第15話 幼馴染デート③

「ほんとびしょ濡れだ。風邪引くよ〜」


 びしょ濡れの男性の向かいには、彼と同い年ほどの女性が。先に来ていたのだろう、こちらは濡れた様子はない。


「最近、天気予報当てになんねぇよな」

「ゲリラ豪雨ってやつじゃないの。あれ、予測できないんでしょ?」

「まじで? 運ゲーじゃん」


 わいわいとそんな話をしながら、自分たちの席へと向かう二人を、茫然と見つめていた。ドクンドクンと――徐々に重みを増していく鼓動を胸の奥に感じながら。

 大丈夫だろうか、と思い出したように不安がよぎる。まりんは……今、どこだ?

 さあっと周りの音が――騒がしいBGMも、賑やかな話し声も、ピンの弾かれる音も――遠ざかって消えていくようだった。代わりに、聞こえてくるはずのないものが聞こえてくる。まるで、外にいるかのような。ざあっと激しく打ち付ける、無情なまでに冷たい雨の音が……

 ぐっと拳に力がこもる。

 のんびり座っていられるわけもない。


 確認しなくては……と心が急く。せめて、まりんが無事かどうか、その安否を――。


 慌ててスマホを取り出そうと顔を向き直した、そのときだった。


「はーくまく〜ん?」

「うぬぉ……!?」

「『うぬぉ』じゃない」とムッとする千歳ちゃんの顔が目の前にあって、「ちゃんと見ててくれたのかな? 私の渾身のストライク」


 ストライク……?

 ハッとしてスコア表を見やれば、確かにそこにはストライクのマークが。

 しまった――。

 そういえば、千歳ちゃんは俺のためにストライクを決めてくれる、と宣言して……。


「あ……いや、すまん。見逃した」

「見逃した、て……何をよそ見してたのかな?」

「雨が……降ってきているらしくて、だな」


 ちらりと入り口のほうへ視線を向けつつ言うと、「だから……?」と千歳ちゃんは身を屈めたまま、さらにずいっと顔を近づけてきて訊いてきた。

 だ……だから……?


「ここは屋内。雨が降っていようが関係ない。君が心配することは何も無い。雨が止むまで、何ゲームでもしてましょう」


 にこりと微笑む千歳ちゃん。笑みは穏やかだが……なんだろう、妙な気迫のようなものを感じる。


「あ、ああ……そう、だな」


 千歳ちゃんの言う通り。ボウリングに雨は関係ない。レーンのコンディションに(おそらく)なんら影響は無い。このまま何ゲームでも、小遣いが許す限り、続けられるだろう。 

 だが――そういう問題では無いのだ、千歳ちゃん。


 雨は……ダメなんだ。 


 チラついて仕方ない。まりんの姿が――あの日見た、雨に打たれて変わり果てたまりんの姿がチラついて、どうしようもない。

 息をするのも苦しいほどに胸が締め付けられて……手は震えて、指先に力が入らなくて……。ガターどころじゃない。ボールを投げる余裕も無い。平静を保つのですら精一杯になる。


「じゃあ……」と俺はブレザーのポケットの中に手を伸ばすと、そこにあるスマホを掴む。「ちょっと待っててくれ。急用を思い出した。――電話だけしてくる」

「電話って……まりんちゃん?」


 さらりと言い当てられて、「え……」とポケットの中でスマホを握る手がびくりと震えた。


「なんで……」

「無駄よ」と千歳ちゃんはすっと背筋を伸ばして、冷ややかにも思える微笑を浮かべた。「電話をしたところで、まりんちゃんは出ない。――電話に出れない状況にあるから」


 電話に……出れない状況?


「それ……どういう意味だ、千歳ちゃん!?」


 ガタッと思わず立ち上がった俺を冷静な眼差しで見据え、千歳ちゃんは小首を傾げる。


「どういう意味――だと思う?」

「は……?」

 

 どういう……質問だ?

 分からん。なんなんだ? 千歳ちゃんは……どうしたんだ? 何を言っているんだ? なんで、こんな言葉遊び紛いのことを……?


「どしゃ降りの中、もし、まりんちゃんが電話に出なかったら……出れない状況にあるとしたら……君は何を考える?」

「何をって……」

「当ててあげましょうか」と神妙な面持ちで腕を組み、千歳ちゃんは畳み掛けるように続ける。「君が最初に考えること。それは、雨に打たれて倒れるまりんちゃん。何らかの身の危険にさらされている彼女。……」


 目を剥き、思わず、息を呑む。

 心臓に杭でも打たれたような衝撃が走った――。


「なん……で……」


 なんで知ってるんだ――と問いかけたその言葉はぶつりと途切れた。

 訊くまでもないことだ。

 そのとき、脳裏によぎったのは今朝の光景で。隣の車両で深刻そうに話をする『幼馴染』二人の姿がまざまざと蘇ってきて……。


「聞いたのか? まりんに……」


 愕然として訊ねると、千歳ちゃんは静かに息を吐きながらこくりと頷いた。


「全部、聞いた。全部、話してくれた。君が幼馴染をクビになった理由も――八年前、消えてしまった『ハクちゃん』のことも……まりんちゃんがちゃんと教えてくれたわ」


 え……?

 俯きかけて、ハッとする。

 今、千歳ちゃんはなんて……? 八年前、消えてしまった――『ハクちゃん』?


「なに……言ってるんだ、千歳ちゃん!? あの日、消えたのは……行方不明になったのは、まりんのほうで……」

「そう。行方不明になったのはまりんちゃん。でも、消えてしまったのは君の方。自分があの日、『ハクちゃん』を消してしまった、て……少なくとも、まりんちゃんはそう言ってた」


 まりんが……そんなことを?

 なんだ、それ? 意味が分からない。

 だって、あの日……俺が……俺がまりんを置き去りにして、『まりんのイノチ』を消しかけたんだ。まりんを鬱陶しく思って。まりんと幼馴染なんかじゃなければよかったのに――なんて、思ってしまって。


 ハクちゃん、行かないで――そんな縋る声も無視して、まりんを置いて俺は一人で遊びに行った。

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