第21話 告白③

 すぐに、違う、と答えられなかったのは、あまりにも……あまりにも、会長の眼差しが切なげで、まるで縋るようだったから。今にも、そうです――って……俺がその男だ、て言ってあげたくなってしまった。

 でも……。

 俺は会長から視線を逸らし、手すりの向こうを――さっきまで会長が見つめていた先を眺める。そこには住宅街があって、その中のどこかに会長がその男の子と遊んでいた公園があるという……。

 じわりと苦々しいものが口の中に広がるようだった。顔がつい、強張る。


 やはり、ピンとこないのだ。

 この地に思い入れなんてない。俺がいつも遊んでいた公園は、うちのマンションのすぐ近く。ここから電車で二十分の距離にある。そして、俺がいつも遊んでいた女の子は――まりんだ。

 俺は『千歳ちゃん』なんて知らない。


 胸に痛みを覚えながら、ふうっと息を吐き出す。会長に視線を戻し、俺はゆっくりと首を横に振った。


「違います」


 静かに、低い声でそう言いながら。

 すると、会長は「そっか」と自嘲するように笑って、


「有り得ない……とは思ってたんだ。こんな偶然、出くわすなんて」


 そう独り言みたいに呟き、再び、手すりに肘をついて頬杖ついた。


「しかも、最後に会ってからもう七年。私だって顔も名前もろくに思い出せないくらいなのに。ちょっと見かけたくらいで気づくわけない。いきなり現れて、『俺は彼女の幼馴染だ!』なんて自信満々に言うなんて……おかしいよな、て薄々気づいてはいたんだ」

「あ……」


 今朝の失態を――見知らぬ会長の前にババーンと現れ、声高らかに『幼馴染だ』と名乗ったことを――思い出し、顔がじんわりと熱くなった。


「その節は失礼を……」


 ぴしっと背筋を伸ばし、改めて謝ろうとしたときだった。

 あれ……と違和感を覚えた。

 今、会長はなんて……? 『顔も名前もろくに思い出せない』? じゃあ、なんで俺の名前を覚えていたんだ――て、待て!?

 いや……いやいや!?

 違うだろ。おかしいだろ! 俺は会長の幼馴染じゃなかったんだから……会長の幼馴染も『ハクマくん』じゃないはずだ。まさか、『白馬』なんて業の深い名前を背負った少年が他にもうじゃうじゃいるわけでもなし。偶然、人違いで出会った奴と探し人が同じ名前なんて……それこそ、有り得ないだろ。


「あの……会長!」と俺は目を見開き、強張った声で訊ねていた。「なんで、俺の名前を知ってたんですか?」

「え?」


 振り返り、目をぱちくりさせる会長。はて、なんのことやら……といったふうだ。


「今朝、会ったとき……俺のこと、『ハクマくん』って呼んだじゃないですか。初対面だったのに、なんで名前知ってたんだろう、て不思議に思って……」


 だからこそ――と俺は、心の中で付け加える。

 会長が親しげに俺の名前を呼んだから。だからこそ、俺は信じたんだ。会長は本当に俺の幼馴染で、俺が忘れているだけなんじゃないか、て……。

 じっと見つめる先で、会長はしばらくぽかんとしてから、ぷっと吹き出した。


「知ってたもなにも……君が自分から名乗ったんでしょ。私の目の前に現れるなり、『俺は国矢白馬。――彼女の幼馴染だ!』って」

「は……」と惚けた声が漏れた。


 名乗った……? 俺が?

 そう……だったっけ? 覚えはない……が。『俺は国矢白馬。――彼女の幼馴染だ!』というセリフには大変馴染みがあった。常套句……と言えばいいのか。まりんが見知らぬ奴に絡まれていれば、いつもそうして名乗りを上げて飛び込んでいったものだ。それはある種の儀式のようで。体に染み付いた癖みたいなもんで。

 無意識に口に出てしまっていたとしても、なんらおかしくはない――と頭の中でポンと結論が出た。

 つまり……俺か。ただ、単に、俺が自己紹介を済ましていただけだったのか!?


「私を『幼馴染』って呼んでくれる人がいるとしたら……その男の子だけだから」と会長はふわりと笑み、懐かしむようで寂しげな……そんな声色で言った。「ハクマ、て名前に全然覚えはなかったけど、きっとあの子だろう、て思ったんだ。だから……つい、しちゃったの。名前を忘れちゃったこと、知られたくなくて」

「知ったか……」


 それは……思わぬ結末で。あっけない顛末だった。

 何のこともない。会長も同じだった、ということだ。

 俺が会長のことを覚えているフリをしていたように……会長も俺の――『幼馴染』の――名前を覚えているフリをしていただけ。忘れていることを知られたくなくて……。

 肩透かしでも食らった気分で。どう反応していいのかも分からず、ぽかんとしていると、


「ありがとう、ハクマくん」


 唐突にそう言って、会長はくるりと身を翻し、ニコリと微笑んだ。


「人違い……だったけど、楽しかった。ほんの数時間でも、幼馴染気分味わえて夢みたいだったよ」

「夢……みたい?」

「実は」と口許に手を押さえ、会長は子供みたいにフフッと笑う。「憧れだったんだ。幼馴染!」


 幼馴染が……憧れ?

 それは俺にはない感覚で。「はあ……」という生返事しかできなかった。そんな俺に気づいているのか気づいていないのか、会長は「私ね――」とぐっと俺に詰め寄ってきて、ぱあっと輝く瞳で見上げてきた。


「漫画、好きなの!」

「ま……漫画……!?」


 今度はなんだ!?


「うん! 日本の漫画。アニメもドラマも好き。そういうの観て、日本のこと勉強してきたから。もし、私が日本に暮らしてたら、こんな感じだったのかな〜、ていつも妄想してた。だから……みたかったの」

「なってみたいって……?」


 何に……と言うより先に、会長はチェック柄のスカートの裾を片手でつまみ――まるでお姫様が挨拶でもするように――それをひらりと持ち上げ、悪戯っぽく笑った。


「日本の『女子高生』」

「は……い?」




*全国の「白馬」さん、すみません。業の深い名前、というのは国矢白馬の意見です。私はとても良い名前だと思います!!

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