第12話 ただの同中①

 ぞわっと全身が粟立つ。本庄の顔色もがらっと変わり、「今のって……」と呟いた。

 ああ、まりんの声だ――と答える余裕もなかった。

 脊髄反射のごとく、考える前に体が動いていた。俺は六組の教室に飛び込み、


「まりん、大丈夫か!?」


 野太い声をこれでもかと張り上げた。

 廊下まで響いていた喧騒が一瞬にしてぴたりと止み、見慣れぬ顔が一斉にこちらを振り返る。その中で一つだけ、良く知った顔があった。誰も彼も、何事か、と訝しげに俺を見つめる中、一人だけ、目を見開いて驚愕した表情を浮かべている。ぽっかり開いた口からは、今にも「ハクちゃん……」とか細い声が聞こえてくるよう……。そして――その隣には、さっぱりとした黒髪短髪の男が佇んでいた。目鼻立ちがはっきりとして、彼もまた、本庄と同じくイケメンと呼ばれる部類に入るのだろう。だが、華やかな雰囲気の本庄とは違い、硬派そうな男らしい印象で、きっちりとブレザーの制服を着た姿は『誠実です』と言わんばかり。一見、困っていたまりんを助けている……ようにも見えるが。その手は、まりんの腕をしっかりと掴んでいた。


「まりん!」


 一気に全身が熱くなり、体の中を駆け巡る沸き立つ血潮をはっきりと感じた。

 一目散に、俺は彼女の元に――教室の真ん中で、どこの中学から来たかも分からん奴に捕まっているまりんのところに向かった。


「まりんに何してんだ!?」


 乱暴な足取りで詰め寄るなり、男の肩を掴んでまりんから引き離す。


「ハクちゃん……!?」と悲鳴のようなまりんの声が辺りに木霊して、教室が息を吹き返したように一気に騒がしくなった。


「何すんだよ?」とそいつは俺の手を振り払い、嫌悪感もあらわに顔をしかめて睨みつけてきた。「てか、お前、何!? 高良さんの彼氏か?」


 か……彼氏? まりんの彼氏!? お……俺が……!?

 そんなことを訊かれるのは、初めてだ。ぎょっとしてたじろぎつつ、すぐに気合を入れ直すように「違う!」と腹の底から声を張り上げる。


「俺はまりんの幼――」

「ただの同中だよ!」


 ――それは、まるで、悲痛な叫びのような。胸に突き刺さるような声だった。

 ハッとして横を見れば、まりんはきゅっと唇を引き結び、俺をじっと見つめていた。眉間に深い皺を刻み、険しい表情を浮かべて。責めるようで、どこか悔しげな眼差しで……。

 言いかけた言葉が頭からふっと消えた。

 声も仕草も小鳥のように愛らしく、ほんわかとしたそのオーラは春の日差しのように柔らかく暖かくて。たとえ怒っても、ぷうっと頰を膨らませるその様がいじらしい。――そんなまりんの……俺のよく知る幼馴染の姿は、そこにはなかった。

 幼馴染失格宣言をされた二週間前だって、こんなんじゃなかった。

 初めてだった。初めて、まりんからはっきりとした拒絶を感じた。


 なんでだ――と、ぽつりとその疑問が思い出したように湧いてくる。


 こいつに絡まれてたんじゃないのか? 悲鳴が聞こえたんだ。やめて、て言ってただろ。困ってたんじゃないのか? 助けに……来たはずなのに。なんで、そんなに――。


「こういうところだよ」まりんは暗く沈んだ表情を浮かべて視線を落とし、ざわめく教室の中、俺にだけ聞こえるような小さな声で言った。「こういうの……もう厭なの。迷惑……だよ」


 め……めいわく……? メーワク……? 迷惑……!?


「いや……まりん、迷惑って――!?」

「国矢、ごめん!」


 愕然として、まりんに詰め寄ろうとした、そのとき。がしっと背後から肩を掴まれ、本庄の声が聞こえてきた。


「俺の勘違いだったみたいだな」

「勘違い……?」


 なんだ、いきなり?

 ぎょっとして振り返ると、


「高良さんの悲鳴が廊下まで聞こえてきてさ」と清々しい笑みを浮かべて、本庄は実に爽やかにまりんに言った。「てっきり、何かあったのかと思って、俺がけしかけちゃったんだよね」

「え……」と俺とまりんの声が重なる。


 そう……だったか? いや……違う――よな? 本庄にけしかけられた覚えなんてない。俺が勝手に飛び込んできただけだ。いつものように……。

 なんでだ? なんで、本庄はそんな嘘……?

 どういうつもりだ、と視線で訴えるようにじっと見つめるが、本庄はちらりとも俺を見ようともせず、今度は隣で佇む男を見遣った。

 

「腕も掴まれてたしさ。てっきり、絡まれてるのかと思って……」


 気のせいか、急に声を低くして本庄がそう言うと、「ああ……」とそいつは思い出したような声を上げた。


「そっか。それはまぎらわしいことしちゃったな。ちょっと怖い話してただけなんだよね」

「怖い話?」

「『振り返り地蔵』って言って……この辺で有名な怪談話なんだ。すぐ近くにあるんだけどさ。夜中にその地蔵の前を通り過ぎて振り返ると、腕を掴まれて二度とそこから帰してくれない――ていう、良くある怪談話だよ。ちょっと盛り上げようと思って、腕掴んだんだけど……本気で驚かせちゃったみたいで」

「へえ……ベタなことするね」

「鉄板、て言ってくれるかな」


 何やら、イケメン二人で笑顔の押し付け合いのようなものをしているが……なんだ? なんなんだ、この雰囲気は? 何が起きているんだ? にこやかなようで、とつてもなく不穏な空気を感じるんだが。

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