第15話 いいんだよ① 

 あのとき、誓ったのに。

 俺はもう二度と、まりんを一人にしたりしない。まりんから目を離したりしない。幼馴染として、まりんを絶対に守り通す、と。

 それなのに――。


 ――国矢くんと会長のやり取り聞いてるときから、様子は変だったけど……さっき、更衣室で『胸が苦しい』て言い出して、今、保健室で休んでる。


 渋々……といった様子で、観念したように打ち明けてくれた真木さんの言葉が、脳裏に蘇る。

 真木さんは「でも……」と神妙な面持ちで何かを言いかけたが、続きを悠長に聞いていられるわけもなかった。

 体の中で何かが爆発でもしたように一気に全身にエネルギーが漲って、その勢いのままに駆け出していた。

 ああ、くそ――と、チャイムが鳴り響く校舎を夢中で走りながら、何度も心の中で悪態づいた。

 何が『見守る』だ。やっぱり、気づけなかったじゃないか。いつからだ? いつから、まりんにが出ていたんだ? 何が原因だ? やはり、満員電車か? それとも、新しい環境によるストレス? もし、朝、一緒に登校していたら……ずっと一緒に居たら……俺なら、異変に気付けたのに。

 一気に廊下を駆け抜け、保健室に辿り着くなり、挨拶も無しにガラリと扉を開ける。


 エチケットに構っている場合ではないのだ。

 まりんが傍にいないのだから。


 一歩、足を踏み入れると、消毒液だろう、独特な匂いがツンと鼻腔に突き刺さる。しんと静まり帰った部屋には、なんとなく陰鬱とした空気が漂って、校庭からわいわいと楽しそうな声が余所余所しく響いてくる。校舎の中で、ここだけ取り残されているような……そんな寂しさが立ち込めて、息をするのも重い。懐かしいな、と思った。小学校のときは、よく、保健室にまりんを迎えに行っていたから……この感じを、俺はよく知っている。

 部屋の中を見回すが――ちょうど、席を外しているのか――養護教諭らしき人影はない。

 三つあるベッドの内、一番窓際のベッドだけが白いカーテンに囲われ、中が見えないようにされている。

 一時限目から保健室に来る生徒も、そういないだろうしな――なんて、心の中で呟きながら、そのベッドの方へ足早に歩み寄り、


「まりん」


 閉じられたカーテンの向こうに、そう静かに呼びかける。昔みたいに……。


「へ……」と気の抜けた声が聞こえて、ごそっと布団が擦れる音がした。「は……ハク……国矢くん!?」

「開けるぞ」

「え、ちょっと、待――」


 シャッと勢いよく白いカーテンを開くと、ジャージ姿のまりんがベッドの上で上体だけ起こし、ぎょっとして俺を見ていた。まん丸の瞳は潤み、雪でも纏っているかのような、その真っ白な顔の中で目の周りだけ赤く腫れている。

 ピシャーンと脳裏に雷でも落ちたかのような衝撃が走った。


「な……泣いてたのか!」


 確信をそのまま口にすると、「きゃあ」とまりんは悲鳴を上げて、布団をぐいっと引っ張って顔を隠した。


「大丈夫か!? 泣くほど、つらいのか!? 薬は飲んだのか!?」


 まりんの傍に駆け寄り、捲し立てるように訊ねると、


「違うよ!」と布団で顔を隠したまま、まりんはムキになったように声を張り上げた。「薬とか……そういうんじゃないの!」

「『そういうんじゃない』!? じゃあ、どうしたんだ!?」 

「ど……どうもしないの!」

「どうもしないことはないだろう! 泣いてたんだろう!?」

「それは……ただ、目にゴミが入って……!」

「目にゴミ!? どこだ!? 見せてみろ! 眼球に傷でもついたら大変だ」

「ええ……なんで、そうなっ……!?」


 ガバッと無理やり布団を引き剥がす――と、「あ……」と弱々しく声を漏らすまりんの顔は真っ赤に染まり、その表情は切なげに歪んでいた。

 やっぱり、様子が変だ。

 そっと頰に手を伸ばし、顔を近づける。


「どっちの目だ?」


 長い睫毛の下、涙に濡れた瞳はキラキラと輝いて見えた。ゴミどころか穢れさえ見当たらず、まるで水晶玉のようなそれは、覗き込んでいると、そのまま吸い込まれてしまいそうで……。


「ハク……ちゃん」


 気づけば、そうぽつりと言うまりんの息遣いを、すぐそこに感じた。

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