第2話 花束を誰に①

 引っ越してきてから二ヶ月ほど経ったくらいだっただろうか。環境の変化によるストレスや疲れもあったのだろう、ひどい発作が起きたらしく、しばらくまりんは入院することになった。

 常に飛び跳ね、走り回り、隙あらば泥にまみれ……やんちゃの限りを尽くしていた当時の俺は、全身傷だらけがもはやデフォルトだったが、それでも、骨折の類はしたことがなく、病気と言えるものも皆無で、病院の世話になったことはなかった。血筋ってやつなのか、類は友を呼ぶ……とでも言えばいいのか、じいちゃんばあちゃん含めて親戚一同も同じような感じで、それまでの俺は病院とはまるで無縁の境遇にいた。だから、『今度、病院にお見舞いに行きましょう』と母親に言われたときは妙に緊張して……そして、どこかワクワクもしたんだ。まだ、その頃の俺は、まりんの病気のことを――一歩間違えば、命取りになるようなものだということを――分かってはいなかったから……冒険にでも出かけるような気分だった。

 見舞いに行く当日、『生花は持ち込み禁止らしいから』と、前もって、母と一緒に選んで予約しておいたプリザーブドフラワーを花屋で受け取って病院へと向かった。小さな木製のバスケットの中に、三本の黄色いガーベラと、その隙間を埋めるように白いアジサイが敷き詰められたアレンジメントだった。

 それが、俺が初めてまりんに渡した花だった。

 今もはっきりと覚えている――。

 病室の前でまりんのおばちゃんと立ち話を始めた母親を置いて、一人で先に病室に入り、とりあえず『はい、これ!』と押し付けるようにまりんにそれを渡すと、


 ――わあ、まりん、ガーベラ大好き! ありがとう、ハクちゃん!


 窓際のベッドで、まりんは弾けんばかりの笑みでそう言った。その瞬間、辺りがぱあっと光に満ちたような感じがして。それまで病室に立ち込めていた重い空気が一気に吹き飛んだようだった。


「小さい頃から、まりんは花が好きでな」


 駅に向かって歩きつつ、俺は呟くようにそう口火を切った。


「昔、ガーベラをプレゼントしたことがあって……そのとき、まりんがあまりに喜んでくれたから、俺も嬉しくなって、それからというもの、まりんの部屋に遊びに行く時は、道端で花を摘んで持って行くようになったんだ。その度に、まりんは花の図鑑を出して、それがどんな花なのかを教えてくれた」

「なるほど……」と隣で俺と歩を合わせながら、本庄は相槌打った。「どうりで、花に詳しいわけだ」

「『詳しい』と言えるほどではないぞ。まりんに比べたら、俺はカッパだ」

「いや、なんでカッパ……って、もういいや」と、なぜか呆れたように言ってから、本庄は「そんなことより」と声を低くした。「だから、会長のところに花束持って行こう、て考えになったわけか? いつも、高良さんの部屋に花を摘んで持って行っていたから……?」

「もちろん、その辺の雑草まがいの花を、まりんの部屋に持ち込むのはやはり衛生的に良くないからな。まりんのおばちゃんにやんわりと止められて、道端で摘むのは早々にやめた。そのあとは、毎年、誕生日に花束を贈るのが習慣になって――」

「誕生日に花束!?」


 ぎょっとして、本庄はイケメンらしからぬ頓狂な声を上げた。


「なんだ? なんで、そんなに驚く? 変なのか? まりんはいつも喜んでたぞ。一年で一番良い笑顔を見せてくれる。まさに、天使の微笑みでな。毎年、俺がプレゼントをもらっている気分で……」

「いやいやいやいや、待って待って待って!」


 なぜか、慌て出した本庄は――ちょうど、駅前の大通りに出たところで――俺の腕をがっしり掴んで立ち止まった。


「忘れ物か、本庄?」

「もはや、いろいろ忘れたいよ! 今、聞いちゃった話も全部」と何やら投げやりに言ってから、本庄は苦渋に満ちた表情で俺を見上げてきた。「俺が買い取ってもいい――だから、その花束を会長に渡すのはやめるべきだ!」

「やめるべき、てなんでだ? 綺麗なガーベラだぞ」

「そのガーベラってのもまずいんだ、て」

「何が、そんなにまずいんだ?」と小首を傾げてから、ハッと気づく。「そうか……千歳ちゃんがキク科の花粉症という可能性もあるのか!」

「いや、そういう問題じゃ無くて……ガーベラって、高良さんに初めて渡した花なんだろ!?」

「そう……だが?」

「そんな二人の思い出の花を、他の女の子に渡しちゃダメだろ! 万が一、高良さんが知ったら――」


 必死に訴えかけるように畳み掛けてきた本庄の言葉を、「あれ、国矢くん?」という凜とした声が遮った。


「そんなところで何してるの?」


 頭を抱え、「まじかぁ……」と魂でも抜け出そうな力無いため息を吐く本庄を横目に振り返れば、


「もしかして、待ち伏せ……してたとか?」


 背後のコンビニからちょうど出てきたのは、キリッとしたつり目が印象的な黒髮ボブの女子生徒。


「真木さん……」


 ぽかんとして呟くようにその名を呼ぶと、その人物――まりんの唯一無二の親友、真木さんは、仕方ないな、とでも言いたげな微苦笑を浮かべ、「ほらほら、お迎えだよ」と後ろを振り返った。

 すると、「や……やめて、てば、柑奈ちゃん!」とコソコソ言いながら、真木さんの背後からおずおずと気まずそうにまりんが現れた。

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