第1話 幼馴染の告白
結局、校庭にまりんの姿は見つからず、校舎の中を探し回った。
まだちらほらと人が残る教室を一つずつ覗き込み、やがて、辿り着いた西校舎の四階。まりんが吹奏楽部で三年間過ごし、何度もフルートを吹くその姿を覗き込んだ思い出深い音楽室で、向かい合う男女の人影を見つけた。
ピアノの傍らで佇む、学ランの男とセーラー服の少女。
入り口にいる俺からは、男の顔しか見えないが……それでも、その後ろ姿だけで俺には十分だった。
――まりんだ。
「まりん!」
ガラッと勢いよく扉を開けて駆け込む。
すると、男はぎょっとし、少女は肩をびくんと震わせてからゆっくりと振り返った。
小柄で華奢で。その身に重々しい紺のセーラー服を纏った姿は、なんとも儚く慎ましく。出会った頃と変わらない真っ白な肌は、まるで雪のよう。触れただけで溶けてしまうんじゃないか、とさえ思えた。胸まである長い髪は――彼女は癖っ毛だ、と嫌がるが――ふわふわとウェーブがかって、西洋絵画の愛らしい天使を思い起こさせ、その顔立ちはあどけなさをたっぷり詰め込み、ぱっちりとした瞳は清らかに澄んで純粋無垢そのもの。もはや、その背に翼が生えていないことに違和感を覚えるほどの――圧倒的な尊さ。
音楽室に満ちる眩い光が、はたして窓から注ぎ込む陽の光なのか、まりんが放つオーラなのか。もう俺には分からない。
とにかく。
そんな彼女が、音楽室でよく分からない男と対峙しているこの状況。幼馴染たる俺が取るべき行動は一つ――。
「大丈夫か、まりん!?」
くわっと目を見開き、まりんの元に駆け寄ろうとした、そのとき。
「ひいっ!」と情けなく裏返った悲鳴が辺りに響き、「
「は……?」
確かに。俺は国矢白馬だが。
ぴたりと足を止め、改めて、そいつを――まりんの向こうで、『ムンクの叫び』の如き表情を浮かべる、ひょろりと痩せた男を睨みつける。
俺と同じ学ランを着て、校舎の中にいるのだ。卒業生か、在校生には違いない。しかし……別に見覚えはない。フルネームで呼び合うような仲になった覚えなどないのだが。
なんて……怪しいやつだ。
「なんなんだ、お前は!?」と俺は検事よろしくビシッとそいつを指差し、声を荒らげる。「まりんに何の要件だ!? この晴れの日にまりんに階段を登らせるなんて何様だ? まりんと記念撮影をしよう、と校庭で待ちかねているまりんのお友達とまりんの親御さんの身にも――」
「な……なんでもないです!」
追及する俺の言葉を遮り、そいつは新兵のように背筋を伸ばして声を張り上げ、
「高良先輩……その、お……お元気で!」
それだけ言って、「あ、待って」と美しきソプラノの如き麗らかな声をかけるまりんの声も無視して去っていく。
高良先輩――ということは、後輩か。
なんだ。別れの挨拶をしたかっただけ……か? それにしても、個別に四階まで呼び出すとは……どうなんだ? やりすぎじゃないだろうか。
どうも引っかかる。
俺の横を通り過ぎようかというとき、きっと睨みつけると、そいつは「あわわ」と情けない声を漏らして顔を伏せ、慌てて逃げるように――というか、逃げた。「本当に『番犬』来るんだ〜」とよく分からないことを呟きながら……。
「なんなんだ?」
振り返り、階段を駆け下りていくそいつの背を見送っていると、
「ハクちゃん!」
ぴしゃりと叱りつけるような鋭い声が飛んできて、ハッとして振り返る。すると、まりんがぷりぷりとした顔で、俺のほうへと歩み寄ってくるところだった。
「今の、吹部の後輩の貝塚くん! 大事な話がある、て呼び出されたの!」
「大事な話?」
「そう。大事な話!」
俺の目の前まで来て立ち止まると、まりんはいじけたように唇を尖らせ、腕を組んだ。
身長175の俺と、155のまりん。その二十センチの差を埋めようと、必死に上目遣いで睨みつけてくる様は、どんなに怒った顔をしていても、ただただ可愛らしく思えてしまう。
切れ長の鋭い目に、威圧感のあるらしい濃い顔立ち。短く切った髪は、生まれつき明るく茶色がかり、まりんを守るために鍛えた身体はがっちりと逞しく仕上がって――そんな俺は、まりん曰く、信号待ちで突っ立っているだけでも、まるで地獄の門を守る鬼の如く。ただならぬ雰囲気を醸し出し、周りに要らぬ緊張感を与えているらしい……。
可愛さの権化たるまりんとは、まるで正反対。もし、マンションの部屋が隣同士でなかったら、まりんも俺を怖がり、避けていたかもしれない。
でも、だからこそ――俺が、しっかりとまりんを守らねばいけないんだ。
「大事な話ってなんだ? あんな、逃げるように去って……怪しいことこの上ないぞ!」
「そりゃあ、ハクちゃんに睨みつけられて、『何の要件だ!?』なんて言われたら、誰だって逃げるよ!」
「そんなことはないだろう」
「そんなことあるでしょ! いっつもそうでしょ!」
ぴっと人差し指を立て、まりんは俺の鼻先に突きつけてきた。
「まりんが誰かと二人きりになると、必ず、ハクちゃんがどこからともなく現れて、皆、追い払っちゃうんだから! おかげで、『大事な話がある』って呼び出されても『大事な話』までいかないんだよ!」
そうだったのか――。
「それは悪いことをしたな」とガシガシ頭を掻きながら謝り、「これからは、静かに傍で控えることにするな」
「お控えなすっちゃダメなの!」
もう、ぷんぷん! といった勢いで、両手を握りしめて、まりんは精一杯大声を張り上げた。
「ハクちゃん、学校で何て言われてるか知ってる? 『まりんも歩けば、白馬に当たる』だよ!?」
「なんだ、それは。言い得て妙だな」
感心してハハッと笑う俺に、「もはや、奇妙だよ!」とまりんは顔を真っ赤にして、見たこともないほどの鋭い眼差しで俺を睨みつけてきた。
「ずっと言えずにいたけど、もう言う! ――ハクちゃん、熱すぎるの! まりん、ハクちゃんと一緒にいると、もう苦しいの!」
「え……?」
なんて……? 今、なんて、言ったんだ……?
「ま……まりん? 今……『ずっと言えずにいたけど、もう言う! ハクちゃん、熱すぎるの! まりん、ハクちゃんと一緒にいると、もう苦しいの!』って聞こえた気がしたんだけど……」
「一字一句合ってるよ! 恥ずかしいくらい、完コピできてるよ」
「いや、でも……だって、それじゃ……」
まるで、俺と一緒にいるのが厭みたいな――。
さすがに、それは言葉にできなくて。
しんと静まり返った音楽室で、愕然として固まる俺を、どこか哀しげに……でも、確かに覚悟が滲むまっすぐな眼差しで見つめ、まりんは神妙な面持ちで言い放った。
「ハクちゃん、幼馴染失格だよ! これからは、ハクちゃんとまりんは、ただの同中だから!」
「お……」
おな……同中!? ――という俺の悲鳴が、果たして声になったかどうかは、自分でも分からなかった。
それは、中学卒業の晴れの日。
窓の外では雲一つない青空が広がり、校庭には桜が華々しく咲き誇っていた。卒業式を終えてもなお、まだ名残惜しそうにわいわいと賑わう声が聞こえてくる中、俺はまりんの幼馴染をクビになり、『同中』に降格になったのだ。
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