第25話 悔恨

 卒業式のあと。まりんに絡む怪しい奴(吹部の後輩だったようだが)をいつものように追い払い、二人きりになった音楽室で。まりんに『格言』の話をされ……俺は――笑ったんだ。

 言い得て妙だな、なんて言って軽くあしらった。

 俺は別に気にならなかったから。何言われても俺は平気だから。だから、笑い飛ばしてしまった。

 でも、まりんは……ずっと気にしてた――んだよな。俺が知らなかっただけで。きっと、周りにも言わずに。一人で耐えていたんだ。


 それじゃあ……と、ふいに思って、目の前で佇む彼女を見つめた。

 それじゃあ、会長は――?


「そのあとも、スカート丈のことで生徒指導の先生とがっつりディベートしちゃたり……とか、まあ、いろいろと前科があるの。だから、今更、私が何しでかそうと、誰も驚かない。ハクマくんが気にすることは何もないよ」

 

 注ぎ込む春の陽光の中、手すりに手を添え、会長は静かに微笑んでいた。その姿は、壇上で見た彼女そのもの。凛として、気品に満ちて、揺るぎない自信を感じさせる――けど……なぜだろう、今は危うく見えた。清々しいようなその口調も、どこか投げやりに聞こえて。

 ぐっと胸に迫るものがあった。


「今朝のことで誰かに訊かれたら、ハクマくんも『黒船に巻き込まれました』とでも言っておけばいいから。あとは、私がうまく……」

「会長は……厭――じゃないスか?」


 気がつけば、無意識に……でも、はっきりとそう訊ねていた。


「え」と会長はきょとんとして、目を瞬かせた。「厭って……」


 何をしてるんだ、と自分でも思う。

 俺は会長の幼馴染じゃない。つい数時間前に人違いして出会ったばかりの、赤の他人だ。余計なお世話なのかもしれない。これもまた、『奇行』と呼ばれるものなのかもしれない。

 でも……我慢できなかった。

 焦燥感にも罪悪感にも似た、熱く滾る何かを胸の内に感じていた。それに突き動かされるように、俺はぐっと拳を握り締め、まっすぐに会長を見据えて続けた。


「『黒船』とか、『提督』とか……そういうこと言われるの、本当は厭……なんじゃないですか? 厭なのに、我慢して……一人で耐えてるんじゃないか、と思って……」


 まりんみたいに――と心の中で付け足していた。

 俺は知らなかった……んじゃない。んだ。

 いつも傍にいながら。一番、近くにいたのに。まりんが一人で苦しんでいることに気づけなかった。

 まりんは、ぷんぷん、と怒ることはあっても、何も変わった様子はなくて。悩んでいるようにも、落ち込んでいるようにも見えなかった。でも、今思えば……そう振る舞っていただけだったのかもしれない。平気なフリをして、俺に気づかれないようにしていたのかもしれない。

 ずっと言えずにいたけど、もう言う! ――顔を真っ赤にして、そう言ったまりんの声が脳裏に蘇る。

 もしかしたら……と思ってしまった。もしかしたら、会長も同じなんじゃないか、て。

 入学式で、壇上から全校生徒に向かって、『黒船』と堂々と自ら口にしたとき。俺の前で、その呼び名がつく所以を語ったとき。そして、誰かにその名で呼ばれるとき――。気丈に振る舞いながらも、本当は無理しているんじゃないか、て……そう思ったら、我慢できなくなったんだ。

 目の前で……すぐ傍で傷ついている人がいて、もう『気づけなかった』で済ましたくはない、と思った。


「厭なら……言って欲しいっス。もし、一人で苦しんでるなら、言って欲しい――と思います」


 まるで懇願するような……情けなく力無い声で、俺はそう会長に告げていた。

 その瞬間、ぶわっと会長の頬が桃色に染まり、見開かれた瞳がガラス玉のように輝いた――ように見えた。声も失くして呆然とする会長は、壇上で見た姿とも、青春について熱く語っていたそれとも違い、凛々しさも無邪気さも無く、まるで無防備で頼りなく。やがて潤みだしたその瞳から、煌めく雫が零れ落ちる様は、はらりと散る花びらでも見ているようで、儚く美しくて……つい、見惚れてしまった。

 だから、気づくのに時間がかかった。それが涙だ、という事実に。


「え……あ……!?」


 我に返ったようにハッとして、俺は目を見開いた。

 な……泣かしてしまった……!?

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