第3話 幼馴染の参考図書

 甘やかされる――それもまた、馴染みのない言葉で。胸の奥をくすぐられるような感覚がして。顔がじんわりと熱くなって……なんだかムズムズとする。

 なんなんだろう、これは?

 心臓も心なしか鼓動が速い。何か変だ。

 まさか、これが熱というものなのか――!?

 ハッとして、自分の額に触れて確認してみる。たしかにいつもよりもほんのりと熱い気がするが、許容範囲というか、火照っている程度。病的なほどでは無い。平熱の域は超えないだろう。

 それが分かると、少し落ち着けた。まだ、心臓がざわめいている感じがするが……俺は自まりんともに認める免疫の化身だ。風邪一つひいた覚えのない超健康体。気にすることでもないはずだ。

 とりあえず、深呼吸して……「さて、と」と千歳ちゃんに言われた通り、腰に手をあてがって、その場で踏ん反り返ってみる。


 しかし、どうもしっくりこない。


 やはり、このやんちゃな部屋のせいだろうか。

 まりんの部屋に――無菌室レベルに徹底的に浄化された部屋に――慣れすぎて、物がごった返しているのを見ると落ち着かない……のかもしれない。幼い頃の記憶が――『ハウスダストが……』、『埃が……』、とまりんのお母さんママがせっせと片付けている姿が脳裏をチラついて、ハラハラとしてくる。やはり、隅から隅まで人間ルンバとなって片付けたくなってきてしまうが、『そんなことは頼んでいない』と千歳ちゃんにはっきりと言われてしまったことだし、ぐっと堪えることにして。

 千歳ちゃんに言われた通り、くつろごう――とは思うものの、何をすればいいのやら。くつろいで、なんて……そんなことを言われるのも初めてで。どうしたらいいのか、分からない。

 ひとまず、ベッドの下やベランダに怪しい人影が無いか一応確認し、気を紛らわすためにも部屋の中をぶらぶらと歩く。

 そうして、勉強机の前を通りがかったところで、ハッとして立ち止まった。

 勉強机の本棚のスペース――そこには分厚い本がずらりと並んでいた。参考書と……そして、辞書の数々。国語辞典に漢字辞典、それに広辞苑や俗語辞典まで。さらにその隣には、敬語の使い方やあいさつ、スピーチに関するいわゆるハウツー本が。


 素直に……すごいな、と圧倒された。

 

 そういえば、自分の日本語はまだ完璧じゃない、と千歳ちゃんは言っていた。実際、『私情』やら『立つ瀬』やら、千歳ちゃんは小難しい単語を口にすることがあって。少し違和感を覚えることもあったのだが――その理由が分かった気がした。

 なんでも無いかのように紡ぐ千歳ちゃんの言葉一つ一つは……きっと、彼女の努力の賜物で。ここで……この広くやんちゃな部屋で、千歳ちゃんは、一人、辞書を片手に勉強してきたんだろう。この机に向かって――と、その姿を想像すると胸がきゅうっと締め付けられた。

 尊敬の念……だけでは無い、切ないような感慨がこみ上げてきて。傍にいてあげたかったな、なんておこがましいことを思った。

 そんなときだった。


「きゃっ……!」


 キッチンから千歳ちゃんの悲鳴が聞こえて、我に返ったように振り返る。


「どうかしたのか、千歳ちゃん!?」

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