第7話 幼馴染との思い出
「一緒に誘うって……!? いや、俺は……俺が誘ったら、まりんは厭がる……!」
「どうして?」
「どうして、とな!?」
こっちのセリフだぞ、千歳ちゃん!?
「昨日も話したと思うが、俺とまりんはもう幼馴染ではないんだ。俺は『クビ』になって……。千歳ちゃんもさっき、聞いてただろう? 『ただの同中』だ、とまりんはあんなにもはっきりと……」
「ただの同中だって、一緒に温泉行ってもいいんじゃない?」
さらりと言われ、「それは……」と答えに詰まる。
それも……そう、なのか? 幼馴染じゃなくても……『ただの同中』でも、一緒に温泉に行ける……もんなのか? 誘ってもいいものなのか? また、露天風呂の仕切りを挟んで『
いや、しかし……そうだとしても、だよな。
俺の場合、『ただの同中』どころの話じゃなくて――。
「俺は……」ぐっと拳を握り締め、視線を逸らしてぼそりと言う。「まりんに嫌われているんだ、千歳ちゃん」
口の中で血の味でもするようだった。
やはり、後味のいいものではない――。
その事実を口にするたび、胸を滅多刺しにでもされるようで。痛みと虚しさが広がる。どれだけ言っても、慣れるようなものではないのだろう。
自然と顔が強張るのを感じて、いかん――と表情筋を必死に緩める。また、顔芸をして千歳ちゃんに要らぬ心労をかけるわけにはいかない。
「そういうわけだ」と千歳ちゃんに視線を戻し、俺は努めてあっけらかんと言い放った。「俺が一緒に誘っても、まりんや千歳ちゃんにも迷惑をかける。俺のことは気にせず、千歳ちゃんだけで誘って……」
「――気にするよ」
ふわりと頰に触れるものがあった。
へ……と目を丸くして見つめる先で、千歳ちゃんが冷静な眼差しで俺を見上げていた。口許には穏やかな笑みを浮かべ、俺の頰をその両手で包み込むようして……。
「君は私の大事な幼馴染なんだから。気にするよ」
柔らかくも、芯の通った声だった。
唖然とする俺を、千歳ちゃんはじっと食い入るように見つめ、
「白馬くんは……好き?」
「え……好きって……」
「温泉」と千歳ちゃんはコロンと鈴でも鳴らすように可憐に微笑む。「好き?」
「ああ……温泉は好きだが……」
「また、まりんちゃんと温泉行きたいと思う?」
「そりゃあ、もちろん……」
唐突な問いの数々に戸惑いつつも答えると、「うん」と千歳ちゃんは満足げに頷いた。
「じゃあ、一緒に誘おう」
「じゃあって……」
いや……おかしいな? 話が全くもって繋がっていないような気がするのだが……!?
「千歳ちゃん……? 繰り返しになるが、俺はまりんに嫌われていて――」
「大丈夫よ。『千歳ちゃん』に任せなさい」
「任せなさいって……」
「私は君を困らせるために幼馴染になったんじゃない、てさっきも言ったでしょう。私は君と青春したくて――楽しい思い出を作りたくて幼馴染になったの」
どこか切なげにも見えるような……大人っぽく落ち着いた笑みで言って、「だから――」と千歳ちゃんはふにゅっと優しく俺の頰を抓った。
「君も一緒に笑っていてほしいの」
その瞬間、胸にチクリと淡い痛みが走った。それは、切ないような、むず痒いような……今まで経験したことのない痛みで。ツボでも押されたような、そんな居心地の良い痛みで。ぽわっとそこが温まるのを感じた。じんわりと顔まで熱くなって……なぜか、千歳ちゃんの視線が恥ずかしくてたまらなくなった。「そう……か」とぎこちなく目を逸らすと、クスッと千歳ちゃんが笑うのが聞こえて、
「きっと……本当に嫌いだったら、『大事にしてください』なんて言わないと思うんだ」
「大事にしてください?」
急に、なんの話だ? ハッとして、振り返れば、
「そういうわけで。一緒に温泉でまりんちゃんをこちょこちょしましょ」
「温泉は人をこちょこちょする場所ではないぞ、千歳ちゃん!?」
なぜ、またこちょこちょの話に!?
ぎょっとする俺に、「もお」と千歳ちゃんは不服そうに口を尖らせ、俺の頰からぱっと手を離した。
「何も分かってないなぁ、白馬くんは。それでも日本男児ですか?」
「俺が……分かっていないのか!?」
「まあ、温泉の件はいつか本庄くんも交えてレクチャーしてあげるとして」
「おお、本庄……!」
ぱっと頭に浮かぶ我がフォロワーの姿に、胸が熱くなる。確かに、本庄も居れば、どんなこちょこちょも分かり易く教えてくれそうだ。
「とりあえず、食べる前に着替えてくるね」
気恥ずかしそうに苦笑を浮かべ、千歳ちゃんはTシャツを見下ろした。胸元には、オシャレなロゴにうっかり茶色い絵の具を垂らしてしまったかのようなシミがポツポツと。そして、やはり……その膨らみを強調するかのような、濃いシワとロゴの歪みっぷりに意識がいってしまって、ぞわっと鳩尾の奥で蠢くものを感じた。
たちまち、指先に感じたあの……何やらゆかし感触を思い出しそうになって、咄嗟に視線を逸らす。
「ああ、そうか。シミ抜きの途中だったな!? 今度は、千歳ちゃんが自分でトントンを……」
動揺もあらわに裏返った声で言って、まだ手元に持っていたキッチンペーパーを千歳ちゃんに渡そうとしたとき、
「ううん、もういいよ」
「もういい……?」
え――と見やれば、千歳ちゃんは「うん、いいの」と溌剌と答えた。
「このシミもまた白馬くんとの思い出、てことで。いつか眺めて懐かしむよ」
「俺との……思い出?」
「そう。初めてのラッキースケベ記念」
フフッと悪戯っぽく笑って、千歳ちゃんは身を翻してリビングへと向かって行った。
「ぱぱっと着替えちゃうから。ちょっと待っててね」
パタンと閉じられた扉の向こうから聞こえたその声に、「ああ……」とぼんやり答えつつ、俺は一人、キッチンに立ち尽くした。
ラッキースケベ……記念とは!?
ラッキースケベが果たして記念していいものなのか、甚だ疑問だが。不名誉な気がして仕方が無かったが。
それでも――。そんなことを口にする千歳ちゃんは実に楽しげで愛くるしくて……胸の奥が熱くなるのを感じていた。
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