三章

第1話 幼馴染の手土産

 一歩足を踏み入れると、そこは芳しい香りに満ち満ちていた。見渡す限り、様々な花々が並び、辺り一面を鮮やかな色で染め、まるでこの世の春がこの場に凝縮されているかのよう。

 そんなエデンの園の如き店の奥から、「いらっしゃいませ」と黒のエプロンをした人の良さそうなおばさんが出てきて、


「何かお探しですか?」


 朗らかな笑みでそう訊ねてきた。

 俺はぴしっと背筋を伸ばし、


「ピンクとオレンジのガーベラの花束をお願いします。可愛らしい感じで」


 さらりとそう答えた。その瞬間、


「なんで!?」


 ぎょっとした声が後ろから飛んできた。

 振り返ると、辺りに咲き誇る花々すら霞んでしまいそうなほどのイケメン――本庄が、そのアイドルさながらの顔立ちに似合わぬ深い皺を眉間に刻み、実に悩ましげな表情を浮かべて立っていた。


「なんでって……」ときょとんとしながら、俺は答える。「この時期はガーベラだろう」

「そうなんだ――じゃなくて、なんで花束!?」

「千歳ちゃんの部屋に招かれたんだ。手ぶらでは行けないだろう」

「そ……それはそう、なんだけど……思いの外、常識的な答えなんだけど……そういう問題じゃなくて……」


 ぶつくさ言って口ごもると、うーん、と唸りながら本庄は頭を抱えた。

 今日は生徒会の仕事もないから、放課後、ウチに来ない? ――そう千歳ちゃんにお誘いを受けたのが昼休みのこと。住所とともに連絡先もその場で交換し、六時に千歳ちゃんの部屋で待ち合わせ、となった。

 そんなわけで、六時限目が終わるなり、さっそく手土産を……と駅前の花屋に寄ったのだが、


「いや……やっぱり、おかしいよな!?」


 ありがとうございました〜、という晴れやかな店員のおばさんの声を背に、実に可愛らしくアレンジされたガーベラの花束を手に店から出たところで、本庄が再び苦悶に満ちた声を上げた。


「いったい、どうしたんだ、本庄? 華やかなガーベラに、控えめなかすみ草はよく合う――」

「アレンジの話じゃなくて!」と困惑もあらわに言って、本庄はぴたりと足を止めた。「手土産を持って行くのは、まあ、常識的というか律儀で良いと思うんだけど……花束ってどうなんだ!? 正直、女の子に花束持って行くのって、超上級者の手口か、ど素人の過ちか、どっちかだと思うんだけど!?」

「超上級者? ど素人?」俺もつられたように足を止め、本庄を訝しく見る。「いったい、何の話をしているんだ? 華道の話か?」

「華道の話をするわけないだろ!? そうじゃなくて……」


 何やら言い淀んで、本庄は辺りを見渡した。

 駅前とはいえ、大通りから小道にはいった路地。車通りも人気もそこまで無い。たまに車や自転車が通り過ぎ、ちらほらと俺たちと同じ制服を着た学生や、サラリーマンらしきスーツを着たおじさんの姿が見受けられるのみ。

 だから――だろうか、本庄はホッとしたように溜息吐いて、今度は落ち着いた面持ちで俺を見上げて言う。


「国矢、ちゃんと分かってるのか? 会長、一人暮らしで……その部屋に呼ばれたんだぞ? つまり、女の子と二人きりで部屋で会う、てことだ」

「そんなことは分かってるぞ? だからこそ、こうして花束を用意したんだろう」

「だからこそ、て……」


 ちらりと花束を見下ろして、思い出していた。

 花があるだけで、部屋が明るくなって気分が良くなる――そうまりんは言っていた。

 まだ出会って間もない頃。初めて、まりんの病室に見舞いに行ったときだった。

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