第13話 幼馴染のぬくもり②

「へ……」


 ぼっと――その瞬間、顔が火でも点いたように熱くなった。

 抱きしめてほしそうな顔を……してた? 今、俺が……!?


「そ……そんな……俺は……けしからん顔をしていたのか!? すまん!」

「けしからん!? 違う、違う! そういうスケベな意味じゃなくて」


 パタパタ両手を振ってから、千歳ちゃんはそっと眼を細め、


「私、huggerなの」

「は……ハガー……?」

「ハグするの、好きなんだ。――安心するでしょ、ハグ」

「安心……」

「うん」とゆっくりと千歳ちゃんは頷いて、密やかに笑む。「安心――できた?」


 訊ねられ、ハッとする。

 ああ、そうだ……とそのとき、ようやく分かった気がした。さっきのあの感じ。千歳ちゃんの下敷きになったときに覚えた感覚。身体の隅々まで温かみに満たされて、不安までもが溶かされていくようだった。あれは――『安心』だ。千歳ちゃんのぬくもりに……俺は安心したんだ。


「捏造はもう終わりにしよ」からっと言って、千歳ちゃんはちらりとテーブルの上へと視線を滑らせる。「ちょうど、お互い食べ終わったし……食器片付けて、メインディッシュのお菓子と決め込みましょうか」


 お菓子がメインディッシュとは……!?

 いや、それよりも……だ。


「いいのか、千歳ちゃん? もう終わりって……まだ、『出会った』ばかりだぞ?」

「とりあえず、出会えたからいいの。だいたい、皆が気にするのは私たちの『接点』でしょうし。そこに説得力があればいい。その先は、二人だけの秘密――てことで通しましょ」


 本当に気にしていない風に、ニコリと微笑む千歳ちゃん。ちゃっちゃとテーブルの上の食器を重ねながら、「あ、でも……」と思い出したように続ける。


「あとでちゃんと、白馬くんの子供のころの写真も送ってね? それは忘れないよーに」

「ああ……そうだったな」


 忘れていた――。

 そういえば、話し始める前、千歳ちゃんは『参考資料』として七歳のころの写真を俺のスマホに送ってくれたのだ。今と変わらぬロングヘアーをポニーテールにまとめ、Tシャツにハーパンという夏真っ盛りな格好で、どこかの河原で元気一杯の笑顔を浮かべている写真だった。

 俺のも欲しい、と言われたのだが……俺のスマホにはそこまで昔の写真は無く、家に帰ってからの宿題ということになった。


「『出会った』頃のものとなると、五歳か。確か、七五三の写真がリビングに飾ってあったはず……」

「七五三!?」たちまち、ぱあっと千歳ちゃんは顔を輝かせ、「わ〜、絶対そう〜!」

「かわいそう!?」


 どういうことだ? 俺の七五三が可哀想とは……!?


「楽しみにしてるね」


 ルンルンと鼻歌まじりに言って、千歳ちゃんは二人分の食器を手に立ち上がった。くるりと身を翻してキッチンへと向かわんとする千歳ちゃんに、「あ――」と俺も慌てて立ち上がり、


「食器くらい、俺が……」


 言いかけた瞬間、千歳ちゃんは勢いよく振り返り、


「白馬くんは、おすわり!」


 思わず、ワン――と答えそうになった。

 生徒会長というよりは犬の訓練士のようなその一声に、本能的にぴたりと動きを止めて口を噤む俺に、千歳ちゃんは満足そうにほくそ笑み、


「大人しく甘やかされろ、て言ったでしょう。君は我が物顔で踏ん反り返っていればいいの」


 決して叱るようではなく。優しく諭すように言って、千歳ちゃんはリビングから出て行った。

 残された俺は……『待て』と言われた犬のように硬直。おすわりする気にも、踏ん反り返る気にもなれず、その場に立ち尽くした。


 甘やかされろ、と言われても困るのだ――。

 甘やかされ方なんて……俺は知らない。知らなかったのだ、と思い知らされる。


 キッチンからはジャーッと水の流れる音と食器を濯ぐ音が、千歳ちゃんの鼻歌に混じって聞こえ始めていた。

 やわな肌が洗剤で荒れてしまいやしないか、と気が気で仕方ない。今にもキッチンに飛び込んで、代わってやりたくなってくる。

 しかし……そんなことをしても、千歳ちゃんはきっと嫌がるだけなのだろう。

 必死に駆け出したくなる衝動を抑え込み、とりあえず、本日二回目の部屋の見回りをすることにして――、


「ん……?」


 本棚の前を横切ろうとしたときだった。

 視界の端にがふっと見えた。

 ハッとして足を止めて振り返る。何度も目を瞬かせ、本棚に並ぶそれをまじまじと見やれば……。


「やっぱり、『幼馴染じゃいられない』……だ」


 それは、千歳ちゃんに出会うまで聞いたこともなかった漫画だった。千歳ちゃんによれば、幼馴染の古典が詰まってるらしく、千歳ちゃんの一番好きな漫画とか……。

 そういえば、新装版も買い揃えたと言っていたな。これがそうなのだろうか。

 なんとなく……興味が惹かれて。十巻ほど並んでいるその内の一つを適当に手を取り、ぱらぱらとめくってみる。

 少女漫画……なのだろう。大きな瞳に星を散りばめた『美少女』らしき女の子がうじゃうじゃといる。その中の一人、黒髮ロングの子が主人公なのか――『渚ちゃん』というらしい――どこのページにも出てきて、しょっちゅう、百合らしき花を背負ってバックに出てくる。

 いったいどんな話なのやら。どうやら高校が舞台の学園もの(?)のようだが。しっかりと読まねば、やはり内容はよく分からんな……なんて思いつつ、ページを飛ばし飛ばし眺めていると――突然、暗い背景の中、『渚ちゃん』がセーラー服を乱したあられもない姿になってベッドに寝そべり、


『ダメ……だよ。私たち、幼馴染なのに……』


 思わず、バン! と勢いよく本を閉じていた。


「え……」と惚けた声が漏れる。


 な……なんだ、今のは? 何が……起きたんだ? 俺は……少女漫画を見ていたのでは無かったのか? なぜ、いきなり青年漫画に……!?

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