第12話 お前か②

「は……」と俺と男の声がハモってから、


「そんなわけないだろう!?」


 男は取り乱した声を荒らげ、ビシッと足元に開かれた禁忌の扉を指差す。


「こ……こんなふしだら極まりない書物を、君のようないたいけな女の子が読むわけがない!」


 その通り――!


「そんなこと分からないじゃないですかっ!?」と、しかし、まりんは声高らかに言って、俺を押し退けるようにしてずいっと前に出る。「初対面なのに! わたしの何を知ってるっていうんですか!? わたしだって……ふしだら極まりないかもしれないじゃないですかっ!」

「ぬ……なぬああ……!?」


 グワシャーン、と名も知らぬその人の中の何かが瓦解する音が聞こえてくるようだった。

 ぼっと一瞬にして顔を赤々と染め、男はふらりと後退り、


「そ……そんな……ふしだら……なのか? こんな子も、ふしだら極まりないなんてことがあり得るというのか……」


 ぶつくさと何やら呟きだし、目を泳がせ始める男。それを尻目に、まりんはそそくさとしゃがんで――少し、躊躇いを見せつつも――禁忌の扉を閉じ、それを手に立ち上がった。


「それじゃあ……失礼します!」


 清廉潔白でいて、純真可憐。ガーベラの如く、実にいじらしく愛らしいその姿は、聖書でも抱く様がしっくりきそうなものなのに。その胸に大事そうに『美少女盗撮100選』を抱いて、まりんはペコリとお辞儀。くるっと身を翻すと、俺にチラリと目配せし、


「行こ!」

「え……あ、ああ……」


 『美少女盗撮100選』をその胸に平然と抱いていることもだが。まりんの口から――『ふしだらってなあに?』とでも言いそうな俺の元幼馴染の口から――『わたしだって……ふしだら極まりないかもしれないじゃないですかっ!』なんて言葉が出てきたことに、俺はすっかり面食らっていた。

 いや、もちろん、俺を庇うための嘘だというのは分かりきってはいるのだが。

 それでも……それでも……だ。


 そもそも、そうやって……そんなとんでもない言葉を放ってまで俺を庇ってくれたことに……そんな彼女の姿に驚いていた。


 つい、ポカンとしていると、まりんは振り返り、


「国矢くん……どしたの?」


 不思議そうにまりんがそう訊ねてきた、その瞬間だった。


「――国矢だと!?」


 突然、勢いよく叫ぶ声がして、ぎくりとして振り返れば、

 

「国矢って……まさか、国矢白馬か!?」


 さっきまで狼狽えていたのが嘘のよう。目を見開き、顔中の血管でも浮き上がらせそうな凄まじい形相で男は俺を睨みつけていた。


「そう……だが」と若干、身の危険すら覚えながらも答える。「なんで俺の名前を……?」

「そうか…………」


 呪詛でも吐き捨てんようなおどろおどろしい声色で男は呟き、なにやらくつくつと不気味に笑い出す。


「なるほど……つまり、やっぱり、その穢らわしい本はお前のだということだな」

「は……?」


 いや――没収物とはいえ――確かに、俺の所有物ではあるが。

 なぜ、俺の名前を聞いてその確信を得る? 盗撮魔として全国に指名手配されている覚えはないぞ。


「な……何を言ってるんですか!?」と思い出したように隣でまりんが声を上げ、ずいっと『穢らわしい本』を男に突き出す。「これはわたしの……愛読書です!」

「そんなわけないだろう! そんなものを愛読されてなるものか! 君はその男にいいように利用されているのだ! 君も騙されているのだ!」

「騙されてるって……ハクちゃんに……?」


 なんだ? 何の話だ? なぜ、名も知らぬ奴にとんだ言いがかりをつけられている?

 しかも、君……?


「いったい、何を言っているんだ? まりんを利用しているつもりもなければ、サンタのふりをしてプレゼントを届けた中一のクリスマス以外にまりんを騙した覚えもない」

「じゃかあしい」とやけくそ気味に言い放ち、男は俺をビシッと指差してきた。「見てろよ! お前の正体、俺が必ず暴き出してやるからな!」

「正体……?」


 思わず、まりんと声を合わせて呟き、顔を見合わせていた。

 これほどまでに話が読めなかったことも未だ嘗て無い。――となると、可能性は一つに絞られるわけで。


「おそらく……だが」と俺は頭をガシガシ掻きながら口火を切り、男に視線を戻す。「人違い……ではないだろうか?」


 すると、途端に男はかあっと激昂の色をあらわにし、「お前……よくもそんな白々しい――」と言いかけた言葉は、辺りに響き出した予鈴のチャイムに遮られた。

 男はハッとして、わたわたと慌て出し、


「覚悟しとけ、国矢白馬!」


 鼻息荒く、そんなありきたりな捨て台詞を吐き、逃げるように階段を駆け登っていった。

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