第10話 白馬の王子

 はらり、と目の前でハンカチが落ちた。

 一時限目の体育が始まる前、ジャージに着替えて運動場へ向かう途中だった。階段にさしかかろうかと言うとき、ちょうど更衣室から出てきたジャージ姿の女子の集団が目の前に現れ、桃色のそれが廊下に落ちるのが見えた。


「あ……」と咄嗟に駆け寄って、それを拾う。「これ、落としたぞ」


 声をかけると、五、六人の集団がばっと一斉に振り返った。見覚えがある顔ばかり……だから、うちのクラスの女子だろう。

 しかし、『ありがとう、同じクラスの国矢くん』なんてことにはならず。皆、呆気にとられた様子でまじまじと俺を見上げ――まるで、熊にでも出くわしたかのよう。まさに『森のくまさん』状態。

 そりゃあ、ハクちゃんに睨みつけられて、『何の要件だ!?』なんて言われたら、誰だって逃げるよ! ――そんなまりんの言葉が脳裏に蘇る。そういえば、まりんに何度も言われたな。俺は、鬼のようだ、と。恰幅も良く、常に固い表情を浮かべ、目をギラギラとさせて歩くから、不必要に皆を怯えさせている……と。

 そんな俺がいきなり、ハンカチを手に話しかけてきたら、女子としては恐ろしいものがある、か。

 こういうときは――靴だろうがハンカチだろうが、落とし物を拾うのは――、熊ではなく王子様、と相場は決まっている。


「本庄――」


 すかさず、我が同中の『王子』に交代を……と思って、振り返ろうとしたときだった。


「きゃあ!」と、女子たちが我に返ったように声を揃えて甲高い声を上げた。


 悲鳴!? ぎょっとして、「違うぞ!」と慌てて言って、


「俺は熊でも鬼でも無く、同じクラスの――」

「王子だー!」

「そう、国矢……」


 って、いや……王子?


「噂をすればだね!」

「ヤバーい! ハンカチ拾われちゃったよ〜」

「さすが、王子、て感じ!?」


 きゃっきゃ、と顔を見合わせて声を弾ませる女子たち。その顔色は、熊に出くわして怯えるそれ……ではなく、ほくほくとして華やかに色づき、まさに舞踏会に臨む乙女のよう。

 まだ、ハンカチは本庄に渡してはいないのだが……。

 きょとんとして、ハンカチを手に立ち尽くしていると、


「それ、私のです!」と、一人の女子がぴょん、と集団から出てきて、俺の手からハンカチを取った。「ありがと、王子〜」

「あ、いや……」


 俺……か? 俺を『王子』と呼んでいるのか?


「じゃ、また校庭でね〜!」


 ふりふりと手を振り、「またね〜」と声を合わせて身を翻す女子たち。


「話しちゃった〜!」

「体育終わったら、連絡先聞いちゃおうよ」

「あ、ダメだよ、そんなことしたら!」

「そうだよ〜、大事な幼馴染が嫉妬しちゃう!」


 わいわいと何やら盛り上がって、また「きゃー」と歓声のようなものを上げて、女子たちは階段を降りていった。その背中を茫然と見送りながら、小首を傾げる。

 なん……だったんだ? なぜ、俺が『王子』……?

 

「ハンカチを拾ったから……か?」とハンカチを手渡した手を見下ろす。「だから、ハンカチ王子――と?」

「違う!」


 呆れ返った声がして、ハッとして振り返る。


「国矢はポジティブなんだか、ネガティブなんだか……悩むな。とりあえず、ハンカチ王子って、そういう意味じゃないからな?」


 お揃いのジャージを着て、囚人の如くダラダラとした足取りで階段へと向かう男子の群れの中、腰に手をあてがって佇む美少年が一人。なかなかにダサい水色のジャージが、彼が着ると実に爽やかで、夏の青空を思わせる清々しいものに変わる。すごいな、さすがだ。


「本庄は、ジャージ王子のようだな」


 力強く頷いて言うと、


「なに、それ!? って、いや……答えなくていいや」


 本庄は疲れたようにため息吐いてから、「それより」と神妙な面持ちになって歩み寄ってきた。


「まさか……全然、気づいてないのか、国矢?」

「気づいてない、て何がだ?」

「今朝の件……」俺の隣で立ち止まると、逡巡するような間を置いてから、本庄は重々しくそう口を開く。「新聞部が記事にする必要も無かった、てこと。皆、あの場で、しっかり荻先輩の『見出し』をからね。クラスの中じゃ、もうすっかり国矢は千早先輩の『白馬はくばの王子』だよ」

「は……?」


 ハクバの王子……? ああ、そういえば……確かに、荻先輩がそんなことを言っていたような――。

 ぽかんとしていると、本庄は怪訝そうに見てきて、


「HRが始まってからも、皆、コソコソ、国矢のこと話してたの、全然聞こえてなかったのか?」

「ああ……」とぼんやり相槌打って、思い返す。


 あのあと――千歳ちゃんが抱きついてきてすぐに予鈴が鳴り、新聞部は「締め切りを守ってこそー!」と掛け声のようなものをあげて去り、千歳ちゃんはしばらく名残惜しそうに「あと五分〜」と俺の胸の中でもぞもぞとしていたが、やがて担任が現れるや、ぱっと離れて「また来るね」と言い残して教室を出て行った。

 そのままHRに入ったものの、皆、興奮さめやらず、といった様子で、教室はざわめき立ち、チラチラと俺の方を見てくる視線を感じた。

 俺の話をされている自覚はあった。しかし、全く気にしていなかった。

 『生徒会長の幼馴染』となれば、それなりに注目もされるだろう――くらいにしか思わなかった。


「なるほど」と唸るように言って、腕を組む。「荻先輩のアレを聞いて、皆、『王子』なんて呼んできたのか」

「なるほど、なんて言ってる場合じゃないだろ!」


 呆れと苛立ちの混じったような声でぴしゃりと言って、本庄は射るような眼差しで見つめてきた。


「クラスの中だけの『内輪話』で済めばいい。でも……ああいう事件はSNSであっという間に広まるんだ。新聞なんて待つこともなく、な。

 HRの間も、こっそりスマホいじってる奴、いっぱいいたし……実際、クラスのグループチャットで、千早先輩が国矢に抱きついている写真も回ってきた。悪趣味だ、て声が女子から出てたし、そういうのはやめたほうがいい、て俺も一応、送っといたから、堂々と拡散されるようなことは無い……と思うけど、他クラスの同中仲間に送ってる奴は当然いるよ」

「クラスのグループチャットで……」

 

 そんなものがあるのも知らなかった――が、そんなことより、だ。


「写真なんて……いつの間に……!?」



*区切りが悪くなってしまいましたが、一話分が長くなってしまいそうなので、ここで一度切ります。

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