第10話 彼女の名前  

「国矢って……幼馴染、二人もいたの?」

「いた……みたいだ。俺も今日知ったんだが……」

「えっ!? 今日……知ったの?」

「本庄……」改まって言って、俺は真剣な面持ちで本庄を見上げた。「俺は、もしかしたら、記憶喪失かもしれん」


 分かっている。本物の『ただの同中』である本庄に、いきなりこんな話をするなんて。重すぎる。初めまして、と爆弾を渡すようなもんだ。本庄だってそりゃあ困るだろう。すっかりぽかんとして固まってしまっている。


「落ち着いてくれ、本庄」と俺はぴしっと手を挙げる。「順を追って話そう」

「いや、俺はすごく落ち着いてはいるけど」

「まず、中学の卒業式にだな、俺はまりんの幼馴染をクビになったんだ」

「クビになったの!? って……幼馴染ってクビになるんだ?」

「そして、今朝、『ただの同中』としてまりんを後方から見守りながら登校してきたんだが……学校に着く頃には、すっかりまりんを見失ってしまったんだ。そんなとき、『美少女』が困っている、という話が聞こえてきて、まりんに違いないと思った俺は迷わず、助けに行った」

「ああ……迷わなそうだね、国矢は」

「しかしだな、本庄――」と俺はぐっと眉間に力を込め、語調を強めて言う。「その美少女はまりんじゃなくて、もう一人の幼馴染だったんだ!」

「うん……?」

「落ち着いてくれ、本庄!」

「だから……俺は落ち着いているって。パニクってるのは国矢のほう」


 はは、と春風も羨むような爽やかな笑い声を響かせ、本庄は「で?」と腕を組んで続きを促す。


「いまいち、話が読めてないけど……それで、なんで国矢が記憶喪失なんて話になるの?」

「よく聞いてくれた! そこなんだ!」

「そこから話が始まったからね?」

「俺はその彼女のことを一切、覚えてないんだ!」


 藁にもすがる思いというやつだろうか。窓から燦々と注ぎ込む朝日の中、神々しいほどの存在感を放つ本庄が、救世主のように思えてきてしまって……。俺はすがるように訴えかけていた。

 そんな俺をしばらく呆気にとられたように見下ろし、本庄は、うーん、と顎に手をやり考え込む。


「つまり……国矢の記憶に無い『見知らぬ幼馴染』が現れた、てことでいいのかな? それって、単に、その子が国矢の幼馴染じゃない――ってことじゃないの? ただの人違い……とかさ」

「何を言っているんだ、本庄!? 幼馴染だ、て彼女が言ったんだぞ!? 俺の名前だって知ってたんだ!」

「名前も?」


 え、と目を丸くし、本庄は「そっか……」と難しい表情を浮かべる。


「同中だとしたら、国矢のことは、もちろん知ってるだろうけど……国矢をだと知って、『幼馴染』だなんて嘘を吐く女子はまずいないよな。だとすると、事実……てことになるけど」


 『あの国矢』……とはどういう意味だ? ――いや、まあ、いいか。それよりも、だ。


「同中の可能性はないと思うぞ」と俺は口を挟む。「さすがに、あんな先輩が学校にいたら、本庄やまりんのように噂になっていると思う」

「先輩なんだ?」

「三年生らしい」

「俺や高良さんのように噂になる、て……つまり?」

「それは、もちろん――」


 力強く言いかけた俺の声を、


「すごい美少女だったな!」


 そんなデジャブのような言葉が遮った。

 すごい美少女って……。

 ハッとして振り返ると、俺の列の一番後ろで、ほくほくと頰を染めて話し込んでいる二人組がいた。

 

「あんな可愛い子と同じ学校なんてラッキー!」

「まさに天使、て感じだったな! あんな子に、朝から『おはよう』とか言われてみてぇ〜」

「なんとか連絡先交換できないかな?」

「あ、俺、名前は聞いたぞ」


 なに……!? 名前を……聞いた!?

 思わず、俺はガタンと大きな音を立てて立ち上がっていた。


「お前……いつのまに、あの子と話してたんだ!?」

「いや、直接、聞いたわけじゃ無ぇよ。その子の友達が、名前呼んでて、聞こえただけで……」

「なんて名前だ!?」


 ズカズカと二人の元に歩み寄り、俺は声を荒らげて訊ねていた。二人はぎょっとして振り返り、「え、なに?」「てか、誰?」とそれぞれ困惑を口にする。


「俺は、出席番号十一番。国矢だ。よろしく!」と今日からクラスメイトになった二人にひとまず挨拶をすまし、「その美少女の名前を教えてくれ! その子は、俺の幼馴染らしいんだが、俺の記憶に無くて困っている」

「は……はあ?」


 目をパチクリとさせ、顔を見合わせる二人。しばらく、何やら無言のやり取りをして、そのうちの一人がおずおずと俺に視線を戻して、ぼそっと言った。


「まりん……ちゃん」

「えっ……」


 ま……まりん……? まりんって、あのまりんか? 可憐で愛らしく、ふわふわとして……春の麗らかな陽だまりの中、花畑で寝転ぶ姿が、この世でもっとも似合いそうな美少女の――!?


「って、それは高良まりん! 俺の幼馴染だ!」

「ええ!? いや、だから……幼馴染の名前を聞いたんじゃねぇのか!?」


 なんだかもうワケが分からなくなってきて、うがあ、と心の中で叫びながら頭を抱える俺の背後で、「なるほど」と暢気なほどに落ち着いた声がした。


「思った以上に、ややこしくなってきてるね」


 のほほんとしながらも、そう言う本庄の声はどことなく楽しげだった。

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