第4話 幼馴染失格!?(二回目)

 どういうことだ?

 なぜ……? なぜ、こんな状況に……!?


 「は……白馬くん……」


 暗がりの中、乱れたベッドの上に仰向けになる千歳ちゃん。艶やかな黒髪は乱れてシーツの上に広がり、Tシャツはめくれ上がって……ほっそりとしたくびれがあらわになっている。

 その潤みを帯びた瞳は、彼女に覆い被さる大きな影を――すなわち、俺を見つめていた。


 おかしい。


 どうして、俺は千歳ちゃんをベッドに組み敷いている? どういう流れでこんな格好に? 何かから身を呈して庇った……のか? いや、しかし……周りはいたって静かで平穏そのもの。ざっくばらんに物が散らばってはいるが、危険が迫っている気配は無い。危険があるとすれば、それは俺自身で……。

 その瞬間、ぞくっと背筋に悪寒が走った。

 とにかく、早く退かなくては――と体を動かそうとしたときだった。

 俺の下で千歳ちゃんがもぞっと身じろぎし、


「ダメ……だよ」と切なげな声がした。「私たち、幼馴染なのに……」

「はぐあ……!?」


 ぐさりと胸を槍にでも貫かれたようだった。


 ――確信してしまう。


 この状況を招いたのは俺自身だ、と。俺が千歳ちゃんをベッドに押し倒し、こんなあられもない姿に――!


「す……すまん、千歳ちゃん!」


 ばっと飛び起き、ベッドから慌てて降りる。そのまま床に正座し、迷わず土下座。

 世が世なら、切腹すべきところだろう。


「本当に、幼馴染だと思ってたのに……な」


 静かに呟かれたその言葉が、何よりも鋭利な刃物となって降りかかってくるようだった。

 最低だ――と歯を食いしばる。

 期間限定の偽物とはいえ、俺は千歳ちゃんの幼馴染を拝命したというのに。

 幼馴染たるもの、幼馴染の盾となりて守るべきであって……矛になって襲いかかるなどあってはならないことだ。


「いったい、何が起きたのか、俺もさっぱりで……すまん――しか言えん!」

「白馬くん……」


 静かな……どこか侮蔑を含んだ声がして、ぎくりとする。

 おずおずと顔を上げれば、千歳ちゃんがベッドに腰掛け、俺を冷静な眼差しで見下ろしていた。凍てつくようなオーラを漂わせ、千歳ちゃんは俺をびしっと指差し、


「白馬くん、幼馴染失格よ。契約不履行につき解雇です」


 また、解雇……!?


   * * *


 ハッとして目を覚ませば、ちゅんちゅんと長閑な鳥の声がしていた。


「へ……」

 

 ガバッと起き上がり、慌てて辺りを見回す。まだ明け方なのだろう、少し開いたカーテンの隙間からは、うっすらと青白い光が忍び込んできていた。仄暗い中に浮かび上がるのは、面白みも趣もない殺伐とした部屋で。

 ああ、俺の部屋だ……と確認するや、ホッと息を吐く。


「夢……か」


 安堵しかけて、いや――とくわっと目を見開いた。

 なんて夢を見てるんだ、俺は……!?

 たちまち、心臓がバクバクと騒ぎ出す。

 こんなこと……初めてだ。いつも夢を見るとすれば、それはまりんの……あの日の夢で。いつも汗だくで飛び起きては、身が焼かれるような焦りと恐怖に襲われていた。それが、あんな……いかがわしい夢を見るなんて!?

 すまん、千歳ちゃん――と千歳ちゃんのアパートの方角に向かって土下座したい気分だった。


 なぜだ? なぜ、俺はあんな罪深い夢を!?


 熱はないのだ。昨日、帰るなり体温計でちゃんと測って確認した。今もそれらしい症状は無い。昨夜は九時には寝たし……睡眠も充分。体調が悪い……とは思えない。

 では、まさか……アレのせいか? 千歳ちゃんのたわわに実った禁断の膨らみにうっかり、触れてしまったから……? それでやましい想像力が芽生えてしまったのか!? アダムとイヴが、エデンの園で知恵の木の実を食べ、余計な知識を得てしまったかのように……。

 いかん――。

 このままでは……俺も、あのざっくばらんな幼馴染の部屋エデンの園から追放されてしまう!?


「こうなったら――」と俺はベッドから飛び降り、深呼吸。「走るしかない!」


 古代ローマの詩人は言った、『健全なる精神は健全なる身体に宿る』と。そして、俺は言う、『走ればなんとかなる』と。


 雑念を振り払うには走るのが一番だ。走っている間は、余計なことを考えないで済む。昔から、そうだった……。静かな朝の街を一人でガムシャラに走っていると、何もかも忘れられる気がした。無用な欲も感情も汗とともに流れ出ていくようで、身も心も軽くなる感じがした。

 俺はぱぱっとジャージに着替えると、まだ薄暗い街中へ早朝ジョギングへと繰り出した。

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