第23話 ホンモノ②

 一瞬、何を言われたのか、分からなかった。

 辞めるって……? 千歳ちゃんの……幼馴染を?


「今なら、まだ間に合う」きりっと凛々しい顔つきで言って、千歳ちゃんは迷いない眼差しで真っ直ぐに俺を見つめてきた。「クラスの子達には、喧嘩した、てことにして、フェードアウトすればいい。しばらくは騒がれるかもしれないけど、人って元来飽きっぽいものだから、そのうち、皆、興味失くして忘れる。

 『徒然タイムズ』にも白馬くんの名前は出さないよう、もう荻くんと話はつけてある。私たちが幼馴染だと偽っていた物的証拠はどこにも残らない。今辞めれば、いくらでも風化させられる」


 え――と目を瞠った。

 『徒然タイムズ』って、確か、校内新聞の……?

 ざあっと今朝の出来事が脳裏をよぎる。荻先輩との千歳ちゃんの記事を巡る言い争い――『黒船航海誌』なんて見出しで千歳ちゃんの記事を書こう、という新聞部の先輩に頭を下げて『やめてほしい』と訴えたこと。それでも、自分のことは何を書いてもいいから、と俺を庇おうとする千歳ちゃんに、俺を守らなくていい、と食い下がったこと。

 もうで話はついたんじゃなかったのか!?


「俺の名前は出さないって、なんで……!?」思わず、俺は声を荒らげ、千歳ちゃんに迫っていた。「俺は記事にされても構わない、と今朝、言ったはず――」

「それで、私がおいそれと記事にさせると思った? 白馬くんが厭な思いをするかもしれない、て分かってて?」


 眼鏡のレンズの奥できっと鋭く瞳を光らせ、千歳ちゃんは冷静な声色ながら、ばっさり俺の言葉を断ち切るようにぴしゃりと言った。

 決して責め立てるような口調では無かった。それでも……気迫とでも言えばいいのか、言い知れぬ圧力のようなものがあって、圧倒された。言葉も出ず、唖然とする俺に、千歳ちゃんはふっと表情を和らげ、


「私を守る、て言ってくれたの、嬉しかった。でも……『俺を守らなくて良い』なんて、寂しいこと言わないで。白馬くんは私にとっても『大事な幼馴染』なんだから。――私にも守らせて」


 まるで慰めるように、そよ風みたいに柔らかな声色で、千歳ちゃんは言った。ね、とでも言いたげな優しい笑みで、俺の顔を覗き込みながら……。

 その瞬間、電気ショックでも与えられたような衝撃が全身を駆け抜けた。

 激しく、揺さぶられるものを感じた。何か……胸の奥で、揺れ動くものがあった。心臓とは違う、別のもの。それが火がついたように熱く滾り出して……得体の知れない力で身体を突き動かしてくるようだった。

 なんなんだろう、これは? こんなのは……初めてだ。

 明らかに、違う。まりんのときとは――『幼馴染』とは違う。やっぱり、千歳ちゃんは俺の『幼馴染』じゃない。そう身をもって思い知りながらも……それでも、千歳ちゃんの傍にいたい、という気持ちがどこからともなく湧いてくる。この子を知りたい、と漠然と……強く思う――。


「って……大事な幼馴染、か」


 ハッとしてから、千歳ちゃんは無理したように笑った。


「散々振り回しちゃってごめんね、白馬くん。たった半日だったけど……白馬くんと幼馴染できて楽しかった。でも……もう無理させたくないの。これ以上、白馬くんを困らせたくないから……だから、辞めてもいい――」

「困ってない!」


 気づけば、そう大声で言い放っていた。がっしりと千歳ちゃんの両肩を掴んで。


「俺は困ってないぞ、千歳ちゃん! 困ってるように見えたなら、それは……気のせいだ!」

「え……」と千歳ちゃんは呆気にとられたように目を丸くし、「き、気のせい……?」

「そうだ、気のせいだ!」

 

 きっぱりと言うが、千歳ちゃんの表情は曇るのみ。怪訝そうに俺を見つめ、「本当に?」と唇を窄めて言う。


「また……嘘吐いてない? さっきみたいに」


 さっき……というのは、訊くまでもなく、『大好きだと言ったのは、千歳ちゃんのことだ』と咄嗟に吐いた嘘のことだろう。それはすぐに理解したのだが、それでも……答えに詰まった。『ああ、今度は嘘じゃない』と即答できなかった。

 自分でも分からないからだ。俺が今、嘘を吐いているのかどうか……。千歳ちゃんと幼馴染になって、本当に困っていなかったのかどうか……。

 正直、『契約幼馴染』というものに当惑しない人間はいないだろう、と思う。実際、昨夜は俺は寝ずに悩んだ。今朝も、つい、弾みで幼馴染宣言をしてしまったに過ぎない。荻先輩との一件が無ければ、もしかしたら、今もまだ悩んでいたかもしれない。『幼馴染』と言われれば未だに自然と頭に浮かぶのはまりんだし、千歳ちゃんとの仲をわっしょいわっしょいと囃し立てるクラスメイトのノリにも戸惑った。

 それを『困っていた』と言われたら、そうなのかもしれない。

 でも、たとえ、千歳ちゃんがニセモノの幼馴染だとしても……千歳ちゃんと一緒に居たい、という気持ちはホンモノだ――と、それだけは今、はっきりと分かったから。


「嘘じゃない」


 気を落ち着かせるように一呼吸置いて、俺ははっきりとそう嘘を吐いた。

 すると、千歳ちゃんはぽかんとしてから、「はわあ……」と頰を艶やかに染め、恍惚とした表情を浮かべた。


「じゃあ……まだ、私と幼馴染してくれるの?」

「ああ、もちろんだ!」

「じゃあ……じゃあ……」と両頬を押さえ、千歳ちゃんは何やら恥ずかしそうにうねうねと身体を捩り始め、「さっそく、やってみたい幼馴染プレイがあるんだけど……いいのかな」

「もちろ――」


 言いかけ、ん……? と違和感を覚えた。

 幼馴染……プレイ?


「お……幼馴染プレイ、とは……?」


 目をぱちくりさせながら訊ねると、千歳ちゃんは俺を上目遣いで見つめてきて、さっきまでとはまるで別人のような、なんとも芯の無い甘ったるい声で言った。


「白馬くんので……あんあんさせて欲しいの」

「は……?」


 俺の……なんて……?

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