二章

第1話 幼馴染とは①

 例えば――の話だ。

 神様というものが存在するとして、人が産まれながらに何か宿命を負っているのだとしたら。

 彼女の宿命は『世界一の美少女』だろう、と思った。

 きっと、生まれる前、まだ魂だけだった彼女に神様が直々に『とにかく可愛く宜しく』とでも張り紙を貼って、地上に送り出したに違いない。


 ――まりんと初めて出会ったとき、俺はそんなことを思ったのだ。


 それは、五才のころ。

 マンションの部屋から外廊下へと勢いよく飛び出したとき、すぐ隣――しばらく、誰も住んでいなかったはずのその部屋から、一人の女の子が出てきた。

 シミも皺さえも無いような、きっちりとした水色のワンピースを着た、お人形みたいな女の子だった。

 年は同じくらい。ふわりと柔らかそうな長い黒髪。赤々と照らす夕焼けに、今にも溶けてしまいそうな白い肌。長く伸びたまつ毛の下で、夕陽をたっぷり溜め込んだ瞳が、トパーズのごとく幻想的に輝いていた。

 華奢で小柄なその少女は、今にも風にさらわれてしまうんじゃないか、という儚さを漂わせ、その横顔は寂しげでどこか翳のある感じがした。

 それなのに――俺に気づくや、「はじめまして」と浮かべた笑みは明るく晴れやかで、一瞬にして、辺りが光に包まれるようだった。その笑みだけで、この世の憂いが全て消え去ってしまうんじゃないか、とさえ思えた。

 公園が世界の中心で、泥だらけになることしか能のなかった俺にとって、その出会いは青天の霹靂というか。空き地を散歩していたらユニコーンにでも出くわしたかのような――分かり易く喩えるならば、そんな衝撃だった。

 当然ながら、すんなりと挨拶を返せるわけもなく、呆然と突っ立っていると、


「お名前、なに?」


 その声は、澄み渡った鈴の音のように清らかで。それだけで、体に緊張が走った。


「は……はくま」


 たどたどしくも答えると、「まりん」と彼女は自分を指差して微笑んだ。

 まりん――そんな名前があるのか、と感動すら覚えた。愛らしく神秘的で。彼女にぴったりな名前に思えて、俺は聞き慣れないその名前を何度も心の中で繰り返した。


「今日、ひっこしてきたの」とまりんは扉をちらりと見て言った。「お部屋の中、箱だらけ」

「へえ……」

「はくまくんは? そこに住んでるの?」

「うん、そう……」

「じゃあ、お隣さんだね!」


 眩いほどの笑みで言われ、かあっと顔が熱くなるのを感じた。恥ずかしくなって、「そう……だね」と俺は視線を逸らしていた。


「今からどこか行くの?」

「公園……」

「公園!?」わあっと興奮した声を上げ、ぐいっとまりんは詰め寄ってきた。「近くにあるの?」

「うん……すぐ、そこだけど……」


 おずおずと視線を戻せば、キラキラと輝く瞳が目の前にあった。その顔は嬉々として華やぎ、頰もほんのりと色づいて。

 その様が、あまりにも嬉しそうで。俺は面食らった。

 動物園とかならまだしも……公園なんてどこにでもある。物珍しいものでもないだろうに。なんで、そんなに食いついて来るんだろう、と不思議に思った。

 とりあえず……と口を開き、


「一緒に……行く?」


 ――それは、俺にとっては当然の流れだった。

 友達と公園に行くのは当たり前で。誰かが行きたそうにしていれば誘う。ごくごく自然なことだったから、考えるよりも先に、誘っていた。

 でも、まりんの表情はたちまち曇った。


「あ、えっと……」


 視線を泳がせ、急に口ごもって……そこには、明らかに躊躇いが見て取れた。

 行きたそうだったのに。俺の気のせいだったんだろうか、と思ったそのときだった。


「まりん!」


 突然、まりんの部屋の扉が開いて、甲高い声があたりに響き渡った。

 ハッとして、まりんとほぼ同時に振り返ると、


「何してるの?」と、痩せた顔を不安げに歪め、ショートヘアの女性が慌てた様子で出てきた。「勝手に出て行ったらダメでしょう。それも、そんな薄着で……。この時間帯は、体調を崩しやすいんだから気をつけないと」


 俺の母親より若そうだった。目元はまりんよりもきつい印象だが、それでも、どことなく、顔立ちはまりんと似ている気がして……すぐに分かった。まりんの母親だ、と。

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