第6話 元幼馴染の胸の奥

 なんだ? なんなんだ、この違和感は? 全然、しっくり来ない。『まりん』と『おっぱい』が……繋がらん。『ミスター』と『チルドレン』並みに噛み合わん!

 まりんと言えば、俺の幼馴染で(元ではあるが)、天使のように神々しく可憐で、輝くような純真さと、透き通るような清廉さを兼ね備えた存在で。ある日突然、その背に翼を生やしてふわりと翔んで来ても、「空中散歩かい?」とすんなり受け入れられる自信がある。

 そう――翼のほうがしっくり来るんだ。翼の生えた姿はいともたやすく想像がつくというのに。まりんに『おっぱい』は……想像がつかん!

 いや、しかし……『想像』とかいう問題でもないはず――なんだよな。

 すでに、それは存在しているもので。八年も、俺はその成長を隣で見てきたはずで。思い出そうとすれば、確かに頭に浮かび上がるまりんの胸元のがある。まじまじと見ていた記憶はある……のに。その画と『おっぱい』という言葉が繋がらん。

 まりんの胸元を見ているとき、いつも頭にあったのは……『呼吸』のことで。俺が見ていたのは、そこにある膨らみじゃなくて、その動きで――緩やかに上下する胸元を確認しては安心していたから。


 ああ、そっか……とそのとき、ふいに悟った。


 俺がまりんの胸元に見ていたのは、まりんの『おっぱい』じゃない。その奥にある、守るべきもの。あの日、俺が消しかけた――まりんの『イノチ』だ。


「おーい? 白馬くん、どうしちゃったの?」


 いきなり、ぱっと視界を横切るものがあってハッとする。「え……」と我に返ると、千歳ちゃんが心配そうに俺を見上げ、ぱたぱたと俺の目の前で手を振っていた。


「ちゃんとここにいる?」 


 また、不思議な言い方をする――と思いつつ、「ああ」と気を取り直して答え、


「ちゃんといるぞ。すまん……少し、考え事を……」

「考え事って……」と千歳ちゃんは身を引いて居直り、ムフ、と妖しく笑った。「まりんちゃんのおっぱいのことかな?」

「なぜ、それを……!?」

「なぜって……まりんちゃんのおっぱいの話をしかけて、固まっちゃったんでしょ」

「ああ……そう、だったか」

「それで? 思い出してみたら、実は揉んじゃってたとか!?」

「断じて一揉みたりとも揉んでないぞ!」


 しゅばっと右手を挙げ、慌てて否定すると、「えー、そっか……」となぜか千歳ちゃんは見るからにしゅんとしてしまった。

 明らかに落胆させてしまったよう……だが。

 な……なんだ? いったい、千歳ちゃんは何を期待していたんだ? そんなに俺にまりんのおっぱいを揉んでいて欲しかったのか? さっきの……祝福されし不埒者ラッキースケベが関係しているのだろうか? 宗教的な何か……だろうか? 『ラッキー』と言うからには縁起担ぎ的な……? その辺の事情はよく分からんが――、


「そもそも……だな」と俺はガシガシと頭を掻きながら、言いづらいのをぐっと堪えて口火を切る。「俺は……まりんの『おっぱい』の存在に、今気づいたんだ。俺はそれを『おっぱい』だと認識していなかったのだなと、たった今分かったところで……」


 すると、千歳ちゃんは「へ」と目を丸くしてから、「ちょっと、白馬くん!?」と血相変えて大声上げた。


「さすがにそれは失礼よ!?」

「し……失礼……?」

「まりんちゃんのおっぱいは確かに……そこまでは無いかもしれない。でも、控えめなのがまたいじらしくていいの。可愛らしくてささやかで……まりんちゃんらしいおっぱいなのよ! 分かるかな!?」


 ぴしっと俺を指差し、力説する千歳ちゃん。

 俺は呆気に取られてしまった。

 分……分からん。俺はいったい、何を叱られているんだ?


「いい、白馬くん!? くれぐれもまりんちゃんに、さっきのことは言わないこと。『それがおっぱいだと思わなかった』なんて……女の子にとって、屈辱以外の何物でもないからね? おっぱいを笑うものはおっぱいに泣くの!」

「そ……そうなのか?」


 まりんのおっぱいを笑う気は……無いんだが。

 とりあえず、言わないほうがいいんだな。

 まだ困惑しつつも、千歳ちゃんがそう言うならば――と顔を引き締め、「気をつける……」と唸るように言うと、千歳ちゃんは「分かればよろしい」と満足げに微笑んだ。


「それにしても……」ひと段落、とばかりに一息ついて、千歳ちゃんはおもむろに立ち上がり、「まりんちゃんってほんと可愛いよね」


 ん……? 急に、まりんの可愛さの話?


「ああ、可愛いぞ」


 即答して、俺も立ち上がる。


「会うたび、天使かと思う」

「分かる」ばっと振り返り、千歳ちゃんは大真面目な顔で頷いた。「お人形さんみたいに目ぱっちりでくりっくり。お肌白くて、ほっぺたふわふわで、小さくて華奢で、いじらしさの塊というか……一緒に温泉に行きたくなるよね!?」

「温泉……!?」


 いきなりだな!?


「そう……温泉!」と千歳ちゃんは力強く言って、ぎゅっと両手に拳を握り締めた。「一緒に温泉に入って、湯けむりの中、こちょこちょし合って、『やん。そんなとこ触らないでくださいよ、先輩〜』て言われたい……!」

「いったい、温泉でまりんのどこを触ろうとしているのかは分からんが……上気せない程度にお手柔らかに頼みたい」

「ヨイショします」


 親指立て、ニコリと無邪気に笑う千歳ちゃん。

 善処――かな。


「まあ、でも……こちょこちょは置いといて、だが。まりんは温泉が好きだぞ」

「そうなんだ?」

「ああ。よく二人で近場の温泉に日帰りで行っていたものだ。――誘ってみたらいい。きっと喜ぶ」


 すると、「ん?」と千歳ちゃんは小首を傾げ、怪訝そうに微苦笑を浮かべた。


「なんで他人事なのかな? 白馬くんも一緒に誘おうよ」

「えっ……!?」


 何を……言っているんだ、千歳ちゃん!?

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