第9話 花束を誰に⑧

 俺の気持ちとは……どういうことだ?

 ぽかんとしていると、「あー……」と気まずそうに言う声が聞こえて、


「俺も……もう行くな」と本庄が笑みを歪ませながら言った。「これ以上は、俺がいても邪魔になるだけだろうし」

「邪魔って……何を言っているんだ、本庄!? 本庄はそこに居てくれるだけで安心できる菩薩のような存在だ!」

「いや……ありがとう――だけど、そういう気遣いが欲しかったわけじゃないかな」


 はは、と乾いた笑いを漏らし、本庄はちらりと千歳ちゃんを見遣った。


「千早先輩の言う通り……あとは、国矢の気持ち次第なんだと思うよ」


 な……なんだって? 本庄まで、『俺の気持ち』と……?

 なんなんだ? どうして、急に、千歳ちゃんも本庄も俺の気持ちを気にしだしたんだ?


「ほ……本庄……」


 今こそ、そのとき。フォロワーである本庄の助言がほしいところなのだが。俺の呼び止める声に後ろ髪を引かれる――どころか、茶色がかった黒髪をさらりとなびかせ、本庄は「それじゃあ、失礼します」と身を翻して駅へと歩き出してしまった。


「また、明日、お昼休みにね〜、本庄くん」


 呆然と立ち尽くす俺の隣で、のほほんと言う千歳ちゃん。やがて、本庄の背が老若男女の人波の中に消えると、辺りには夕暮れ時の忙しない喧騒だけが響き渡り――、なんとなく……だが、千歳ちゃんがこちらを見ているのか分かった。火で炙られるかの如く、その視線が肌にじわじわと伝わってくるようで……。

 ごくりと生唾を飲み込む。

 間違いなく、千歳ちゃんは俺の答えを待っている。その気配をはっきりと感じつつも、肝心の『答え』が出てこなかった。

 俺の気持ち――なんて……いきなり聞かれても、何を答えればいいのか、さっぱり分からん。今現在の喜怒哀楽を答えればいいのか? なんのためだ? どんな風に? 数値化するのか? パーセンテージか? どれかと言われれば……困惑全振りだぞ!?


「また、その顔だ」


 いったい、どうすればいいんだ!? ――と焦りばかりが募り、今にも奇声を発しそうになったときだった。ふいに、千歳ちゃんがぽつりと呟くのが聞こえて、


「私の方こそ、さっきちゃんと言ったはずなんだけどなぁ。私は白馬くんを困らせたくて幼馴染になったわけじゃないだ、て」


 困らせ……って、え? 確かに、さっきも千歳ちゃんはそんなことを言っていた気がするが、なぜ、またそれを今ここで……?

 おずおずと振り返ると、千歳ちゃんは穏やかな眼差しで俺を見上げ、やんわりと微笑んでいた。


「その花束、本当は彼女に渡すつもり……だったんだよね?」

「彼女って……」


 一瞬、眉根を寄せてから、いや――とハッと目を見開く。

 訊くまでもない。


「違うぞ、千歳ちゃん!?」ばっと千歳ちゃんに身体を向け、俺は慌てて声を上げた。「この花束はまりんにではなく、本当に……」


 千歳ちゃんにだ――と言いかけた言葉がはたりと途切れた。

 ちらりとガーベラの花束へ視線を向けたその瞬間、あれ……と違和感を覚えてしまった。

 誰がなんと言おうと、これは千歳ちゃんへの花束で、千歳ちゃんに渡そうと思って選んだものだ。それなのに……ガーベラを見た瞬間、ぱっと思い浮かんだのはまりんで。初めて、花束を渡したとき、『まりん、ガーベラ大好き!』と声を弾ませ、嬉しそうに言ったまりんの笑みが脳裏をよぎった。千歳ちゃんではなく……。


 ああ、そっか――とそのときになって気づいた。


 春が旬の花なんて他にもたくさんある。いくらでも選択肢はあった。それでも、花屋の中を見回すこともなく……ずらりと咲き誇る花々に目もくれず、『いらっしゃいませ』の声に俺は反射的に『ガーベラ』を口にしていた。当然のように、ガーベラなら間違いない、と思ったんだ。春だから……じゃない。千歳ちゃんに似合うから……じゃない。まりんの好きな花だから――。


「やっぱり……白馬くんは優しい嘘吐きだ」


 ふふ、と笑いながら、千歳ちゃんがやんわり言うのが聞こえて、ハッと我に返る。

 あ、しまった……と思ったときには、その『沈黙』が充分に『答え』になるほどの間が空いてしまっていた。

 咄嗟に千歳ちゃんに視線を戻せば、「渡しておいで」と続ける千歳ちゃんの声には確信がこもり、俺を力強く見つめる眼差しは励ますようなそれに変わっていた。


「もし、要らない、て言われちゃったら、その花束は私が喜んで受け取ってあげる。泣き言だっていくらでも聞いてあげるし、たくさん慰めてあげる」


 ぽんと優しく俺の腕に触れながら、千歳ちゃんはそんなことを言って、「大丈夫だよ」とふっと微笑んだ。


「白馬くんには、私が――『幼馴染』がついてるから。一年だけの期間限定のニセモノだけど……その間は、ホンモノだと思って頼ってくれていいの」


 だから、安心して行っておいで――と囁くように言う千歳ちゃんに、俺は何も言い返せなかった。言葉が何も出てこなかった。ただ、千歳ちゃんを見つめて、電柱の如く、その場に佇んだ。

 初めて……だったから。

 大丈夫だ、て――、頼っていい、なんて――、そんなことを誰かに言われたのは初めてで……。

 なんだろう。この感じは、なんなんだ?

 柔らかく、それでいて、芯の通ったその声が、心にじんわりと沁みこんでくるようで。力強いその言葉に、俺の中で何かが震えるのを感じて。

 言葉にならない――言葉にできない熱い何かが、身体の奥底からぐわっと込み上げてくるようだった。たちまち、全身がうずうずとしだし、


「すまん、千歳ちゃん! ちょっと……ここで待っててくれ!」


 たまらずそう言って、千歳ちゃんを置いて駆け出していた。

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