第2話 不穏な気配

 言われて、「あ……」と気づく。

 そう、か。そうなんだな――。

 もう千歳ちゃんは俺の幼馴染で。この部屋は、俺にとって『幼馴染の部屋』になるんだ。まりんの部屋とは――物は最小限に減らされ、チリもホコリも、ダニの一匹まで許さず、空気清浄機でハウスダストも徹底的に対策された無菌室のごとき部屋とは――まるで正反対……だが。

 改めて見回していると、


「私としては、これくらい許容範囲……と思ってたんだけど。その様子だと、相当引いてる?」

「い……いや!?」

 

 しまった! また、俺は顔芸を!?


「引いている……なんてことは無いぞ! 多少なりともやんちゃな部屋だと思うが、それもまた千歳ちゃんらしいと思う!」

「それ、フォローのつもりなのかな?」


 おかしいな? 千歳ちゃんの表情がどんどんと固くなっているような?


「だ……大丈夫だ。安心しろ、千歳ちゃん! これくらい、俺なら十分で片付けられる!」

「なんで、白馬くんが片付けるの? そんなこと頼んでません」


 袖をまくって勢い込む俺を、千歳ちゃんは苦笑交じりに一蹴し、


「言っとくけど……掃除はちゃんとしてるし、私は片付けが苦手――て言うより、『物が捨てられない』だけだから」

「物が……捨てられない?」

「そう――」やんわりと相槌打ち、千歳ちゃんは部屋に振り返る。「愛着……ていうのかな。どれも思い出が染み付いちゃってて……捨てられなくて。もう三年だし、そろそろ整理しなきゃと思ってるんだけど……」

「整理……」

「全部は……持って行けないもんね」


 独り言みたいに……どこか寂しげにぽつりと呟かれたその言葉に、ハッとする。

 そういえば、確かに。千歳ちゃんは三年で、あと一年も無く卒業するんだ。昨日、『幼馴染契約』を持ちかけられたときも、千歳ちゃんは『一年だけ』と言っていた。一年だけ、思い出をちょうだい――と。

 意識してみれば……だが。改めて部屋を見回してみると、物が散乱しているだけに思えた『荒れっぷり』にも、規則性……とでも言えばいいのか、『意図』のようなものが見て取れた。

 部屋の端に置かれた段ボール箱。その周りに置かれた、ガラクタにも思える――おそらく、旅行先のノリで買ったのだろうと思われるお土産らしき――小物の数々。すでにぎっしりと詰まった本棚の前には、さらなる本が床に山積みになってずらりと並び、衣装箪笥の横には巨大なスーツケースが二つ並んでいる。

 まるで、何かののような――、まさしく、『整理』しかけてやめたような――、その散らかり具合は、言うなれば、引越し前のそれのようで……。


 もしかして……と思った。


 もしかして千歳ちゃんは高校を卒業したら、ここを出ていくつもりなんだろうか?

 いや、まあ……高校に通うためにここを借りているんだ。当然と言えば当然なんだろうが。全くもって、考えていなかった。あと一年――高校を卒業したら……幼馴染契約も満了となった暁には……そのあと、千歳ちゃんはどこに行くんだろう?


 なんだろうか。何か……胸の奥でモゾモゾと蠢くような、不穏なものを感じた。


「千歳ちゃん――千歳ちゃんは、卒業したら……」


 たまらず、そう問いかけようとしたとき、「さて、と」とまるで俺の声を遮るように千歳ちゃんは言って、こちらに顔を向き直した。


「そろそろ、カレールー、ぶち込んでこようかな」

「ぶち込む……とは大胆な!?」

「白馬くんはここでくつろいでて」


 にこりと微笑み、千歳ちゃんは「ジャケットだけでも脱ぐ? かけとくよ」と手を差し伸べてきた。

 何事も無かったかのよう……なのが、逆に不自然に思えた。

 まだ、引っかかりは残っているが。なんとなく……訊かない方がいいのだろう、と思った。さっきの問いの続き――卒業したら、千歳ちゃんはどこに行くんだ? と。

 ブレザーを脱ぎ、千歳ちゃんに手渡すと、千歳ちゃんはそれをハンガーにかけ、千歳ちゃんの制服に並べるようにハンガーラックにかけてくれた。


「じゃあ、ちょーっと待っててね。今すぐ幼馴染カレーを持ってくるから」


 生気に満ち満ちた瞳をキラキラ輝かせ、いそいそと身を翻す千歳ちゃん。鼻歌交じりにキッチンに向かうその背に、咄嗟に「俺も手伝うぞ」と声をかけると、


「ダメよ」と千歳ちゃんは振り返り、ピッと人差し指を立てた。「白馬くんはそこで踏ん反り返ってればいいの」

「踏ん反り返る……!?」

「大人しく、『千歳ちゃん』に甘やかされなさい」


 フッと不敵に笑って、それだけ言い残し、千歳ちゃんは部屋を出て行った。

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