第9話 イケメン同中

「うーん……」


 東校舎の四階の端――一年八組の札が掲げられたその教室の、窓際から二列目のど真ん中。座席表に『国矢』と書かれてあったその席にどっかり座って、俺はすぐさま頭を抱えて唸り声を上げた。

 おお、ここがこれから一年間、俺が過ごす教室か……なんて感慨に浸る余裕もなかった。

 頭の中にあるのは、突然、現れたもう一人の幼馴染のこと。ハクマくん、と実に親しげに、そして嬉しそうに俺を呼ぶ彼女の笑顔が何度も脳裏に蘇っては、そのたびに、罪悪感で胸が締め付けられるようだった。

 

 カケラも見覚えがない、なんて。懐かしい、なんて想いが微塵も湧いてこないなんて。

 こんなことがあり得るのか? 幼馴染の存在まるまるすっぽり記憶から抜け落ちてしまうなんて。

 もしかして、俺は実は記憶喪失――!?


 ハッとして、顔を上げたその瞬間だった。


「国矢くん?」


 背後から、聞き慣れない声がした。飄々とした印象のある、間延びした声だ。

 誰だろうか、と振り返れば、


「やっぱり、国矢白馬くんだ」


 ニッと微笑むそいつは、すらりとして背の高い――とはいえ、俺よりは少し低いくらいだろう――整った顔立ちの、いわゆるイケメンだった。

 さらりとなびく茶色がかった黒髪は目にかかって一見すごく邪魔そうだが、本人はこれっぽっちも気にしていないらしく、愛嬌たっぷりの笑みを浮かべている。男らしいというよりは可愛らしい印象で、体の線も細く華奢だ。煌びやかなステージの上で、キラキラと輝く汗を散らして歌って踊る――そんなアイドルみたいな姿がぱっと思い浮かぶような奴で。

 見覚えがあった。


「確か、君は……」


 必死にその名前を思い出そうとして口ごもる俺に、彼は「ハハ」と絵に描いたような眩い笑みを浮かべ、


「俺、本庄ほんじょう。本庄明生めいせい。同中だよ。話したことはないから、知らなくても当然だね」

「ああ……本庄くん!」


 そうだ、と思い出す。

 うちの中学で、まりんが失われた大陸アトランティスに隠された至高の宝石だとすれば、本庄くんは……東京の妖精?

 とにかく。『イケメンの本庄きゅん』というフレーズを、女子が口にするのをよく耳にしていた。眉目秀麗なだけでなく、頭脳明晰、スポーツ万能、そして、人当たりの良い性格で、全ての女子の『イケメンたるもの、かくあるべし』を地でいく、まさにイケメンの生きた標本のような人物……らしい。

 同じ高校だったのか。


「本庄、でいいよ」軽く笑って言って、本庄くん――いや、本庄は俺の席のすぐ横に歩み寄ってきた。「まさか、高校で同じクラスになるなんて。これから楽しみだな。ずっと話してみたかったんだよね、国矢くんと」

「俺も国矢、でいいぞ」


 戸惑いつつも言って、すぐに「なんでだ?」と訊ねる。


「ってか……なんで、俺のことを知ってるんだ?」

「国矢の同中なら、誰でも知ってるでしょ」少し呆れたように苦笑して、本庄は教室の中をぐるりと見渡した。「で――君の幼馴染は? 当然、同じ学校なんだろ? クラスは違う……みたいだけど」


 ぎくりとしてしまう。表情が強張っていくのが自分で分かった。

 黙り込んでいると、本庄は俺に視線を戻し、「ん?」と訝しげに眉を顰めた。


「顔色悪いけど……どうかした? もしかして、国矢だけ受かった――とか? ごめん、俺、知らなくて……!」

「いや、違う」


 絞り出したような声で言って、俺は再び頭を抱えて項垂れた。

 

「幼馴染は……ちゃんと、この学校にいる。――二人も」

「二人……?」

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