第8話 『守る』とは③

 ハッとして顔を上げれば、教室の入り口で、会長が立っていた。茫然として、俺を見つめて……。


「あ――」と言いかけ、俺はすぐに口ごもった。


 何を言えばいいのか、分からなくて――急に、どっと不安が押し寄せてきた。

 つい、感情のままに、堂々と幼馴染宣言をしてしまったが……良かったのだろうか? まずは会長に最終確認をし、了承を得た上で、然るべき手順に則り、幼馴染になるべきだったのでは……? 確かに、一年契約を持ちかけてきたのは会長のほうだが、一晩経って、気が変わったということだってあり得る。

 勝手に熱くなって暴走して――こういうところが、まりんに嫌われた一因だろうに。


 ――こういうの……もう厭なの。迷惑……だよ。


 昨日言われたその一言が、ぽつりと脳裏に浮かぶ。

 胸がぐっと締め付けられ、自然と顔が強張った。

 そうして黙り込んでいるうちに、会長はすたすたと教室の中に入ってきて、俺の席へ足早に向かってくる。

 その表情は堅く、切羽詰まった感じすらあって……ああ、やっぱり、まずかったんだ――と悟った。


「す……すみません、会長。勝手に――」


 目の前まで来た会長に、慌てて声を潜めてそう言った――瞬間だった。

 会長は立ち止まる……どころか、歩いてきた勢いそのままに、がばっと飛びついてきて、


「おっ……え……!?」


 あまりにいきなりで、身構える暇もなく。バランスを崩してよろめきつつも、その場になんとか踏みとどまって、俺は会長をいた。

 おお、と歓声のようなものが上がり、すぐ傍で荻先輩たちが「おお、スクープぁあああ!!」とよく分からない叫び声を上げる中、


「千歳ちゃん――て呼んで」


 俺の肩に顔を埋めながら、そう囁く声が聞こえた。


「もう一回、傍で聞かせて」


 それは、壇上から朗々と響かせていた『会長』の声とは程遠く、甘えるような声で。悪寒とは違う――何かゾクリとするものが背筋に走った。

 この感じは、なんだろう。

 ぴたりと彼女と合わさった身体が熱を帯びていく。全身の隅々まで神経が研ぎ澄まされていくような感覚があって……その全てが、彼女を求めているような――得体の知れない欲求が湧いてくる。

 心臓とは別の場所で……もっと胸の奥深くで、激しく揺れ動くものを感じていた。

 それは、幼馴染には――、感じたことのないもので。まるで、自分の身体が自分のものでなくなっていくような……そんな恐怖さえ覚えた。

 ごくりと生唾を飲み込み、ひとまず、気を落ち着かせるように息を吸い、


「ち……千歳……ちゃん?」


 熱気の坩堝となって、すっかりお祭り騒ぎで沸き立つ教室で、俺は会長に――千歳ちゃんにだけ聞こえるよう、そっとそう呼ぶ。

 すると、千歳ちゃんはふふっと笑って、


「さっきの……荻くんとの会話、聞こえてた」と、うっとりと微睡むように言った。「ありがとう、白馬くん。すごく……嬉しかった」


 ハッとして、金縛りにでもあったみたいに身体が固まった。

 ありがとう……なんて、いつぶりだろう。懐かしい、という言葉が生ぬるく思えるほどの衝撃が胸を貫いた。

 そういえば、もうずっと言われていなかった気がする。まりんから、その言葉を最後に聞いたのはいつだったのか。『ハクちゃん、ありがとう』と微笑むまりんの笑顔は、すっかり記憶の彼方で色あせて――そんなことにも、俺は気づいてもいなかった。

 思わず、千歳ちゃんの背中に置いた手にぐっと力がこもる。

 その瞬間だった。

 首筋に熱い吐息を感じて、


「これから、たくさん幼馴染しようね」


 千歳ちゃんが悪戯っぽくそう囁くのが聞こえた。

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