第3話 同中の登校②

「まりん!」


 慌てて駆け寄り、シュタッと俺はまりんの傍らで膝をついた。


「いたた……」


 地面に両手両膝をつき、呻き声を漏らすまりん。ふわりとウェーブがかった髪の合間から覗くその横顔は、苦痛に歪みつつも傷は見当たらない。とりあえず、顔から地面に突っ込んだわけではないようだ。


「立てるか? どこか痛むか?」


 そっとその腕を取り、ゆっくりと立たせてから、念入りに足元から様子を伺う。

 スカートの下からちらりと覗く左膝に擦り傷。少し血が滲んでいる。あとは……と、まりんの両手を取って、手のひらを確認すると、わずかに左の手のひらにも擦り傷があった。こちらは血は出ていない。


「大したことなさそうだな」


 ひとまずホッとして、背負っていたリュックを体の前方に持ってきて、中から巾着袋を取り出す。ティラノサウルスやらトリケラトプスやら、少年心をくすぐる恐竜のイラストがプリントされた黄色い巾着袋で、もうすっかり色褪せ、あちこち糸がほつれている。


「え、可愛い」とぼそっと真木さんが呟くのが聞こえた。ちょっと驚いた風なのは、俺のイメージと合わないからだろう。


 マッチョ……とは言わないまでも、がっしりとした体躯で、顔つきも――まりん曰く――鬼のような俺が、まさか恐竜柄の巾着袋をリュックから取り出すとは、誰も思うまい。

 もしかしたら、こんなものを高校生にもなって持ち歩いているのは恥ずかしいことなのかもしれない。でも、俺にはどうでもよかった。誰にどう思われようと、どうでもいいのだ。

 何より俺にとって大事なのは、まりんである。

 そして、この巾着袋は、まりんのために小学生のときから俺がずっと持ち続けているもので。幼馴染としての長年のから選び抜かれたアイテムを詰め込んだ最強装備――まりん専用救急セット。俺にとっては、もはや、お守りみたいなものだった。

 膝も手のひらも、傷に異物が入った様子は見られない。まずは出血している膝の傷をガーゼで止血して、その後、絆創膏だな。


「今、ガーゼと絆創膏を出すから待ってろ。どこかにベンチがあれば、そこに休んで……」


 ベンチを探して辺りを見回しつつ、巾着袋からガーゼを取り出そうとした――そのときだった。


「いい!」


 ぴしゃりと鋭く、しかし、どこか頼りなく震えた声でまりんが言った。


「いいって……?」


 巾着袋に手を突っ込んだまま、きょとんとして訊ねれば、


「いい!」とまりんは再び言って――恥ずかしいのか、怒っているのか――顔を真っ赤にして、俺を睨めつけてきた。「もう、まりんはハクちゃんの応急処置は受けないんだよ! ハクちゃんは『ただの同中』なんだから」

「ぬあ……!?」


 なんだって――!? という言葉さえ、もはや声にもならなかった。

 え……そんな……バカな。『ただの同中』は、応急処置さえできないのか? そんな非倫理的で非人道的な理が許されるのか? 何か……何かが大きく間違っている気がする! 偶然居合わせた人バイスタンダーでも応急処置はするだろう!? まさか、『ただの同中』は見知らぬ通りすがり以下だとでも言うのか?


「こんなの……痛くないもん」


 ものすごく痛そうに言いながらも、まりんはその愛らしい顔をきりっと凛々しくし、まるで今にも討ち入りにでも行かん気迫で前方の駅を睨みつけた。


「絆創膏なら、コンビニで買えばいいんだ」

「いや、まりん……コンビニって……」


 ここに……俺の手の中にガーゼも絆創膏もあるのに!?

 なんで……? なんで、そこまで――?

 古い木造家屋のような小ぢんまりとした駅舎へ、一人勇ましく歩き出すまりん。その小さな背中を見送りながら、俺は愕然として立ち尽くした。そんな俺に、「ねえ」と真木さんがそっと歩み寄ってきて、


「どうなってんの?」と呆れと同情の混じったような声色で訊いてきた。「春休みに会ったとき、『ハクちゃんとはもう幼馴染辞めたんだ』ってまりんが言ってきたけど……てっきり、冗談か何かだと思ってたんだよね。まさか、本気だったとは。――君、何しでかした?」


 何……したんだろう? 俺が聞きたいくらいだ。

 

「俺は熱すぎるから、一緒にいると苦しい……と言われ、幼馴染を失格になった」


 ぼそっと答えると、「熱すぎる?」と吐き捨てるように言って、真木さんは鼻で笑った。


「そんなの今さらじゃんね?」

「今さら……!?」ぎょっとして真木さんを見る。「ま……真木さんも、俺は熱すぎると……!?」

「君の同中は皆、そう思ってるよ」


 冗談っぽくそう言ってから、真木さんはちらりと俺の巾着袋を見やった。


「それってさ……中身は全部、絆創膏とかなわけ?」

「あ……ああ」

「まりんのため?」

「まりん専用だ」


 ずばり言うと、真木さんは苦笑交じりにため息吐いて、「国矢くんはさ」と声を低くして訊ねてきた。


「それ……重いと思ったことないの?」


 重い? この巾着袋が?

 そりゃ、絆創膏の他にも消毒液とか解熱剤とか湿布とか……いろいろ入ってはいるが、どれもこれも重いものではない。人差し指だけで充分、楽々持てる。


「重いどころか軽いくらいだぞ」


 戸惑いながらも答えると、真木さんは「うん……」と何やら含みを持たせて相槌打って、駅へと目をやる。


「でも――まりんには重いのかもしれないよ?」


 まりん? なぜ、まりん?

 確かに、まりんはほっそりとして華奢で、腕も指もか細く実にいじらしいが。さすがにこの巾着袋くらいは持てるだろう。ただ、まあ……そんなことは問題ではない。

 気を取り直すように息を吸い、俺も駅へ――きっと、もう改札を通ってホームへと向かっただろうまりんのほうへ――視線を向け、はっきりと答える。


「別に、まりんに持たせるつもりはないから大丈夫だ。そのために、俺がいる」

「あー、はいはい」

「『あー、はいはい』!?」

「とりあえず、ガーゼと絆創膏、もらっとくよ」この上なく雑に俺の言葉をあしらい、真木さんは俺に手を差し出してきた。「応急処置は私がしておくからさ。だから、国矢くん。君はちょっと大人しくしてようか」

「大人しくって……」

「しばらくはさ、番犬ならぬ忠犬として、遠くから見守ってみたら? 押してダメなら引いてみろ、とも言うじゃない?」


 憫笑のようなものを浮かべ、真木さんは慰めるように言った。


「まりんのことは放っといて、国矢くんは国矢くんで、高校生活、楽しめばいいじゃん」

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