番外編

幼馴染の初詣(中学二年)

「あけましておめでとうございます! 今年もよろしくお願いします」


 ぴしっと頭を下げて言うと、「もお、ハクちゃん、声、おっきい! 年明けだからって、夜中なんだから」とピーチクパーチクと慌てた小鳥のごとき声が辺りに響いた。

 顔を上げれば、暖かそうな白いコートに、赤いマフラーをしたまりんが、モコモコとしたブーツを履いて玄関にちょこんと佇んでいた。その後ろには、のほほんと見守る寝間着姿のまりんのご両親が。


「いやあ、今年も元気そうでなによりだな、白馬くん。こちらこそ、よろしく」

「神社は混んでるだろうから白馬くんとはぐれないようにね、まりん。白馬くん、ちゃんと付いててあげてね」

「やめてよ、ママ」とまりんは真っ赤な顔して振り返り、「まりんだってもう中二なんだから!」


 ぷんぷんといった様子のまりん。今年も可愛さがはち切れんばかりだ。元旦からそんなに可愛くて大丈夫だろうか、なんて心配になってくるくらい。

 だからこそ、俺がついていてあげなくてはならないわけで――。

 

「ご安心ください!」びしっと言って、俺は自分の胸にドンと拳を叩きつける。「家に辿り着くまでが『初詣』。俺が責任をもって、必ずや、まりんをお家まで送り届けます」

「は……ハクちゃんってば、もお……」


 顔を赤らめたまま、困った様子で口ごもるまりんの後ろで、「そうよねぇ」とまりんのおばちゃんは痩せた顔にほくほくとした笑みを浮かべ、


「白馬くんが一緒なら安心よね。そうじゃなかったら、こんな時間に初詣なんて行かせないわ。――よろしくね、白馬くん」

「はい! この身に代えても、お嬢さんはお守りします!」

「いやあ」と苦笑しながら口を挟んできたのは、酔っているのだろう、赤ら顔のまりんのパパおじちゃんで。「毎年のことだけど……白馬くんは結納でもするような勢いで来るよね」

「恐れ入ります、お父さん!」

「褒めてないよ!? って、『お父さん』はやめてくれる!?」

「え……では、僭越ながら、パパ――と」

「本気で言ってる!?」

「ハクちゃんはいつでも本気だよ、パパ」


 ため息交じりに言って、「行こ、ハクちゃん」とまりんが俺の裾を掴んで玄関を出る。ぐいっと引っ張られるまま、俺も外廊下へと足を踏み出し、


「一時までに戻ります」


 閉じかけの玄関の扉の隙間から、まりんのご両親にそれだけ言ってエレベーターへと向かった。


   * * *


 アパートを出て、歩いて十五分ほど。駅まで続く大通りの途中、小道に入ってしばらく歩いたところにちょっとした林がある。

 住宅街の中に、突然ぽんと現れる林は怪しいことこの上無く、いかにも奥に何かありそうなのだが――そんな期待通り、奥へと進めば鳥居があって、木々に守られるようにしてひっそりと佇む神社がある。そこまで大きくも無く、こぢんまりとしたものだが、元旦となると近所の人たちがどっと押し寄せてきて、町内会のおじさんたちが――工事現場から盗んできたのだろうか、と思ってしまうような――煌々と照らす照明の下で甘酒を振る舞い、社頭ではお守りやおみくじが売られ、祭りのような賑わいを見せる。

 今年も例年に漏れず、俺たちが着いたときには、すでに行列ができていた。


「そういえば……」まりんと一緒に列に並ぶや、俺はハッと思い出し、「それは生足か、まりん?」

「ひょえ……!?」


 ぎくりとして振り返ったまりんの顔は、寒いのだろうか、赤らんでいた。


「な……な……なにを急に!?」

「いや、ずっと訊きたかったんだが、切り出すタイミングが見つからなくて……」

「今もそんなタイミングじゃなかったよ!?」


 コートからちらりと見えるチェック柄のミニスカート。そこから伸びる足は暗がりにもうっすらと白く艶かしく輝いて見え、きめ細やかなまりんの肌以外、布らしき繊維は見当たらない。

 迎えに行ったときから、もしや……とは思っていたが、まりんとの談笑にうつつを抜かしている間にここまで来てしまった。


「ハクちゃん……気になるの、まりんの生足?」


 ゆるやかなウェーブがかった髪をふわりと撫で、まりんは足をもじもじとさせながらそんなことを訊いて来る。


「当たり前だろう!」と俺ははっきりと答え、「まりんの生足なんて見ていたら、俺は……お腹が冷えやしないか、と気が気じゃない!」

「そんな気になり方ある!?」

「しかし、安心しろ。こんなこともあろうかと、ももひきを持って来てある」

「気遣いの方向性がおかしいよ!」


 もお、とまりんは頰を膨らませ、ふいっとそっぽを向いた。


「ま……まりん……?」


 まさか……怒らせた?


「オーガニック素材だぞ!?」

「そういうことじゃないよ!」


 きっと振り返って、そう甲高い声を張り上げるや、まりんははあっと新年早々重い溜息を吐いた。


「今年はまた大荷物だな、と思ったら……そんなものまで持って来てたの?」


 神社に天使が!? と一瞬、驚いてしまうような――実に愛らしい顔を悩ましげに顰め、まりんはちらりと俺の背を……そこに背負っているリュックを見た。


「他に何が入ってるの?」

「よくぞ、訊いてくれた、まりん! 今年の俺は一味違うぞ」

「今のところ、ずっと例年通りだよ」

「去年の初詣を覚えているだろうか?」


 いそいそとリュックを身体の前へと持って来て、もったいぶるようにそう口火を切る。


「去年……って」ええと……とまりんは思い出すように夜空を振り仰いだ。「いつも通り、一緒に初詣に来たよね。中学生になったから、てママがようやく夜中に来るのを許してくれて……初めて、こうして年明けすぐに来たの」

「そうだ。――それで、夜中のテンションでノリノリでおみくじを引いたら大凶が出たんだ」


 まりんの懐かしむような表情に、ぴきりとヒビが入るのが見えた気がした。


「な……なんで、わざわざそんなことを思い出させるの!? もっと他に懐かしむところ、いっぱいあるでしょ! まりん、本当にショックだったんだから!」


 当然、覚えている――。

 どれほど、まりんがショックを受けていたか。見ていられなかった俺は、もう一度、チャンスをください――と、おみくじを売っていた巫女のお姉さんに頭を下げに行ったが、『おみくじなので』と困惑気味に断られた。

 だから、今年はそんなことにならないように、と俺は万全を期したのだ。


「今年は安心していいぞ、まりん」


 勢い込んで言って、俺はバッグの中からあるものを取り出し、ずいっとまりんに差し出した。


「今年は俺がおみくじを作って来た!」

「へ……」


 目の前のそれを――ラッコのマーチの空箱を折り紙で装飾した手作り『おみくじ箱』を――まりんは呆然と見つめて、小首を傾げた。


「おみくじを……作って来た?」

「ああ。その箱の中には運勢が書かれた割り箸が入っていて、シャカシャカ振って逆さにすると、てっぺんに小さく開けておいた穴から一本だけ出てくる、という仕組みだ」

「へえ……」


 星空でも詰め込んだかのような、キラキラ輝く眼をまん丸にして、まりんは俺のDIY『おみくじ箱』を手に取った。


「まりんに……作って来てくれたんだ?」

「そうだ、まりん専用おみくじだ。中身は全部、大吉にしてある」

「そっか。全部、大吉にしてあるんだ――って、全部、大吉なの!?」


 ぎょっと目を見開き、「なに、そのおみくじ!?」とまりんは勢い勇ましく俺を見上げてきた。


「オリジナルが過ぎるよ!」

「だ……ダメか!?」

「ダメというか、もう根底を覆しちゃってるよ! それじゃ、ただの『割り箸をシャカシャカする箱』じゃん!」

「いや、しかしだな……一本一本、内容が違うんだ」

「内容?」


 まりんははたりとして、「ああ……」と納得したように呟き、『おみくじ箱』に視線を戻した。


「どんな一年になるか、みたいなの? 願い事は叶うだろう、とか……失くし物はすぐに見つかるでしょう、とか……」ぼそりとひとりごち、まりんはクスリと微笑んだ。「そこまで……全部に書いてくれたんだ。もお、本当にハクちゃんは……」


 ん……? 願い事? 失くし物? おみくじって、そんな内容だっただろうか――と眉を顰めている内に、まりんはすっかり機嫌を直した様子で「それじゃ、シャカシャカしちゃおうかな」と『おみくじ箱』を振り出していた。そして、えい、と逆さにして、出て来た割り箸を手に取り――、


「うん、大吉だね」


 呆れ気味に苦笑するまりん。うんうん、と俺はその横で深々と頷く。

 当然――割り箸のてっぺんには油性ペンで俺が書いた『大吉』の文字。DIY万歳だ。

 まりんは「相変わらず、達筆だなぁ」なんてぼやきつつ、「それで、内容は……」と『大吉』の下に続く文章へと視線をずらし、


「『手洗いうがいは基本だぞ、まりん!』」


 読み上げるなり、まりんはぴしりと凍りついたように固まった。

 辺りには甘酒の香りが漂い、遠くからは鈴の音がカランカランと聞こえて来ていた。新年に沸く参拝客の賑わいの中、まりんだけが無表情で佇み、


「ねぇ、ハクちゃん」とぎゅっと割り箸を握りしめ、重々しく口を開いた。「他の『内容』も……こんな感じなのかな?」

「こんな感じ……というのがよく分からないが、まあ、そうだな? 文体は同じだ。俺がまりんに伝えたい十のこと――だな」

「どこの邦題!?」


 もお、とぷりっぷりに頰を膨らませ、まりんは俺をきっと睨みつけ、


「これ、ただの『ハクちゃんからのメッセージ箱』じゃん!」


 その声は除夜の鐘の如く、境内によく響き渡った。


*   *   *


「ねえ、ハクちゃん」


 紆余曲折はあれど、無事、お賽銭箱まで行き着き、参拝を終えたときだった。くるりと身を翻し、次の人と入れ替わるようにお賽銭箱を後にしようとしたとき、まりんが背後で呼ぶのが聞こえた。


「ん? どうした?」


 足を止めて振り返ると、まりんがちょこちょこと歩み寄って来て、


「何、お願いしたの?」


 俺の隣に並ぶや、こっそりと内緒話でもするように訊いて来た。


「何って……」


 言いながら、まりんと並んで歩き出す。


「いつもので! と頼んだ」

「常連客!? って、ハクちゃん、神様にもそんな態度なの!?」

「そんな態度って……なんだ?」

「神をも恐れぬふてぶてしさだよ、もお」


 呆れを通り越して感心したような……そんな表情でまりんは俺をまじまじと見つめ、


「まさか……毎年、そんな感じ?」

「まあ、毎年、同じことをお願いしてるからな」

「そう……だったんだ。どうりで、毎年、お祈り早いと思った。それで――毎年、何をお願いしてるの?」


 少し先――鳥居のほうまで見渡せば、甘酒を求めて群がる人だかりでごった返していた。例年以上の盛況ぶり。偶然、知り合いが一堂に介して屯っている、て感じだろうか。参ったな、なんて思いながら遠目からそれを眺め、


「まりん――」

「え? なに?」

「だから……まりんだ」と改めて、まりんに視線を戻す。「俺の願いはまりんだ。また一年、まりんが健康で過ごせますように、と……それが毎年の俺の願いだ」


 ハッと目を見開き、まりんははたりと立ち止まった。


「それが……ハクちゃんの……願い? ずっと……?」

「ああ、そうだ」と頷きながら、俺も立ち止まる。

「それで……いいの?」

「それでいい、て……どういう意味だ?」

「他に……は? 他に……ハクちゃんは、何もお願いしなくていいの?」


 なぜ、そんなことを訊くのだろう――?

 まりんはとっくにそのを知っているはずだろうに。

 俺が神様に願うこと……なんて。そんなの、まりんだけだ。まりんが無事ならそれでいい。俺はそれ以外に望むことなんて無い。


「他には何も無い。まりんが無事なら、他はどうでもいい」


 はっきりとそう言い切ると、まりんの表情はたちまち強張り、気のせいか、怯むような……躊躇いの色が見られた。曇りというよりは翳りに近い――その不穏な気配に「まりん、どうした……?」とふらりと近寄ろうとしたとき、


「!?」


 ブーッとポケットの中で震えるものを感じて、慌てて取り出すと――、


「あ……時間か!」


 何かあったときのために、と父親から借りたスマホだった。約束の一時までにまりんの家に戻れるように、と十二時四十分にアラームをセットしていたのだが……もうそんな時間になっていたとは。とりあえず、参拝はギリギリで終わったから良かったものの、急いで帰らねば。

 無事にまりんを家に送り届けるまでが、俺の『初詣』だ――。


「まりん……!」気を引き締め、まりんをきりっと見つめ、「まずは、あの人だかりを突破せねばならん」

「人だかりって……」


 ちらりと、鳥居の周りで甘酒に群がる人混みを視線で示す。すると、「わあ……」とまりんは感嘆と動揺が入り混じったような声を漏らし、


「はぐれ……ちゃいそう」


 その通り。

 俺は問題ないが、小柄でか弱いまりんをあんな有象無象の甘酒軍団の中に投じればどうなるか。想像に難く無い。大海の荒波にアヒルのおもちゃを浮かばせるようなものだ。はぐれた挙句、もみくちゃにされるのは必至。危険極まりない。となると――。


「まりん、ちゃんと捕まってろよ」

「え……なに、急に……」


 戸惑うまりんに構わず、ざっと砂を蹴ってすぐ傍に詰め寄ると、その背に手を添え、もう一方の手でひょいっと脚を掬い上げるようにして、まりんの身体を宙に抱え上げた。


「ひやあ……!? ちょ……ちょっと、ハクちゃん!? な……なんで、いきなりお姫様抱っこ!?」

「はぐれないためだ」

「もっと他にも方法あるよ!?」

「そうか、すまん。思いつかなかった。これが一番しっくり来る」

「ええ……!?」


 わあきゃあ、とじたばたとしていたまりんだったが、ようやく鎮まり、俺の腕の中できょとんとしてしまった。心まで覗き込んでくるような、透き通るような純真そうな瞳で、これでもかとまっすぐに俺を見つめて……。

 やがて、まりんはため息混じりに力無く微笑んで、


「ハクちゃんはほんと変わらないね。今年も……」

「そう……か? 今年始まってまだ四十分ほどだが」

「うん」とクスクスと肩を揺らしてまりんは笑う。「そうだよ。ハクちゃんは、きっとずっと変わらないんだ」


 ひとりごちるようにそう言って、まりんは俺の首に腕を絡めつけるようにしてぎゅっとしがみついてきた。


「来年も……一緒に初詣来れるかな」


 俺の肩に顔を埋め、まりんはぽつりと言った。

 なぜ、そんな分かりきったことを――と俺はつい、顔を顰めていた。


「ああ、当然だろ」ときっぱり言って、俺はまりんを抱えたまま歩き出す。「幼馴染だからな」


 生お姫様抱っこだ、とひそひそとざわめく声が辺りに響く中、歩いていると、


「幼馴染だから……か」


 気のせいか、噛み締めるように呟いたまりんのその声は、どこか寂しげに聞こえた。


*あけましておめでとうございます! 昨年は大変お世話になりました。これまで応援やコメント、レビュー等くださった方々、本当に心から感謝しております。

 せっかくなら、と思ってお正月用の番外編を描いてみましたが……楽しんでくださっていれば嬉しいです。


 途中でひどいスランプに陥り、昨年は全く文章が出て来なくなった時期もありました。まだ、完全には脱出できていませんが……それでも書き続けていられているのは、皆様の応援あってのことです。この場を借りて御礼申し上げます。


 本作は今年の2月まで開催中のカクヨムコンに参加しております。もし、ちょっとでも拙作をお楽しみいただけていたら、レビュー☆をいただけると、大変ありがたいです!


 今年中に完結できるか分かりませんが、本年も引き続き、よろしくお願いいたします。

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