第3話 花束を誰に②

 ぞっと背筋が凍りつく。

 しまった――と身体中の全神経が悲鳴を上げるのが聞こえたようだった。


「ち……違うぞ!?」と慌てて言って、俺は振り返る。「せめて、まりんが無事に駅に入るのくらいは確認したい、と思ってだな、その辺に隠れて見届けようと思ってただけだ!」

「そんなこと考えてたのか!?」

「正真正銘、待ち伏せじゃん!」


 それぞれ、驚愕と呆れの声を上げた本庄と真木さん――をよそに、まりんだけは茫然としていた。くりんとした目をまん丸にして、口許をぽかんと開け……二人とはまた違う『驚愕』の様子で、真っ直ぐに見つめていた。俺の手元で、幾重にも重なる小さな花びらを大きく開き、太陽の如く咲き誇るガーベラの花束を。

 そんなまりんに一瞬ほど遅れて、真木さんが「ん?」と訝しげに顔をしかめ、


「なに……その花束?」と花束を指差してきた。「なんで、一人だけ卒業式みたいなことになってんの?」


 すると、「あ、これは……!」となぜか、本庄が慌てて声を上げ、


「俺のなんだ! 親に頼まれちゃって……」

「『俺の』なのか!?」


 ぎょっとして見やれば、


「な、国矢?」と何か言いたげな目配せをしてきて、本庄は俺に手を差し出してきた。「靴紐直している間、持ってもらってたんだよな。――ありがとな。もう大丈夫だから、自分で持つよ」

「靴紐がどうしたんだ!? 大丈夫か!?」

「そこ……はいいから!」一気に笑みを引きつらせ、本庄は苦しげな声を絞り出すように続ける。「早く……花束、返してくれる?」

「返すも何も……すまん! 本庄の親御さんの分はないぞ! これは一輪もれなく全部、ちと――」


 言いかけた俺の言葉を遮るように「うわあ、ちょっ……!?」と本庄が奇声を上げ、そして、「もしかして――」と真木さんの嬉々とした声が辺りに響き渡った。


「それ、まりんに!?」


 まりんに……?

 思わぬ問いに「へ……」と振り返ると、


「ほらね! だから言ったでしょ、まりん! 国矢くんは何があってもまりん一筋だ、て。会長のこともあの写真も、何かワケがあるんだ、て! あんたがいろいろ難しく考えすぎなの。ちょーっとは、国矢くんの猪突っぷりを見習いなさい!」


 意気揚々と捲し立て、真木さんは「え、でも……」とおろおろとするまりんの腕をむんずと掴み、問答無用の勢いで俺の前へと引きずり出した。


「はい、どーぞ! 仲直り!」

 

 仲直り!? 仲直りって……今? なぜ、このタイミングで? てか、できるのか……!? 記憶喪失願いを今朝、出されたばかりなんだが……!?

 興奮と期待の眼差しで見つめる真木さん。アルミホイルでも噛み締めているかのような渋い表情を浮かべる本庄。何事だろうか、と訝しげな視線を向けつつ、通り過ぎていく通行人。そんな中、俺とまりんは向かい合って黙り込んだ。

 なんだ? なんなんだ、この状況は? どうすればいいんだ?

 とりあえず、俺は千歳ちゃんのところに行く前に、まりんが無事に駅に辿り着くのを見届けようと思っていただけで……それ以上のことは何も計画していなかった。まりんのことは忘れて――とまで言われたあとで、それ以上のことができるとも思っていなかったし、まして、仲直りなんて……望んでいいものだとさえ思ってもいなかった。

 直せる……ものなのか? まりんとの仲は……『ただの同中』にまで成り下がったこの関係は、元に戻せるものなのか? まだ、前みたいな幼馴染に戻れるのか?


 でも……と、ふと、考えている自分がいた。

 戻ったら、どうなる? まりんと幼馴染に戻ったら、千歳ちゃんとの関係は……『契約』はどうなるんだ――?


 無意識に花束を掴む手に力がこもって、くしゃりとラッピングが擦れる音がした。

 なんでだ? なんで、こんなに胸がざわつく? 唐突とはいえ、ここまでお膳立てされて……仲直りできるチャンスを与えられて……俺は何を躊躇ってるんだ? なんで、千歳ちゃんのことばかり頭をよぎる?


「あ……の……」と俯き加減で俺を見上げ、ふいに、まりんが口を開いた。「綺麗な……ガーベラだね」

「あ……ああ」


 突然言われ、反射的にガーベラを見下ろしていた。


「花屋のおばさんも誇らしげだった」

「そっか……」


 穏やかにやんわりと相槌打ってから、まりんは「なんで――」と今度は消え入りそうな声で続けた。


「なんで……まだ、そこまでしてくれるの……?」

「なんでって……」


 なんだ、その質問は?

 怪訝に思ってまりんに視線を戻せば、まりんは切なげに眉を顰め、張り詰めた表情で俺を見上げていた。その澄んだ瞳を清らかな水面のようにキラキラと輝せながら……。


「もう幼馴染じゃない、て……何度も言ってるのに。もういい、て言ったのに。もう……全部、忘れていい、て言ったのに。それなのに、なんで……」


 必死に……まるで縋るような声色で、まりんが何かを問いかけた――そのときだった。

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