第13話 究極の選択①

 目の前の棚には、同じ大きさの箱が秩序正しく、整然と並んでいた。それぞれ、パッケージのデザインもそこに書かれた商品名も違う……が、共通していることは――。


「さあ、白馬くんはどのカレーがいい!? 好きなの選んでいいよ!」


 ばっとカレールーの棚を手で指し示し、千歳ちゃんはウキウキとした様子で言い放った。

 キラキラ輝く瞳で、さあさあ、と期待いっぱいに急かすように見つめられ、思わず、「おおう……」と唸り声にも似た妙な相槌が溢れる。

 『一番大事なもの』とやらを探して、千歳ちゃんに連れられて来られたのは、駅前のスーパーだった。なるほど、『一番大事なもの』とは非常時用のミネラルウォーターか! と納得したのも束の間、千歳ちゃんがまっすぐ向かったのは、ここ――カレールーが並ぶ棚だった。


「ち……千歳ちゃん? 俺の好みを聞きたい、というのは……」


 困惑しつつも訊ねると、「カレーだよ」と千歳ちゃんはけろりと迷いなく答えた。


「カレールーって、ブランドも辛さもいろいろあるでしょ」と苦笑しながら、千歳ちゃんはカレールーの箱を一つ手に取った。「そういえば、白馬くんの味の好みとか全然知らないな、て思って……どうしようかな、て迷ってたんだ」

「なるほど……」


 思わず、そう呟いてから、いや――とハッとする。

 なるほど……なのか!?


「つまり、一番大事なものとは……!?」

「カレールー」さらりと答え、千歳ちゃんは持っていたカレールーの箱を棚に戻した。「学校から帰ってすぐ、用意始めて、圧力鍋で具材も煮て、あとはルーだけ……てところで、ルーを切らしていることに気づいて、慌てて買いに出て来てたの。カレー作りに一番大事なものはカレールーでしょ」

「ああ、まあ……そう、だな?」

「そこで、白馬くんを見かけて……そうだ、本人に直接聞いちゃえ! と思ったんだ」


 もう運命だよね〜、と頬を両手で包み、ほくほくとして身体をくねらせる千歳ちゃん。

 楽しそうでなによりだ……が、俺はといえば、まだ全てを把握できていなかった。水を差すようで気が引けるが、「あー……千歳ちゃん?」とおずおずと訊ねる。


「幼馴染として期待に応えねば――と言っていたのは、もしかして……」

「カレーだよ」

「カレーなのか! って、いや……なぜ、カレーなのか!?」

「幼馴染が部屋に来れば、当然、あの流れは必須でしょう」


 急に神妙な面持ちになり、千歳ちゃんは俺をじっと見つめてきた。なぜ、そんなことを聞くの? とでも言いたげな、どこか寂しげな眼差しで……。

 ただならぬ切実とした雰囲気に、つい、ごくりと生唾を飲み込む。

 海の向こうで日本の漫画やアニメ、ドラマを観てこちらの文化を勉強し、幼馴染に憧れてきたという千歳ちゃんだ。幼馴染を失格になった俺以上に、きっと幼馴染について知り尽くしているに違いない。実際、昨日も『幼馴染の古典』がどうの、と言っていたし……。

 俺は物心ついてからまりんの幼馴染をしてきた。幼馴染歴だけなら、この国の誰にも負けない自信がある。しかし、幼馴染に『古典』なんてものが存在しているとは、千歳ちゃんから聞くまで知りもしなかった。

 もしかしたら、そういうところも問題だったのかもしれない。

 俺は『幼馴染』というものがなんたるかを――、『幼馴染』としてあるべき姿を―――、正しく理解していなかった。だから、まりんを苦しめることになって、幼馴染をクビになったのかもしれない。

 もう二度と、同じ過ちは繰り返したく無いと思うから。今度こそ、ちゃんと『幼馴染』として、千歳ちゃんを正しく守りたいと思うから。千歳ちゃんを苦しませるような『幼馴染』にはなりたくないと思うから――。

 ぐっと拳を握り締め、俺は千歳ちゃんに身体を向けると、きりっと顔を引き締め、


「あの流れ……とは、なんだろうか、千歳ちゃん!? すまんが、全く分からん。ぜひ、教えて欲しい」


 すると、「え……」と千歳ちゃんは怯む様子を見せ、


「こ……ここで……!?」

「部屋に着いてから、抜かりなく『あの流れ』を全うするためにも……差し支えなければ、この場でご教授いただきたい」


 ぴしっと背筋を伸ばし、そう願い出ると、千歳ちゃんは心なしか頰を赤らめ、辺りをちらちらと見回した。

 子供の笑い声と、その母親だろう、「待ちなさい」と叱る声が遠くから聞こえ、夕方ということもあって賑やかな店内だが、俺たちの周りには他に買い物客の姿は無い。それを――人気がないのを――確認したかったのだろうか、千歳ちゃんはホッとしたように少し表情を和らげてから、「じゃあ……」とコホンと咳払い。


「初めてだから……まりんちゃんみたいに上手にできないかも、だからね?」


 やはり、顔が赤い――。

 明らかに恥じらいが見て取れた。

 ステージ上で全校生徒を前にしても、凛々しく冷静で、自信に満ちたその笑みを数ミリたりとも崩すこともなかったのに。今、目の前にいる彼女は、あからさまに狼狽え、上気した顔に戸惑いさえ浮かべて、もじもじとしている。

 他には誰もいない――まるで二人きりだけの空間で、俺だけに恥ずかしそうな姿を晒す彼女に、何か……胸の奥で疼くものを感じた。

 そうして、気が抜けるようなスーパーのテーマ曲が流れる中、千歳ちゃんはちろりと俺を上目遣いで見つめ、小首を傾げて言った。


「『いらっしゃい、白馬くん。これからどうする? カレーにする? それとも……わ、た、し?』」

「へ……」


 思わぬ問いに、呆けた声を漏らし、ぽかんとして固まってしまった。しばらく、何も考えられず、茫然としてから、


「な……なんだ、その二択は!? どういう状況なんだ!?」


 ちょうど、子連れのママさんがやってきたときだった。困惑のあまり、俺は野太い声を辺りに響かせていた。


*あくまで、千歳の個人的な見解です。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る