第23話 ハクちゃん⑤

 まりんちゃん家に行ってくるわね――深刻そうな顔で言って、母親は家を出て行き、俺はリビングに一人残された。

 ざあざあと外から聞こえてくる雨音が、より一層激しさを増している気がした。

 脳裏によぎるのは、最後に見たまりんで。赤く焼けた光景の中、ぽつんと寂しげに佇むその影を思い出しては、心臓が焼けるような焦燥感に襲われた。

 なんで? なんで、まだまりんは帰って来ていないんだろう? 別れたのは、あの公園の前……家まで歩いて、五分ほどの距離だった。だからこそ、大丈夫だ、と思ったんだ。あそこからならまりんも一人で帰れると思ったから――。

 そんなことを一人で言い訳でもするように、ぐるぐると考えていると、


「白馬……あんたもちょっと来なさい」


 慌ただしく戻って来た母親が、張り詰めた声でそう言った。


 母親に連れられてまりんの家に行き、玄関の扉を開けるや、わんわんと廊下まで響き渡るようなけたたましい怒鳴り声が聞こえてきた。

 おばちゃんとおじちゃんのひどく取り乱した声だった。


「何が大げさなのよ!?」

「友達の家で雨宿りしてるだけかもしれないだろう! ちょっと帰りが遅いくらいで、警察に連絡して……」

「ほんと、あなたは何も分かってないわよね!? お家に遊びに行くような――そんな友達、まりんには白馬くんしかいないのよ!?」


 ちょうど、リビングに足を踏み入れたときだった。

 いきなり自分の名前が飛び出してきて、ハッとして固まった。


杏果きょうかちゃん……」


 遠慮がちに母親が呼ぶと、おばちゃんとおじちゃんがぎくりとして振り返り、


「あ……」


 そこに立ち込めていた熱気が、ふっと一瞬にして消えたようだった。

 俺を見るや、二人は顔を見合わせ――意味ありげに視線を交わし――、「白馬くん……」とおばちゃんが無理したような笑みを浮かべて、歩み寄ってきた。


「ごめんなさいね。ちょっと……聞きたいことがあるの」


 俺と目線を同じくするようにしゃがみ込み、そう訊ねてきたおばちゃんの声は上擦ってはいたが、優しげだった。

 確信した。を皆、信じてる――俺がまりんを置き去りにしたことを、まだ誰も気づいてないんだ、て――。


「一緒に帰ってきたとき……まりんに何か変わった様子は無かった? 何か……発作の兆候は――いつもと違うところは無かったかな? いつもより、苦しそうだったり……しなかった?」

「まりんの……様子は……」


 つい、口ごもって目を逸らしていた。

 思い浮かんでしまったから。少し熱っぽく赤らんだまりんの顔が……。

 

 それは何よりの証拠に他ならなくて……。まりんの体調が悪いのを知っていながら、置き去りにしたんだ、と……改めて気づかされるようで。


 あまりの後ろめたさに吐き気すら覚えて、口を開くこともできなかった。


 そんな俺に、おばちゃんはやんわりと……でも、畳み掛けるように続けた。


「まりん……ね、まだ帰って来てないの。白馬くんと一緒に帰って来てから……どこかに出かけたみたいなの。おばちゃん、ちょっと買い物に出かけていたから……その間にきっと入れ違いになったのね。

 どこに出かけたのかは分からないけど、万が一にも発作でも起こしていたら……この雨の中、きっと一人で身動きもできずに――」


 急におばちゃんは声を詰まらせ、黙り込んでしまった。

 ちろりと盗み見るように様子を伺えば、おばちゃんは悲痛な表情を浮かべ、その眼にはじわりと涙が浮かんでいた。


 初めてだった。

 オトナの涙なんて初めてで……。

 事の重大さを、ようやく――まだ漠然とだけど――肌で感じ始めた瞬間だった。


「杏果ちゃん……」


 慰めるように声をかけた母親に、おばちゃんはちらりと一瞥して頷き、


「白馬くん、お願い――」と縋るような声色で言って、じっと俺の顔を覗き込んできた。「なんでもいいの。何か気づいたことはない? まりん、どこかに行く、とか言ってなかった? それとも――誰か……怪しい人を見かけたりしなかった?」


 へ――と思わぬ質問に目を見開いたとき、「杏果!?」とおじちゃんが咎めるような声を上げた。


「何を変なことを訊いてるんだ!?」

「変なことって……あなたは心配じゃないの!?」とおばちゃんは血相変えて声を裏返し、ばっとおじちゃんを振り返った。「もし、誘拐でもされていたらどうするの!?」


 ユウカイ――その聞き慣れない言葉にぞっと悪寒がした。

 まだはっきりと理解はしていないまでも。誰か怖い人にどこか遠いところに連れて行かれてしまうということだ……とそれくらいは理解していたから。 


 まさか、まりんも……? とどす黒いものが胸の奥で渦巻くのを感じた。

 まりんもどこか遠くに連れて行かれちゃったの? 自分ぼくが置き去りにしたせいで――?


「白馬くんの前で言うことじゃないだろう!」


 押し殺したような声で言って、おじちゃんは俺に視線を向け、


「大丈夫だから……ね。何か思い出したことがあったら、また教えてくれるかな?」


 身を屈め、おじちゃんは俺の肩にぽんと手を置いた。

 初めて、まりんと出会った日。まりんのこと、頼んだよ――と言われた、あのときのように。

 でも、あのときとは違い、いつも穏やかなおじさんの顔はひどく強張って。その笑みはぎこちなく、作り笑いだと子供でも一目で分かった。

 そして、おじさんは眼鏡の奥で赤く充血した眼で俺を見つめて言った。


「最後にまりんを見たのは君だから――」

 

 その言葉がずしりと胸を押し潰すように伸し掛かって来た。


 最後に見たまりん――それは、人気のない路地でぽつんと心細げに佇むまりんで。

 ハクちゃん、行かないで――そう言うか細い声が蘇って来て。


 息ができなくなった。苦しくてたまらなくて、居てもたってもいられなくなって。

 気づいたときには、おじちゃんの手を振り払うようにして身を翻し、その場から逃げるように駆け出していた。



*更新が滞りまして、すみません。

 「5分で読書」短編小説コンテスト2022のほうに参加するため、短編を書いておりました。

 ラブコメではなく、少女漫画ふうの甘酸っぱい感じの恋愛ものですが。こちらのほうも応援いただければ光栄至極です。


『まだ言えない、君への気持ち』

https://kakuyomu.jp/works/16817139554976031645


 また、アホなノリのラブコメも書いています。もし、よろしければお手隙の際に!

 

『君の髪が肩まで伸びたら 〜国民的アイドル(♂)に瓜二つの幼馴染(♀)を溺愛しています〜』

https://kakuyomu.jp/works/16816927863246344869


 宣伝、失礼しました!

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