第19話 ハクちゃん①

 まりんと出会ってから、数ヶ月経ったくらいだっただろうか。

 その頃には毎日のように遊ぶようになっていて、まりんも俺を『ハクちゃん』と呼ぶようになっていた。

 そんなある日、いつものようにまりんの家に呼ばれ、無菌室の如き清潔なまりんの部屋で遊んでいたときだった。お菓子の時間になり、開いた窓の窓枠に腰掛けるようにしてベランダに足を出し、二人で並んでアイスキャンディーを食べていると、


「ハクちゃん……まりんとおさななじみになってくれる?」


 まりんがぽつりとそんなことを言い出した。

 

「なに? 『おさななじみ』って……?」


 振り返り、きょとんとして訊ねると、


「ママが言ってたの」と真っ赤なアイスキャンディーを手に、まりんは、へへ、と照れ笑いのようなものを浮かべた。「ずーっと一緒にいる友達なんだって。このまま、ハクちゃんとまりんがオトナになるまで仲良しさんだったら、『二人はおさななじみになるわね』ってママがハクちゃんのママと話してたんだ」

「ふーん……友達と何が違うの?」

「友達よりすごいんだよ、きっと! トクベツなんだよ。だって、ずーっとずーっと一緒にいるんだよ!?」


 身を乗り出してきて、まりんは溌剌として言った。


「まりん、ハクちゃんのトクベツになりたい」


 『おさななじみ』も『トクベツ』も……当時の俺にはピンと来なかった。

 でも、それまでのまりんが孤独だったことを――詳しいことまでは理解できないまでも――俺は知っていたから。引っ越してくる前、まりんに友達がいなかったことを、俺はまりんから聞いていたから。まりんを『かわいそう』と両親が話しているのを盗み聞きしてしまったことがあったから。


「よく分かんないけど……いいよ。今日から『おさななじみ』な」

 

 ニッと笑ってそう答えると、隣で「やった!」とまりんは声を弾ませ、


「やくそくね、ハクちゃん。ずっとまりんの傍にいてね」

 

 嬉しそうにはしゃぐまりんを横目に見ながら、いいことをした――と誇らしく思った。まりんが喜んでいる。だから、これで良かったのだ。そう満足していた。

 俺にとっては、その程度の……そんな些細な口約束だったのだ。それが――その約束が、まりんにとってどれほどの意味を持つものなのか、そのときの俺は分かっていなかった。


   *   *   *


 まりんと『おさななじみ』になる、と約束を交わしてから数日後――。天気の良い花粉の少ない日だった。

 その日、まりんの体調も安定してきたから、とまりんのママおばちゃんから許可が下り、二人で公園に出かけることになった――のだが、公園に行けても、まりんができることは限られていた。

 砂埃が立つようなことはできないし、危険なことはさせないように、とまりんのママに言い含められていたから、ブランコくらいしかやることは無く……。青空を横切る飛行機を見上げながら、キーコキーコとのんべんだらりとまりんと並んでブランコを漕いでいた。


「このまま、一回転できないかな」


 ふと思い立って、立ち漕ぎを始めると、


「やめなよ。危ないよ」

「この前、テレビでやってる人見た」

「なんのテレビ見てたの、ハクちゃん? まりん、そんな人見たことないよ」


 わいわいとそんなことを話していたとき、


「あ、ハクちゃんだ!」


 聞き慣れた元気の良い声が辺りに響いた。

 ハッとして振り返れば、


「ほんとだ、ハクちゃんがいる!」

「やった、ハクちゃんだー! 泥合戦やろうよ」

「私、やだ、泥合戦〜。またママに怒られちゃうよ。木登りしよーよ」

 

 サッカーボールやら、バケツやら……ガチャガチャと各々、荷物を抱えて公園に入ってきたのは、体格も身長もバラバラな三人組だった。ひょろりと背の高いユキミチ。少しぽっちゃりとしたトモキ。そして、小柄でショートヘアのイチハちゃん――。幼稚園は違えど家は近所で、赤ちゃんの頃からいつも一緒に遊んでいた(母親談)友達だ。


「あ――!」


 皆、来た――と思わず、ブランコから飛び降り、駆け寄ろうとして、ハッとする。


 まりんがブランコに座ったまま、じっと黙って俯いていた。


「まりん……ちゃん?」


 そのとき、そうだった――と思い出した。

 まりんと出会った日……初めて、まりんをこの公園に連れてきたとき。そのときも三人と出くわした。友達なんだ、と紹介して、一緒に遊ぼう、とまりんを誘った。でも、しばらく遊ぶとまりんは『もう帰る』と言い出し、『道が分からない』と言うから、俺もまりんと一緒に帰った。


 お腹でも空いていたのかな、くらいにしか思わなかった。

 でも、あとになって知った。俺たちの遊びはまりんには合わないのだ、と。砂にまみれ、泥だらけになって、木を見つければ登り、珍しい花があれば蜜を吸い、虫がいればとりあえず捕まえていた。『ばい菌は友達』と言わんばかりの不衛生極まりない所業の数々――。まりんにとって、カルチャーショック並みの衝撃だったことだろう。


 花粉にさえ気を配って生活しなければいけなかったまりんが、と一緒に遊べるはずがなかった。


 どうしよう――と思った。きっと、またまりんは『帰る』と言い出す。そしたら、自分ぼくはどうしたらいいんだろう? そんなことを考えながら、黙り込むまりんを見つめて俺は立ち尽くしていた。

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