第3話 契約幼馴染たるもの③
心臓が思い出したようにドクンドクンと熱い鼓動を打ち鳴らし始めていた。
そういえば……と、ゴクリと生唾を飲み込む。
さっきも、千歳ちゃんは言っていたんだ。まりんは今、電話に出れない状況にある、と。そのまま八年前の話に雪崩れ込み、俺としたことがすっかり失念してしまっていた。
「まりんは……大丈夫なのか?」
千歳ちゃんを疑うつもりはない――。
彼女は我が校の生徒会長にして、今や俺の(契約ではあるが)幼馴染。こんなにも親身になって俺の話を聞いてくれた――そんな彼女が、まさか、まりんが危険な場所に行くのを見過ごすような真似をするはずがない。
そうは分かっていても……震える拳はどうにもならない。
理屈じゃなく。突き動かしてくるものがある。じわじわと身を焦がすようにそれは急かしてくるから。
縋るように見つめる先で、千歳ちゃんはじっと俺を見据え……それから、苦笑まじりにため息をついた。
「まりんちゃんが今、大丈夫かどうかなんて、私に分かるわけないでしょう」
「な……」
え……分からない……!?
「いや、ちょっと……待ってくれ、千歳ちゃん? 千歳ちゃんは……まりんがどこにいるのか、知ってるんだよな?」
「知ってるわよ」とけろりと千歳ちゃんは言って、えへんと胸を張る。「電車の中で聞いたもの」
「それじゃあ……」
「でも、私は神様でもなんでもない。一介の生徒会長よ。生徒一人一人の安否なんていちいち把握していられません」
「それは……そう、だが。いや、そういう話では無く……!」
「私が知っているのは、今、まりんちゃんが声も出せない真っ暗闇の中に閉じ込められて、どこの誰とも知らない人たちと一緒にいる――ということ」
な……と俺は愕然として固まった。
声も出せない真っ暗闇の中に閉じ込められて、どこの誰とも知らない人たちと一緒にいる――?
それは……どういうことだ? どんな場所なんだ? 少なくとも、その状況は『大丈夫』の定義の中にはいるものではないのでは……!?
「千歳ちゃん、どこなんだ、それは!?」思わず、千歳ちゃんに詰め寄り、その両肩をガシリと掴んでいた。「教えてくれ! まりんは今、どこにいるんだ!?」
「――映画館」
「え……」
「映画館よ、白馬くん」ニコッと千歳ちゃんは屈託無く微笑み、「今、まりんちゃんは映画館で、真木さんと……それから、同じクラスになったお友達と一緒に映画を見てる」
「映画……館?」
するりと全身から力が抜け、千歳ちゃんの肩から手を離していた。
映画館というのは……アレだよな? スクリーンに投写された動画を、臨場感たっぷりの音響環境の中、ポップコーンなどの軽食を手に皆で楽しむあの娯楽施設の――。
「な……なんて……まぎらわしい言い方をするんだ、千歳ちゃん!? 俺はてっきり……」
「まぎらわしいも何も。事実でしょう。連絡もつかない、真っ暗闇で、誰とも知らない有象無象に囲まれる密室――それが映画館よ!」
「いや……かなり語弊があるような気がするが」
「言ったでしょう。『真相』なんていくらでもある、て。何事も見方次第よ。――少なくとも、君には映画館はそんなふうに見えている……んじゃないのかな?」
「俺が……!?」とぎょっとする。「俺はそんな穿った見方で映画館を見た覚えはないぞ!? いったい、どこからそんな心象を……?」
「え、そう?」
そっか〜、と千歳ちゃんは心底意外そうに目を瞬かせ、
「じゃあ、まりんちゃんの取り越し苦労……だったわけか」
「まりん……!?」
「まりんちゃんは心配してたのよ」と千歳ちゃんはやんわり微笑んで俺を見つめてきた。「まりんちゃんが映画館に行って、何時間も音信不通になっちゃったら、きっと白馬くんは不安になるだろう、て。だから……まりんちゃんはずっと友達とは映画館に行かずにいた――て、知ってた?」
え――とその声は吐息となって消えた。
知ってた? て……知るわけがない。そんなこと、まりんから聞いたことなんてないし……思ってもいなかった。
ああ、でも……そうか。
まりんが……映画館に行ったら、か。
確かに、そうかもしれない――。
『映画館』自体に、俺は穿った印象を持ったことはないが、もし、まりんがそこに行くとなったら別の話だ。そんな暗い密室で、何かあったら……と考え出さずにはいられない。有象無象のありとあらゆる菌やウイルスの蔓延る空気にさらされ続け、万が一にも、まりんが発作を起こすようなことがあれば……どうなる? 爆音轟く会場の中、いったい、その些細な異変に――あの微かな喘鳴に――気づける者はいるだろうか? 親友である真木さんだって、まりんの体質のことは知らない。もし、まりんの様子が変だ、と真木さんが気付けたとしても、きっと戸惑うばかりで適切な対処はすぐにはできないだろう。おばちゃんたちが傍にいれば、問題無いだろうが。そうでないなら、やはり……俺がついていなくては、と思う。
「今日もね、迷ってたのよ」と千歳ちゃんは俺の顔を覗き込んできて、囁くように言った。「クラスの子に誘われたけど、白馬くんを心配させたくないから行けない、て……。だから、私が『行っておいで』って言ったの。白馬くんは私に任せて、て」
「そう……だったのか」
ああ、だから……千歳ちゃんは突然、『幼馴染デート』をしよう、と言い出したのか。
さっき、言っていたもんな。ここは千歳ちゃんにとっては楽しい思い出が詰まっている場所で。俺も楽しめると思った……と。そうやって、俺の気を紛らわそうとしていたんだろうか。万が一にも、まりんが映画館に行ったことに――まりんと連絡がつかないことに――気づかないように……。
ざわりと……胸の奥で何かが蠢くような。なんとも言えない胸騒ぎを覚えていた。
全く……知らなかったから。まりんがそんなことを考えていたなんて。俺を気遣って……そんな我慢をしていたなんて。そんな我慢をさせていたなんて。
「あ……言っておくけどね、白馬くん!」
突然、何かを思い出したように声を上げ、千歳ちゃんは俺の目の前に人差し指を突き出してきた。
「女の子が体重を明かすなんて、相当の覚悟がいるものなのよ!?」
「体重……!?」
なぜ、急に体重の話に……!?
「問診のこと。気になって、まりんちゃんに訊いたの」
「も……問診……?」
「身長体重、血液型、体温に心拍数、その他、もろもろ……! さすがホンモノの幼馴染は格が違う、と感心したものだけど。やっぱり、まりんちゃんも厭だった、て言ってたわよ」
「そ……そうなのか!?」
厭……だったのか!?
確かに、体重に関してだけはまりんは躊躇いを見せていたが。いつも、『誰にも言っちゃだめだよ』と真っ赤な顔で言いながらも、教えてくれていた。口止めはされても……厭だ、なんて一度も言われたことはない。
「厭だったけど……それでも君に明かしていたのは、君のため。その情報さえあれば、君が少しは安心できると思ったから」
「安心……?」
「昨日、白馬くん、言ってたもんね。行方不明になったとき、そういう情報があれば役に立つ、て……」
思い出すようにぽつりと言ってから、「今朝だってね……」と千歳ちゃんは腰に手を当てがい、クスリと笑った。
「君と別れてエレベーターに乗るなり、問い詰められちゃったんだから。『なんのつもりで国矢くんに近づいているんですか? どうして幼馴染のフリなんてしてるんですか? もし、国矢くんをたぶらかしているのなら、やめてください』て、それはもう切実に……」
「まりん……が……?」
あのまりんが……? もお、ハクちゃんったら――て、いつもぷりぷりとしていたまりんが……千歳ちゃんにそんなことを?
にわかには信じられなくて。
茫然とする俺に、「ね?」と千歳ちゃんは慰めるような笑みを浮かべ、
「言ったでしょう? 君の元幼馴染は強い子だ、て」
まりんが……強い。
ホームで言われたときは、突拍子もなく聞こえたその言葉が、今はすうっと胸に沁み込んでくるようだった。
千歳ちゃんの話を聞いた今なら、納得できる。千歳ちゃんがまりんをそう言う理由……。
そして、もしかして……と思ってしまった。
ずっと、俺がまりんを守っているつもりだった。片時も離れず、俺がまりんを守らないといけないのだ、と思っていた。でも……違っていたんだろうか?
もしかして……守られていたのは俺のほうで。あの日から、ずっと傍で守ってくれていたのは――。
「映画館、ここから歩いていける距離にあるから……」ケロリとして言って、千歳ちゃんはスマホを取り出した。「今、住所送るね。映画が終わるまで少し時間あるし……今から行けば間に合うんじゃないかな」
「え、いや……今からって、しかし……」
ぶるっと震えるスマホの振動をポケットの中で感じつつ、俺はハッとして口火を切る。
「『幼馴染デート』は……いいのか、千歳ちゃん? まだ一ゲームも終わってもいないのに……」
「やだな、白馬くん」きょとんとしてから、千歳ちゃんは困ったように笑み、「契約内容、忘れちゃった?」
「契約……内容?」
「――私、言ったよね。まりんちゃんの代わりでいい、て。君をクビにした幼馴染の代わりでいいから、一年だけ私を君の幼馴染にしてほしい。そういう話だったでしょう?」
「ああ……確かに、そう言われた気がする……が」
そういえば、きっかけはそこだった。俺がフリーだと知るや――幼馴染をクビになったと聞くや――千歳ちゃんは『一年専属幼馴染契約』を持ちかけてきたのだ。まりんの代わりにしてくれていい、と言って……。
「私は……君たちの仲を裂きたくて、君と幼馴染になったわけじゃない。
君がホンモノの幼馴染を取り戻せるなら、それに越したことはない。だから、まりんちゃんと話して……それから改めて、考えて欲しいの。私との契約のこと。このまま、契約を続行するのか、それとも……白紙に戻して、ただの先輩後輩になるのか」
ただの……先輩後輩? 千歳ちゃんと……?
「それは……」
「ここで考えなくていいの。まずはまりんちゃんと話すのが先」
やんわり言って、千歳ちゃんはベンチに置いておいた俺の荷物を手に取り、
「私は大丈夫だから。――行ってらっしゃい、白馬くん」
そっと俺に荷物を差し出しながら、千歳ちゃんは朗らかに微笑んだ。
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