、残念ながら悩みの種はそんな高校生じみたものじゃない。

 八束が流行の波に乗って五月病を先取りしたのには、少々込み入った事情があるのだ。それは――、


 ギュルルルルルルルルルル!

 建て付けの悪いドアが軋んだ音を立てる。


「うげっ……」

 噂をすれば……。


 木肌が剥き出しのドアに手を掛け、傷んだフローリングに立つのは、真っ白な髪のきれいな紅眼少女。彼女は八束を見つけるなり、大慌てで駆け寄ってきた。


「やや、八束さんっ! 大変です! 緊急事態ですっ!!」


 軍用ブーツがボロ床を踏み鳴らせば、ガラス色の声が『やつかやつか』と連呼する。あかい双眸はハザードランプのようで、視線を交えると、こっちまで不安になってしまう。


「ど、どうした?」


 八束は引き攣った顔を少女へ。一方で椅子を引いて、いつでも逃走できるよう片足を逃がしておく。

 体の上下がちぐはぐな体勢は見るからに不自然だが、紅眼少女は慌てるあまり気付いていない。


「今日二人で観る予定だった映画のチケットが、なんと売り切れちゃったみたいなんです!」


 前屈みになると、お人形さんみたいに整った顔がこれでもかと急接近。髪がなびいて、シャンプーだろうか、柔らかな芳香が鼻をくすぐる。

 目と鼻の先に美少女がいる。

 あまりの距離感と女の子の匂いに圧倒されて、八束は椅子から転げ落ちそうになった。


「どうしましょう……このままですと今日のデートはご破算になっちゃいますけど……」


 視界の真ん中を陣取るのは、陶磁器のように透き通った肌。たおやかな睫毛に縁取られた大きな目。通った鼻。桜色の唇。

 大人びた顔つきだが、眉をハの字にした困り顔はあどけなく、表情のギャップが不思議な魅力を感じさせるだろう。


 ――いやいや、ちょっと待った!


 ここまでのやり取りを見る限り、八束の高校生活にはメランコリーが入り込む余地なんてないように思える。

 だって美少女と映画館デートだなんて、薔薇色の高校生活以外の何ものでもないじゃないか。世の中には女子と目すら合わせない青春を送った人なんてごまんといるはずなのに、何を憂鬱がる必要がある?

 人によってはこう思うはずだ。くたばれ、糞リア充め。


 だが誤解だ。外見に騙されちゃいけない。

 というのも彼女、赤羽月乃あかはつくのこそ八束を悩ませている張本人なんだから。


「一つ、聞いてもいいかな?」

 黒目が震えていた。あわあわする月乃に対し、八束は顔を引き攣らせたまま。目蓋の下には隈が出来ているだろう。

「どうして映画を観にいくって知ってるんだ? 誘ってもいないのに」


 そもそも月乃をデートに誘った覚えはない。

 一緒に映画を観にいくのは、このゴーストタウンばりに寂れたオンボロ教室に通う野郎どもなのだ。

 月乃は誘わなかったどころか、むしろ秘密裏に計画を進めていたはず。それなのに当人は八束さんと二人で映画館デートをするのだと豪語している。

 いやはや、どこで嗅ぎつけたのやら。謎は深まるばかり――、


「八束さんの携帯をして、メールを!」


 なるほど、謎は解けた。

 とりあえずハッキングしちゃえば、メールでのやり取りだろうが全部筒抜けってわけか――って!


「お前ってやつは! また人のメールを盗み見て!」


 怒りに任せて立ち上がると、シロアリの食べ残しみたいな机が悲鳴を上げる。声は教室中に響き、例の映画鑑賞メンバーまで振り向かせる。どれも呆れた一瞥だ。

 対する月乃は悪びれることなく、つんのめった腰を上げる。


「いいじゃないですか。女の子は好きな人のことなら、どんなことでも知りたくなっちゃうんですもん」

「可愛く言ったって、やってることは犯罪行為だからね!? 俺にプライバシーはないの!?」

「隠し事は厳禁ですからっ」


 腹立たしくも「めっ!」と人差し指を立てた月乃ちゃん……これ以上、何を言っても不毛だろう。八束は溜息をついた。


 もうお分かりいただけただろう。

 八束がブルーな春を送る原因が。

 月乃を警戒していたわけが。


 何を隠そう、赤羽月乃はストーカーなのだ。

 通信傍受や盗聴盗撮はお手のもの。常に武器を携帯し、八束が少しでも不審な動きをとろうものならフル装備で駆けつける。しかも二四時間、安心対応サービスときたもんだ。

 そんなクレイジーなストーカーこそ彼女、赤羽月乃なのである。

 勝手に恋人同士だの甘い関係を想像して、勝手に嫉妬していた方には悪いが、現実はこうだ。


 × カップル同士

 ○ ストーカーと、その被害者


 いやはや、現実は残酷だ。

 いくら美少女だからって、四六時中つきまとわれたらどうだ? 連日連夜、携帯電話が鳴り続け、部屋中カメラや盗聴器でびっしり。外出すれば『奇遇ですね』とマンションのエントランスで必ずエンカウントし、家に引き籠もってもピッキングアイテムという合鍵をもって突入される。

 盛り塩を置いても、蚊取り線香を焚いても退治できないあたり、悪霊や蚊なんかよりもタチが悪い。


 今なら田舎のお母さんの言っていた忠告が理解できる。『女の子の外見に騙されちゃ痛い目を見るよ』って……うん。

 八束は女性恐怖症に片足を突っ込んで、どっぷり溜息をつく。

 月乃のおかげで最近はろくに眠れたためしがなく、さらには着信音に怯える始末。もう毎日ちくわ弁当でも我慢するから、こうした生活から足を洗わせてもらえないかな……。


「チケットを取り損ねたことがそんなにショックだったんですね。分かりました。この埋め合わせは近いうちに必ず――」


「あなたへの溜息だからね!? 埋め合わせとか映画とか、どうでもいいから! もうお願いだから、そっとしといてくれ!」


「なるほど……では、隣の席からそっと見守ることにします」


「だ~か~らぁっ! 俺に構わないでほしいんだって! 本当にお願いします。一人にさせてください、この通~り!」


「八束さん八束さん。大丈夫ですよ」

 ガラス色の声が優しげに言った。

 聖母のような微笑みで。

「いつだって私がついていますから」


「……もうやだ、こんな人生」

 なんだか泣きたくなってきた。

 とりあえず溜息をもう一発。


 しかし今日はまだついている方かもしれない。というのも映画のチケットは手配済みだったりするのだ。


 もともと映画鑑賞の計画は今朝方メールを介して提案されたものだった。

 参加者は総勢六人。最近話題のスパイ・アクション映画が観たくて仕方のない野郎どもが名を連ねる。

『月乃には刺激が強すぎる』とか適当な理由をつけて、蚊帳の外へ葬り去ったのは八束の功績だ。

 チケットは伊藤凜いとうりんという言い出しっぺが学校を抜け出して、映画館までおつかいに行っている。そろそろ戻ってきてもいい頃だが――、


「――おやおや? お嬢さん方、何かお困りのようですね〜」


 にやにやした声。開けっぱなしの木造ドアから、すらっとした男が現れた。

 髪を真っ赤に染めたイケメンはクラスメイト。噂の伊藤凜だ。

 凜の左手には映画館のロゴの入ったビニール袋が。きっとおつかいの戦利品、すなわちチケットが入っているのだろう。


 しかし、まずいことが一つ。月乃はただいま八束さんに夢中ゆえ凜に背中を向けているが、ああも堂々と歩み寄られては、見つかるのも時間の問題だ。

 言うまでもないが、ストーカーちゃんと映画館デートは御免こうむりたい。だって薄暗い映画館で一緒だなんて、何をされるか分かったもんじゃないから。


 というわけで八束は大慌てで袋を指差し、口パクでサイン伝達。

『袋を隠せ! 月乃に見つかる!』

 凜は眉を持ち上げる。サインを確かめるように腰を屈め、バットを横一文字に構えるようなパントマイムを――って、

『送りバントじゃないから!』

 凜は伝言ミスに気付いたようだ。中腰をやめ、透明バッドをフルスイング!

『バスターでもない!――って、どんだけランナーを進めたいんだ。バントから離れろ野球小僧!』


 くだらないコントはさておき。小中高とバスケ一筋だった伊藤凜は首をかしげつつも、ビニール袋を持ち上げた。


「このチケットがどうしたって?」

「だから中身が映画のチケットだってバラしちゃ駄目なんだって!……って」


 月乃が首をかしげる。

 しまった、墓穴だ。


「チケット? 何の話ですか?」

「な……何の話だろうね〜?」

 うん……我ながらひどい演技だこと。


 八束が大根役者として希代の名演技を披露する中、凜は落ち着いていた。

「安心しろ。俺だってヤッツーの考えくらい分かってるつもりだから」

 こんな九死に一生も難しい大ピンチでも、その目は据わっているだろう。凜は袋に手を突っ込み、話に置いてけぼりな月乃を振り向いた。

「つくのん。映画のペアチケットを買ってきたから、放課後はこれでヤッツーと映画でも観てこいよ」


「ちっとも分かってない!――って、ペアチケットって何!? まさかお前ら、最初からそのつもりで……」


 映画鑑賞メンバーの一人、田中たなかが三つ前の席より鼻で笑う。

「ば〜か。誰がむっせぇ野郎どもと映画なんぞ観るか」


 なんと……最初から安住の地などなかったのか。

「くそっ、はめやがったな!」

 件の『女人禁制の映画鑑賞会』はお節介にも二人にサプライズデートをプレゼントするための嘘で、八束はまんまと引っ掛かったのだ。


「えっと、これはいったい……?」

「実はこれ、ヤッツーがつくのんを驚かせたいからって仕掛けたサプライズデートなんだ――なっ?」


 チケットを手渡されてもなおきょとんとしている『つくのん』に、仕掛け人からネタばらし。

 無論それを聞いて黙っていられる月乃じゃない。ぱっと振り返って、


「そ、そそ、そうなんですかぁっ!? 私ったら早とちりしちゃって。てっきりチケットはまだ手配されていないのかと思ってました。でも嬉しいです。八束さんがデートに誘ってくださるなんて、夢みたい……」


「わーお、すんごい早口」

「ついに私の想いが通じて……」


「ないない……って月乃ちゃん? なんだかおめめが潤ってるけど、目薬を差したわけ……じゃないよね。いやいや、そう涙ぐまれると、ドタキャンなんて許されない気がしてならないんだけど」


「すみません。嬉しくて嬉しくて、私……」

「断るに断れないんだけどぉっ!?」


 月乃は人差し指で涙を拭った。なにも泣くことはないだろう。

 途端に拍手喝采が沸き起こる。スタンディングオベーションだ。


「それはそうと……ヤッツー」

 凜が八束の肩を叩く。

「せっかくお膳立てしてやったんだ。釣りはいいから、男として決めるところは決めてこいよ」


 そうして手渡された紙球を開いてみると、

「領収書って何!?……え、お金取るの!?」

 映画チケットの領収書だった。

 カップル割引のペアチケットで、お値段は二〇〇〇円+税。タイトルを見た感じ、ロマンスものっぽい。


「今日は忘れられない一日になりそうです」


 涙目の月乃は『幸せいっぱい』と笑顔を見せる。据え膳は据え膳でも、あのお膳には毒がわんさか盛られていそうだ。

 もちろん『触らぬ神に祟りなし』という先人のありがた〜いお言葉もあることだし、据え膳だろうが箸は付けない方向で。


 八束の経験則からいくと、この場合、映画館ではムードに煽られ、月乃が一線を越えようと改造エアガンを片手に脅迫してきそう。下手に断っても、刃物を片手に心中を強要してきそうだ。

 銃か剣か……普通の男子高校生ならまず遭遇しないだろう二択を迫られ、八束は思った。クシャクシャの請求書を握り潰して。

 ――そうだ、今すぐ風邪を引こう!




 以上。これが鮎沢八束の日常だ。

 八束には人並みの幸せも、プライバシーもない。その代わり、すぐ隣に赤羽月乃がいる。

 しかし、どうしてまた『ストーカーとの共生』なんていう、わけの分からない事態に陥ってしまったのか。

 それは遡ること四月七日。鮎沢八束の高校生活はその日、新学期の始まりとともにジ・エンドしたのだ。

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