第9話 幼馴染失格⑥

「伝えたいこと……」


 なんだ、それは――と訊ねる間も無く、


「国矢くん!?」


 聞き覚えのある声が辺りに響いた。

 ハッとして見やれば、


「な……なんで、国矢くんが……?」


 まりんの背後――映画館の入り口から出てきたのは、まりんと同じく制服姿のままの……真木さんだった。

 茫然と佇み、切れ長の眼を見開いて俺をまじまじと見つめ、


「まさか……国矢くんがまりんを呼び出して……!?」


 何か思い至ったようにハッとし、真木さんはただならぬ剣幕で駆け寄ってきた。あれよという間に距離を詰めると、きょとんとするまりんを背後に押しやるようにして、ずいっと俺の前に立ちはだかり、


「いい加減、はっきりしなよ、国矢くん!? 会長とまりん、どっち選ぶの!? あっち行ったりこっち戻ってきたり……渡り鳥じゃないんだから! こんなの、まりんに残酷だよ!」

「どっちって……」


 訊き返そうとした俺の声に、きゃあ、と真木さんの背後で上がったまりんの悲鳴が重なった。


「待って、待って! 落ち着いて、柑奈ちゃん!? 勘違いしてるから!」

「勘違い?」と真木さんは訝しげに振り返る。「何が勘違いなのよ? 映画の最中に、横でスマホ見てると思ったら、突然出てって……心配したんだよ!? いつまでも戻ってこないし……心配して探しに出てきたら、やっぱり、国矢くんじゃん!」


 『やっぱり、国矢くん』……?


「あ、えっと……確かに、ね、映画の最中にスマホいじったのは良くないと思ってるの。柑奈ちゃんにも、電源は切っておくように、て言われたのに……でも、どうしても、気になっちゃって……」


 あたふたとしながら真木さんに訴えるまりんの眼が、不意に、チラリと俺を見た。


「ハク……国矢くんから連絡あるかも、て思ったら、スマホ、手放せなくて。だから、映画の最中もずっと握りしめてて……そしたらブルッと震えて、こっそり確認したら――」

「だから……国矢くんから連絡があって、呼び出された、てことでしょ!?」


 じれったそうに言った真木さんに、まりんはハッとして視線を戻し、「違くて!」と声を張り上げた。


「千早先輩からメッセージが来たの! 『ごめん、やっぱり私じゃ無理だった』って……」

「会長……?」


 千歳ちゃん――?

 ドクン、と心臓が飛び跳ねる。「へ……」と無防備なまでに気の抜けた声が漏れていた。

 私じゃ……無理だった、て……。


「国矢くんがこっちに向かってる、て……教えてくれたの。『そろそろ着く頃だと思うけど、まさか帰っちゃってたりしてないよね?』て心配そうなスタンプと一緒にLIMEが来て……。きっと……行き違いになってないか、気にしてくれたんだね」


 何処か躊躇いがちに……やんわりと微笑んで、まりんは力無く俺を見つめてきた。

 ああ、そうか――とようやく謎が解けた。

 まだ上映中だったにも関わらず、なぜ、まりんは外に出て来たのか。しかも、まるで俺がここに着いたのを見計らったかのようなタイミングで……。


 千歳ちゃん……だったんだな。

 千歳ちゃんがまりんに知らせていてくれたんだ。


 ぼんやりと脳裏に浮かぶ。スマホを手にメッセージを打つ千歳ちゃんの姿。あのボウリング場で、たった一人で座りながら……。

 ぎゅうっと心臓でも握り潰されるような痛みが胸を走る。


 なんとなく……千歳ちゃんはまだあそこにいるような気がした。


 あそこは……あの場所は……千歳ちゃんにとって、大切な場所だから。楽しい思い出が詰まっている、この国で数少ない『思い入れのある』場所だ――そう懐かしむように語ってくれた。

 だからこそ、千歳ちゃんは俺をあそこに連れて行ってくれて……。


 ――きっと君も楽しんでくれるんじゃ無いかな、て思った――んだけど、外れちゃったね。


 俺の顔を覗き込み、そう言って微笑んだあのときの笑みが、今はやたらと寂しげだったように思えた。

 『やっぱり私じゃ無理だった』――そのメッセージの意味が、痛いほどに分かってしまって……。


「ごめん、まりん」気づけば、そう呟くように口にしていた。「俺……行くところが……」


 すると、振り返った真木さんと一緒にまりんもハッとして……それから、ふっと穏やかに微笑んだ。


「うん。分かってる」とまりんは噛み締めるように言い、「もう……行っていいよ、国矢くん。――わたしの分も、お礼、言っておいて」

「え……『わたし』……!?」


 ぎょっとして、真木さんは忙しなくまりんに振り返る。


「行っていい、て……? え、何? お礼……?」

「わたしたちも戻ろう、柑奈ちゃん」とまりんは真木さんに一歩歩み寄り、その手をぎゅっと両手で包み込むように握り締めた。「ゾンビが勝つか、駅員さんが勝つか、見届けないと!」

「ゾンビ!?」


 思わず、その単語に素っ頓狂な声が飛び出していた。


「ぞ……ゾンビ映画なのか!? ゾンビ映画を観ていたのか!?」


 ぶわっと熱い血潮が全身を駆け巡る。

 ゾンビ映画と言えば、あれだろう!? 血が飛び、肉が踊り出る、グロテスクの極み。そんなものを臨場感あふれる劇場で見て、脈拍や心拍数が平穏無事でいられるはずもない……!


「いかんぞ、まりん!? そんなものを大画面で見ては――」


 我を忘れて詰め寄らんとする俺を、まりんの冷静な眼差しが刺す。


 ハッとして、ぴたりと足が止まった。


 じっと俺を見つめるそれは、決して責めるようなものではなく、信じて――とでも言いたげな真摯な眼で。

 そうだった……と思い出す。

 グッと力のこもった拳を緩め、ゆっくりと深呼吸。 

 一瞬、思い浮かびそうになったを――あの日、失いかけた幼馴染かのじょの姿を頭から掻き消し、真っ直ぐに目の前のまりんを見つめ返す。


「あとで……教えてくれ……」と不自然に強張りながらも、なんとか落ち着いた声を絞り出す。「ゾンビと、駅員……どっちが勝ったのか」


 すると、真木さんが「……っ!?」と声も出ない様子で驚愕するのが視界の端で見えて、その隣で「うん」とまりんは弾けんばかりの――ゾンビも消し飛ばしてしまいそうな――可憐な笑みを浮かべた。


「しっかり、見てくるね」

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