第7話 元幼馴染と偽幼馴染①
事の起こりはこうだったようだ――。
うちのマンションまで来たものの、インターホンを押す段階になって、千歳ちゃんにふと迷いが生まれた。
『体調が悪い』と言って帰ってから音信不通となった俺が心配で、いても立ってもいられず駆けつけてはみたものの、『そういえば、早朝にいきなり家に押しかけるというのは日本の常識的にどうなんだろう?』と不安がよぎったようだ。
そもそも、『幼馴染ならば、不法侵入は当たり前』(そんなことはないはずだが)と、様々な文献から学んでいた千歳ちゃんだったが、自分はあくまで『契約幼馴染』。うちの両親とは当然、顔見知りなどではない。いきなり現れて、何と名乗ればいいのかも分からない。
うまい口実も思い浮かばず、エントランスをうろうろしながら、しばらくスマホで『早朝 幼馴染以外 家に押しかける』と検索していた千歳ちゃん。そこに現れたのが、ゴミ出しに出てきたうちの母親だった。千歳ちゃんを見かけるなり――ウチのマンションで
『その制服……あなた、柘植高校の子?』
『え――』
ハッとして振り返った千歳ちゃんを見るなり、母親は『あら……』と小首を傾げ、
『あなた、どこかで見たような……』
『そう……ですか? どこかでお会いしましたでしょうか?』
『ええっと……どこだったかしら? 柘植高で見かけた……のかしら? 一昨日、ウチの息子の入学式があって、学校に行ったから……』
『息子さんも……柘植高なんですか?』
『そうなのよ〜。仲良しの子がいてね。その子と一緒にそこに行く、てロクに高校見学もせずに決めちゃって――』
それを聞いた瞬間、千歳ちゃんは確信を得たらしい。
『もしかして……白馬くんのお母様ですか!?』
『あら!? 白馬を知ってるの?』
『もちろんです。あ、遅ればせながら……私、千早千歳と申します。白馬くんには大変、お世話になっておりまして――』
『千早千歳って……ああ、思い出したわ! あなた、生徒会長さんね!?』
俺によく似て――ではなく、俺が母親譲り、ということなのだろう。母の記憶力はなかなかもので。喜ばしいことに、四十を超えた今も健在だ。
どうやら、一昨日の入学式で歓迎挨拶をした千歳ちゃんのフルネームをしっかり覚えていたようだ。
その後、歓迎挨拶の称賛の嵐があってから、しばらくして、
『そういえば……どうして、生徒会長さんが白馬のことをご存知なのかしら? お世話になってる、てどういうこと?』
うっかり気づかれてしまったその違和感に、さすがの千歳ちゃんもたじろいだようで、
『それは……その……いろいろと、白馬くんにはお手伝いをしてもらっておりまして……。実は、今朝もその関係で、こうして白馬くんを訪ねて参った次第で……』
必死に言葉を濁したんだよ――と千歳ちゃんは苦悶の表情で語っていた。
しかし、砂金を採るかの如く……そんな濁った言葉の中から母が掬い取ってしまったものとは、
『まあ! 白馬が生徒会のお手伝いを!? しかも、わざわざ、生徒会長さんがウチの白馬をお迎えに……!?』
――と、千歳ちゃんの話から推測するに、おそらく、このような会話が二人の間でなされ、母親のあんな誤解が生じることとなったようだ。
その後、『え? え?』と戸惑っている内に、『今、白馬は走りに行っちゃっていないのよ〜。よかったら、うちに上がって待ってて。まだ朝も冷えるから』と有無を言わさぬ勢いでウチに誘われたらしい。
否定しようにも、事実を――生徒会長である千歳ちゃんの幼馴染になって、思い出創りを手伝うという契約を結んだことを――母親に言うわけにもいかず、とりあえず、その場は流されて俺の帰りを待つことにしたのだとか……。
なるほど――そういう経緯があったのか、と納得できた。
納得はできた……のだが。
「いってらっしゃい、白馬! しっかりやるのよ」
「生徒会の方々のお力になれるよう、精進してきなさい」
俺と千歳ちゃんを送り出す、二人のこの張り切りぶりはなんなんだろうか?
いつもは『いってらっしゃーい』とダイニングから声だけで送り出しているのに。今朝に限っては、玄関で二人並んでお見送り。
今にも火打石で切り火でもされそうだ。
「突然、お邪魔してすみませんでした」と隣で、千歳ちゃんが恭しく頭を下げる。「朝食までいただいちゃって……」
「いいえ〜、手抜きご飯で恥ずかしいわ。おいしそうに食べてくれて、こちらこそ、ありがとうね」
「お母様のお味噌汁、とってもおいしかったです。幸せの味がしました」
そんなことを朗らかな笑みでさらりと言ってしまう千歳ちゃん。母親は「まあっ……!」と口許に手を置き、感激のあまり声も出ない様子。
「お父様も……お会いできて嬉しかったです」
「こちらこそ」と厳つい顔を強張らせ、父親はぴしっと頭を下げた。「来年は、必ず、私も千早さんに一票入れます!」
父さんには投票権はないと思うが。
母親も呆れ顔で父親の後頭部を見ている。
しかし、千歳ちゃんはフフッと嬉しそうに微笑んで、
「ありがとうございます」
決してツッコむこともなく、頭を下げた。
「また、いつでもいらっしゃってね〜」
そんな陽気な母の声に送り出されるようにして、俺と千歳ちゃんは玄関を出た。
千歳ちゃんが最後にまた一礼して、それを見届けてから、俺は「いってきます」と扉を閉じた。
扉を閉じて――ようやく、ほっと一息つく。
「すごい……テンションだった……」
解放されるや、どっと疲労感が押し寄せてくる。朝からこんなに疲れたのは初めてかもしれん。
いったい、なんだったんだ? 二人のあのウキウキ具合は? 朝から酒でも飲んでいそうなノリだったぞ。何をあんなにはしゃいで……。
「ほんと……すごく喜んでたね」
「『喜んでた』……?」
ふと流れてきた声にハッとして振り返れば、千歳ちゃんが申し訳なさそうに苦笑していた。
「やっぱり……騙しているみたいで気が引けるな。今からでも謝りたいくらい……だけど。さすがに『息子さんと幼馴染契約をさせていただいてます!』なんて正直に言ったら、おったまもげちゃうだろうし」
「おったまもげる……!?」
悩ましげに重い溜息吐いてから、千歳ちゃんは不意に「あ!」と目を見開き、
「そうだ、白馬くん! いっそのこと、本当に生徒会入っちゃう!? 嘘から出た誠くん!」
「誰だ!? ――って、いや……いきなり、入れるものでもないだろう。選挙管理委員会が黙ってはいないぞ!?」
「大丈夫、大丈夫。そこは、ほら……生徒会長権限でなんとでも」
「それは汚職事件だ、千歳ちゃん! 失脚してしまうぞ!」
それに――と俺はつと目を逸らす。
「千歳ちゃんの気持ちは嬉しいが、俺はそういうのは……」
「どうして? 生徒会、厭?」
「厭とかでは無い……が」
「じゃあ、どうして? 楽しいよ」
清んだ声で放たれたその純真な言葉に、そうだろうな――と心の中で同意していた。
きっと、楽しいのだろう、とは思う。でも、だからこそ、できない。
どうして……と訊かれれば、脳裏に響くのはあの声で。行かないで――と言うまりんの縋るような声がいつまでも、頭に染み付いて離れないから……。
震える手をごまかすようにぐっと拳を握り締めた、そのときだった。
ガチャリと扉が開く音がして、
「え……あれ――!?」
ウチの隣――『高良』と表札に書かれたその部屋から出てきたのは、ふわりとしたショートヘアのまりんだった。
俺たちを見るなり、ぴたりと硬直。愛くるしい顔をぽかんとさせ、くりっくりの眼で俺と千歳ちゃんを見比べている。
困惑しているのは明らかだった。
「どうして……千早先輩がここに……」
「ああ、それはだな――」
確かに、いつもなら俺が一人でここで待ち伏せしているところだもんな。いきなり千歳ちゃんまでいたら驚くだろう。
俺はショートヘアのまりんに説明しようとして、一歩踏み出し、ショートヘアのまりんと対峙し、
「って、ショートヘアだ!?」
そのときになって、ようやくその異変に気づいて、思わず、大声で叫んでいた。
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