第7話 幼馴染失格④
ハッとする。
昔はもっと笑っていたんでしょう? ――ボウリング場で、そう訊ねてきた千歳ちゃんの言葉が脳裏に響いた。
「気づいたときには、ハクちゃん……いつも怖い顔するようになってた。一緒にいても、いつもピリピリしてて、何かを警戒しているみたいで……。
中学に上がってからは……まりんに誰か男の子が近づいてくるだけで、誰彼構わず威嚇して追い払うようになって。いつのまにか、皆、ハクちゃんのこと怖がるようになってた。『番犬』だとか、『暴れ馬』だとか……ハクちゃんのこと、おもしろおかしく言う人も出てきて。すごく厭だった。ハクちゃんのこと、何も知らないくせに、て悔しかった。でも……」
まりんには珍しく、熱っぽく捲し立てるようにそこまで言って、ふと、まりんは言葉を切った。きゅっと唇を引き結び、再び、膝に顔を埋めると、
「まりん……何もできなかった」
頼りなく声を震わせながら、吐き捨てるようにそう言った。
「何をしたらいいのか、分からなかった。何かする勇気が出なかった。――ハクちゃんみたいに……皆に『やめて』って言えなかった」
「俺みたいに……?」
つい、眉を顰め、訊き返していた。
皆に『やめて』……なんて、俺は言った覚えなどない。
陰で何を言われようが、俺は気にしていなかった……どころか。そもそも、格言大会のことなど、本庄に言われるまで――つい、一昨日まで――知らなかったんだ。いったい、どこで誰が触れ回っていたのかもよく分からん。抗議活動をしようにも、どこで誰に向かってすればいいのかもさっぱりだぞ。
「何の話だ、まりん? 俺は『やめて』なんて言った覚えは……」
「言ってたよ」
息を整えるような間があってから、まりんは落ち着いた声で言った。迷いなく、はっきりと……。
「いつ……だ? すまんが、全く覚えが無いのだが……」
すると、まりんはおもむろに顔を上げ、涙を溜めた眼をふっと細めた。諦めたようで……それでいて、覚悟のようなものが窺える――その笑みは、まりんとは思えぬ、やけに大人びたものだった。
「『変な呼び方をするのはやめてください。千歳ちゃん、傷ついてるんです』――て……ハクちゃん、皆の前で頭まで下げて言ってたよ。大事な『幼馴染』のために……」
「あ……」
『やめて』って……その話――!?
確かに……それは覚えがある。記憶にも新しい……どころか、つい、昨日のことだ。
新聞部の荻先輩と千歳ちゃんの記事のことで揉めて……『黒船航海誌』なんて見出しで千歳ちゃんの記事を校内新聞に載せる、なんて言うから……やめてください、と俺は頭を下げたんだ。
そうか――。
そういえば、まりんも聞いていたんだったな。ちょうど、廊下を通りがかって、一連のやり取りを聞いていた、と……真木さんが言っていた。
「カッコいいな、て思っちゃった」とまりんは頰を紅潮させながら、へへ、とどこかごまかすように笑った。「まりんもそんな幼馴染になれてたら……て思った」
でも……と重いため息ついて、まりんはすっくと立ち上がる。
「まりんは……できなかった。結局、『幼馴染失格だ』なんて言いがかりつけて、ハクちゃんを遠ざけることくらいしか……ハクちゃんを守る方法、思いつかなかった。
そこまで言ったら、もうハクちゃんもまりんと関わろうとしないだろう、て思ったの。まりんと『幼馴染』じゃなくなれば、きっと、ハクちゃんも楽になれる。気兼ねなく、好きに生きられる。
高校デビュー……てわけじゃないけど。高校にいったら、同中の子はほんの数人だけ。ハクちゃんもやり直せると思った。
これでハクちゃんも、昔みたいに友達たくさん作って、楽しく過ごせる。もう『番犬』とか変なあだ名で呼ばれることもなくなって、思う存分、学校生活を楽しめる。そう……思ったのに……」
空を覆う分厚い雲に、ようやく切れ間が見え始めていた。どんよりとしていた辺りに、夕焼けの陽が差し始め――どこか儚く、赤く灼けた幻想的な景色の中、まりんはぽつんと佇み、俺を見下ろしていた。穏やかな眼差しで、何かを噛みしめるように……しばらくそうして俺を見つめ、
「ハクちゃんったら……来ちゃうんだもんな」
困ったように微笑みながら、まりんは力無くそう言った。
「入学式の当日から……教室の中に怒鳴り込んで来ちゃうんだもん。また、喜んじゃいそうになっちゃったんだよ」
自嘲気味に呟くまりんのその言葉に、思い出していた。入学式の前の出来事。廊下で耳にしたまりんの悲鳴に、思わずまりんのクラスに飛び込んだ。クラスの男に腕を掴まれていたまりんを見るや、夢中でそいつの腕を引き剥がし、まりんを助けた――つもりだった。
でも……そんな俺に、まりんは苦しげに言った。
――こういうの……もう厭なの。迷惑……だよ。
あのときとは違う……切ない痛みが胸を走る。
嫌われたとばかり思っていた。
俺の熱すぎる(らしい)言動のせいで、まりんは傷ついてきたから。俺に巻き込まれて、まりんも好き放題言われてきて……それに、俺は気づけずにいたから。
だから、まりんは俺と一緒にいるのが厭になったのか、と思った。
でも、違っていたんだな。
何か……胸の奥で激しく揺すぶられるものがあった。ぼっと火が点いたようにそれが熱くなるものを感じて、立ち上がっていた。
ようやく、全てが繋がった気がした。全てを理解できた気がした。
俺はまりんの見た景色を知らない――そう言った千歳ちゃんの言葉の意味がやっと分かった。
そして、まりんも……俺が見た景色を知らないんだ、と気づいた。
「まりん――」
いきなり立ち上がった俺に驚いたように眼を丸くするまりん。そんな彼女に向かい合い、じっとその眼を覗き込むように見つめ、俺は口を開いた。
「まりん、ごめん……」
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