第5話 幼馴染失格②

 『やっぱり……来ちゃう』? ――その言葉に、頭の中で何か引っかかるものがあった。

 デジャブに似ているようで、少し違う。違和感にすら近いもの。

 そうだ……と思い出していた。

 以前にも似たようなことを言われたのだ。あの日、あの雨の中で……泥にまみれながらも、まりんは微笑んで言ったんだ。やっぱり……――て。


「千早先輩と……出かけてたんでしょう?」とまりんは俯きながら言う。「ダメだよ……せっかくの幼馴染とのデートだったのに。千早先輩も張り切ってたんだよ。『幼馴染』の名に賭けて、国矢くんのこと、絶対楽しませる! て。それなのに……なんで……」

「千歳ちゃんに……全部聞いた」


 ぽつりと、俺はそう呟くように告げていた。

 ハッとして俺を見上げたまりんの瞳は、雨でもそこに溜め込んでいるかのように潤んでいた。


「全部って……」

「全部だ」とタオルを握る手を下ろし、俺は頷く。「まりんがずっと悩んでいたこと。俺が笑わなくなったことに責任を感じていたこと。俺のためにいろんな我慢をしていてくれたこと。俺を『幼馴染』をクビにしたのも、俺を守るためで……。八年前のあの日、自分が俺を消してしまった、と思い込んでいて……千歳ちゃんに、俺を取り戻してほしい、と今朝、電車で頼んで――」

「はわああ!?」


 急に、まりんは俺さえも聞いたことのない頓狂な声を上げ、「やだ……そんな……ま、待って!?」とあわあわと羽ばたくように両手を振り始めた。


「ほ……本当に全部だよ!?」

「ああ、全部だぞ」

「なんでー!?」いやあ、と悲鳴を上げ、まりんは自分の顔を両手で挟んだ。「千早先輩……信用できる人だと思ったのに! だから、話したのに! なんで……なんで、全部、国矢くんに言っちゃうの!? まりん、ちゃんと『国矢くんには言わないでくださいね』って言った――」


 興奮気味にそこまで言ったかと思えば、まりんははたりとして口を噤んだ。そして、何かを思い出したようにハッとし、


「言ってない!」


 ガーン、と絶望の音が聞こえてくるような愕然とした表情だった。


「言い忘れた……」とまりんはへにゃりとその場にしゃがみこみ、アルマジロの如く小さく丸まってしまった。「つい、夢中で話し込んじゃって……。だって、千早先輩、聞き上手で、話しやすくて……しかも、いい匂いするし」


 匂い……が関係あるのかは分からんが。

 とりあえずは、千歳ちゃんが俺に話してくれた話は……俺が聞くはずのものではなかった、ということか? まりんは千歳ちゃんに口止めしたつもりでいて。俺が全てを知ってしまったのは、まりんにとって誤算だった、と……。

 相変わらずの、うっかりお茶目さんだ。

 そういうところも、まりんらしい、と俺は思ってしまうが……当のまりんはすっかり意気消沈というか。ずんと落ち込んだ様子で蹲っている。

 この状況で俺が何を言っても意味はない気がしなくもないが。このまま、放っておくこともできん。


「まりん……」と俺もまりんのすぐ傍で片膝をつき、努めてやんわり声をかけた。「まりんもいい匂いだぞ」

「どんな慰め!?」


 くわっと顔を上げるや、まりんは甲高い声を響かせた。


「もお……ハクちゃん、そういうところなんだよ!?」

「な……なにがだ?」

「そういうところが熱すぎるの! そういうところが熱すぎて……まりん、耐えられないの!」

「どういうこと……だ? 今のどこが……熱すぎるんだ? 冷静なる判断のもと、あくまで事実を述べたまでで……」

「知ってるよ! ハクちゃんには、なんの他意もない! ただ、『幼馴染』だからそういうこと言ってくれる――だから、まりん、つらいの!」


 顔を真っ赤に染め、ムキになってがなり立てていたまりんのその声は、途中から、泣き叫ぶような……悲痛なものに変わっていた。

 しかし……やはり、俺にはさっぱり分からなかった。まりんが何を言わんとしているのか分からない。何を訴えられているのか、見当もつかなくて。面食らって、目を瞬かせることしかできなかった。

 そんな俺を、まりんはもどかしそうにじっと見つめてから、足元の水たまりに視線を落とした。


「ハクちゃんが……こうして来てくれるのも――、まりんの傍にいつもいてくれたのも――、全部、『幼馴染』だったからでしょ? まりんのことが好きだからじゃない……」


 独り言みたいに言って、まりんはぎゅっと瞼を閉じた。


 ぽろりと煌めくものが、水たまりに落ちるのが見えた……気がした。

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