第2話 契約幼馴染たるもの②

 俺も……?


「いや、千歳ちゃん、何を……言ってるんだ?」と眉根を寄せながら訊き返す。「怖いとか無事とか……俺に言うことじゃ無いだろう。俺がまりんを置き去りにして……」

「『まりんちゃんを殺しかけたのに』?」


 さらりと千歳ちゃんが言い放った一言が、容赦無く俺の胸をグサリと貫く。

 一瞬にして息の根でも止められたかのように。声も出ず、絶句していると、


「さっきも言ったけど……そう思っているのは君だけよ」と耳元で優しく囁く声がした。「君がそう思い込んでいるだけ。君はまりんちゃんを殺しかけてなんかいない。――八年前、君が誰かを殺してしまったのだとしたら、それは君自身。まりんちゃんもそれに気づいたから君をクビにした。君を守るために……」

「は……」


 俺を……守るため?


「いい、白馬くん?」と千歳ちゃんは俺から身を離し、俺の顔を両手で包み込んできた。「まりんちゃんはちゃんと生きてる。――君が見つけて連れ帰ってきた。君が救ったの」


 じっと見つめてくるその眼差しは、あまりに真っ直ぐで力強くて。

 胸の奥がじわりと熱くなるのを感じて、たまらず、目を逸らしていた。


「だから……それは違うんだ、千歳ちゃん。今、話した通り――」

「よく見て、白馬くん!」

「ふぬお……!?」


 まるで整体師の如く、いきなり千歳ちゃんはぐいっと俺の顔を横に向けさせた。


「見てって……」

「奥のレーン」


 奥のレーン?

 何事だ? と困惑しつつも、言われた通りに奥のレーンに目をやれば、そこには……親子らしき二人組がいた。

 本格的な格好でやる気満々の男性と小さな男の子が、色違いのボールを手に仲良さげに話している。


「親子……のようだが、どうしたんだ? 千歳ちゃんの知り合いか?」

「小学二年生って……あれくらいよね?」

「え……」


 ちょうど、その男の子がピンに向かってボールを放つところだった。

 子どもの年齢なんて、俺にはぱっと見では判断がつかない……が。確かに、小学校低学年くらいには見えた。


「多分、そう……だが。それが何――」

「あの子が今、君のところに来て……さっき君が私に話してくれたことを君に語ったら――君はなんて言う?」

「なんて、て……」


 急になんの話だ?


「すまんが、質問の意図がよく……」

「君はあんな小さな子に『友達が死にかけたのはお前のせいだ』なんて責め立てるの?」

 

 さらりと放たれたその問いに、ハッと息を呑む。

 ぞくりと背筋に悪寒が走った。

 千歳ちゃんが言わんとしていることが分かった気がした――。


「君がしているのは、そういうことよ」


 千歳ちゃんは落ち着いた声でそう言って、俺の顔を押さえていた手をするりと離した。


「責任は年相応であるべき……だと私は思う。

 君はほんの七才の子供だった。誰かの命を背負うような歳じゃない。君の選択次第で、まりんちゃんの生死が決まるような――そんな状況はそもそも間違ってる。そういうプレッシャーを感じるような環境に、君が置かれていたことがおかしかったの。君だって守られるべき存在だったのよ」


 ぎりっと胸が締め付けられる。


 そう……だったんだろうか――。


 じっと見つめる先で、さっきの男の子は――あの日の俺と同じ年頃のその子は、ストライクでも決めたのだろうか、父親らしき人とハイタッチをしてはしゃいでいた。楽しげに、無邪気に……。


「もう……いいのよ、白馬くん。――君は悪くない。君を責めているのは君だけよ」


 そっと心まで包み込んでくるような……柔らかな声だった。

 喉の奥が焼けるように熱くなっていくのを感じて、膝に置いた手をぎゅっと力強く握り締めていた。

 何かが――ずっと長い間、堰き止めていたものが、今にもどっと溢れ出そうな気がした。


「でも、もし……ね、どうしても君が自分を赦せないというなら、まりんちゃんに謝ればいい。置き去りにしてしまったこと……まだ謝ってないんじゃない?」


 言われてぎくりとする。

 そういえば……そうだ。俺はまだ――謝ってない。お見舞いに行ったあのとき、謝ろうとした俺をまりんは『いいの、ハクちゃん』と遮ってきて……そのままだ。あれ以来、まりんも俺も、あの日のことを一言も口にすることはなくて――なんとなく、口にしてはいけない気がして――お互い、その話題をずっと避けてきた。

 でも、なんでだ? なんで、千歳ちゃんは気づいた?


「なんで、それを――」


 顔を向き直すなり、千歳ちゃんは「やっぱりね」とでも言いたげに苦笑した。


「謝っていたら、もっと分かり合えていたはずだもの」意味深に呟くと、千歳ちゃんはすっと背筋を伸ばして腰に手をあてがった。「悪いと思ったら、まずは謝ろう。君も、まりんちゃんも……ね」


 まりんも……?


「なんで、まりんも……?」

「『真相』なんてものは人の数ほどあるものよ。白馬くん」


 人差し指をちょんと突き出し、ふふん、と千歳ちゃんは得意げに言い放った。


「は……?」


 なんだ、突然……?


「生まれや育ち、年齢や性別――この世界にはいろんな人がいて、それだけの視点がある。同じ場所で同じ時を過ごしても、同じものを見ているとは限らない。見方も感じ方も十人十色……というやつね。

 この国の『当たり前』が私には奇妙に見えることだってあるし、私の言動がこっちでは異常に思われたりもする」


 そういうものよ、と千歳ちゃんは少し寂しげにあっけらかんと笑った。


「さっき、君が話してくれた『真相』も、あくまで君の『言い分』。君の視点から見た一つの事象の『側面』でしかない。事実、まりんちゃんが話してくれた『真相』とはちょっと食い違いがある」

「食い違い……?」

「そう」


 千歳ちゃんはコクリと小さく頷き、憫笑のようなものを浮かべた。


「君は君が見た景色しか知らない。まりんちゃんの見た景色を知らない。だから……まりんちゃんと話しておいで、白馬くん」


 責めるようでもなく、明るい声で言って、千歳ちゃんは「ね」と俺に手を差し伸べてきた。


「『お願いします』なんて私に託すようなこと言っていたけど。きっと、今頃……身動きも取れない暗闇の中、まりんちゃんも不安でいるだろうから。迎えに行ってあげて」

「迎えに、て……」


 今から……か?

 いや、そりゃあ、まりんに会いたい気持ちは山々だ。いろいろと訊きたいこともあるし、そして……千歳ちゃんの言う通り、ちゃんと謝りたい、とも思う。八年も……かかってしまったけど。

 でも、今から――なんていいのか?

 今、俺は千歳ちゃんとの『幼馴染デート』とやらの真っ最中のはずで。今度は千歳ちゃんをここに置き去りにすることになるわけで……。

 それは、やはり……『幼馴染』としてどうなんだ?

 いくら、まりんが身動きも取れない暗闇の中で不安でいる、といっても……て、――!?


 千歳ちゃんの手を取る余裕もなく。思わず、ガタンと立ち上がっていた。


「まりんはどこにいるんだ、千歳ちゃん!?」 

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