第6話 幼馴染失格③

 あまりのことに。夢にも思っていなかった一言に。一瞬、理解が追いつかず、ぽかんと惚けてしまった。

 『まりんのことが好きだからじゃない』……? それは……つまり、なんだ? 俺がまりんを好きではない、と……俺がまりんを嫌っている、と……そう思ってる、てことなのか?


「ちょ……ちょっと待て、まりん!? 何をもってそんなことを……!? 俺はまりんのことが大好きだぞ!? 俺のほうこそ……まりんに嫌われたのだとばかり思っていて……だから、幼馴染を失格になったんだ、と……」


 さっき、千歳ちゃんから話を聞くまでは……と胸の中で言い添える。

 まりんは膝に顔を埋めて丸まっていた。その頭が、小さくだが……左右にフルフルと揺れるのが分かった。


「ごめんね、ハクちゃん。違うの……」

「違うって……」

「幼馴染失格なのは……ハクちゃんじゃない。まりんのほう。――まりん、喜んじゃったの。ハクちゃんを独り占めできて嬉しかったの。ハクちゃんが苦しんでる、てあの日、分かったはずなのに」


 あの日――その言葉にギクリとする。条件反射みたいに心臓に突き刺されるような痛みが走る。


「尾上くんたちとラグビーしたい、て……あの日、そう言ったハクちゃんの顔、今でも覚えてる」とくぐもった声を震わせながら、まりんは言った。「つらそうで……苦しそうで……そのとき、分かったの。ハクちゃんはずっと無理してたんだ、て。本当は皆と遊びたいのに……我慢してまりんと一緒にいてくれてたんだ、て。だから、怖かった。あのとき、置いて行かれて……ハクちゃんに嫌われたんだ、て思った。

 ハクちゃんはまりんにとって初めてできた友達で。あのころ、まりんにはハクちゃんしか頼れる友達はいなくて……。絶対に、ハクちゃんを失いたくなかった。だから、謝らなきゃ、て思ったの。

 あの日、ハクちゃんに謝ろうと思って……公園でハクちゃんのこと待ってたの」


 ハッと息を呑み、眼を見開く。

 ドクンドクンと大きく波打つ鼓動を感じていた。

 

 ――まりんちゃんがまだ学校から帰っていないんですって。あんた、一緒に帰ってきたんじゃないの!?


 あの日の母親の取り乱した声が脳裏に蘇る。

 ようやく……分かった。あの日の――俺も知らなかった『真相』。俺と別れたあと、なぜ……まりんはあの公園で行き倒れることになったのか。


「きっと、尾上くんたちと遊んだ後、あそこを通りがかると思ったから……公園のベンチで座って待っていよう、と思ったの。

 今、思えば、家に帰って待つべきだった、と思う。でも……あのときは不安で仕方なくて、あそこを離れる気にもなれなかった。早くハクちゃんに会って謝らなきゃ、ハクちゃんもまりんから離れていっちゃうと思ったから。待っている間、怖くて怖くて……気づいたら、どんどん息が出来なくなっていって、『ああ、発作だ』と思ったときには雨が降って来てた。慌てて薬飲もうと思ったら、ケースの中身、全部、落っことしちゃって。パニックになって、とにかく雨宿りしよう、と思って木の下に行って……そこから、記憶がないの。気づいたときには――」


 そこまで言って、ゆっくりとまりんは顔を上げた。

 懐かしむようで……どこか切なげな、哀愁を帯びた表情で俺を見つめ、「ハクちゃんがいた」とぼんやりと呟く。


「雨の中、ハクちゃんがこんなふうに傍にいてくれた。初めて……ハクちゃんの。――その瞬間だったんだよ。やっぱり、ハクちゃんはハクちゃんなんだな、て思った。きっと、どんなにまりんが鬱陶しくなって、まりんのことを嫌いになっても……ハクちゃんはこうして、助けに来てくれるんだ、て思った。そんな優しいハクちゃんのこと、大好きで……大好きだから、これ以上、苦しめちゃいけないと思った。ハクちゃんにベッタリじゃダメ。ハクちゃんに頼り切ってちゃダメ。二度と、ハクちゃんを泣かせたくないから。もっとしっかりしよう、て……誓ったの」


 だから……と消え入りそうな声で言い、まりんは苦しげに顔を歪めた。


「だから……ハクちゃんがお見舞いに来てくれたとき、言ったの。伝えた……つもりだったの。もういいよ、て。まりんの『おさななじみ』は辞めていい、て。ハクちゃんがどれほど無理してたのか……ずっとつらいの我慢してたんだ、て……分かったから。もう『おさななじみ』じゃなくていい。だから、せめて……まりんの『友達』でいてほしい、て……そう伝えたつもりだったの」

「……!」

 

 刹那、頭の中に浮かび上がってきたのは、幼き日のまりんで。

 柔らかな陽光の中、いいんだよ――と儚げに微笑むまりんの姿が脳裏に蘇った。


 はっきりと覚えている。

 

 あのとき……俺は赦されたのだ、と思った。俺の罪を――まりんを置き去りにして、殺しかけたことを――まりんは知りながらも、『いいんだよ』と赦してくれたのだ、と……。

 その慈悲に甘えながらも、報いなければ、と幼心に感じたんだ。

 もう二度と、まりんを裏切ったりしない。二度と危険な目に遭わせたりしない。『幼馴染』として、今度こそ守り切ろう、と誓った。


 でも、違っていた……のか?


 あのとき、俺は赦されたわけじゃなくて……。赦されようとしていたのは、まりんのほうで――。


「でも……ハクちゃんは、それでもまりんの傍にいてくれた」とまりんは目を伏せ、声を落として続けた。「まりんのこと、『幼馴染』だ、て呼んでくれて……前よりもずっと一緒に居てくれるようになった。それを、まりんは嬉しいと思っちゃった。

 ハクちゃんはまりんのこと赦してくれたんだ、て思った。それまでのこと、全部赦して……まりんと『幼馴染』でいることを、望んで選んでくれたんだ、て思い込んでた。

 浮かれてたんだ――。

 ハクちゃんがいつも傍にいてくれて、ハクちゃんを独り占めしている気分で。それが嬉しくて、気づけなかった。ハクちゃんが……『ハクちゃん』じゃなくなっていること」

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