第72話 手長足長
(散歩に行きたいのだが)
机に向かって絵を描いている闇屋の腕の間からぬっと大きな顔を出したは犬神である。
「はあ? 勝手に行けや」
闇屋は腕をあげて、大きな犬神の顔をうるさそうに払った。
(いくら犬の姿になろうが俺だけでは出て行けんのだ。通報される恐れがある)
確かに巨大な犬神が普通の犬の姿に扮していても、大型犬である。
あまりに大きく凶暴そうな犬はすぐに保健所に通報されるだろうし、立派で美しい毛皮の犬神を連れて帰ろうとする心根の良くない輩もいる。人間に連れ去られる犬神ではないが、抵抗をして万が一怪我をさせるのもマズイ。
「お前、道なんぞ歩かんでも空飛んで散歩してくりゃええやろ。ついでに北の海に潜って蟹でも捕ってこい」
と闇屋が言った。
(カニー、カニー)
(うまいよねー)
と本棚で遊んでいた小鬼達がやんやと拍手する。
(何を言う!! 大地を踏みしめて闊歩してこそ散歩! 空を飛ぶのもたまにはいいが、俺は草の匂いを嗅ぎ、大地の暖かさを足に感じながら歩きたいのだ!)
と犬神がえっへん! という風に綺麗なシルバーグレーの胸毛を反らして言った。
「……廣瀬!」
ぱたんぱたんと足音がして、廣瀬がやってきた。
「な、何か」
「犬の散歩に行ってこい」
「あ、はい」
と廣瀬は犬神を見た。
犬神はひょいと後ろ足で立ち腕組みをしてから、
(この場合はチェンジだな)
と言った。
「あほか! 贅沢言わんと行ってこい! 俺は忙しいんや!」
スケッチブックを投げられて、犬神はそれをひょいと避けたが、
(廣瀬には恩がある……いつもスーパーの試供品のドッグフードを貰ってきてくれる、それはありがたい。だからこそ、散歩の供には廣瀬は連れていけんのだ)
と犬神は真剣な顔でそう言った。
ふえええと赤ん坊の泣き声がして、闇屋の背中から赤ん坊を抱いた鬼子母神が現れた。
(何やの、犬神……やかましい……坊が寝られへんやないの……あにさんに無理言うたらあかんよ)
(何を言うか、あにさんの身体を思えばこそだ、たまには外に出て、日を浴び、身体を動かさんことには身体が腐ってしまう! おぬしらは知らぬのか? 犬の散歩は犬の為でなく、我が同胞が飼い主の為に行っている運動ぞ?)
(なんやの、その理屈は……)
と鬼子母神が言うと、小鬼達がごそごそと出てきて、
(この先の公園でー犬の集会があるんだよー)
(そこですっごい美形の雌犬がいるんだよねー)
(犬神はその娘と仲良くなりたいんだよー)
(廣瀬は駄目ー)
(うんうん、変な顔だもんねー)
と言って笑った。
ぷっぷと笑う小鬼に廣瀬は頭をかいた。
(ほんまかいな……可愛い雌犬の気を引きたいのんか……そりゃあ、廣瀬じゃあかんわなぁ……あんな怪しい風体で凶暴な大型犬を連れてたらそら、みーんな帰りはるわ)
と鬼子母神が笑い、暇つぶしに耳を傾けていた妖達も部屋のあちこちでくすくすと笑った。
(ち、違うのだ! 別に廣瀬が醜いからとかそういうのは関係ないのだ! ただ、あの公園は人間が犬を連れてたくさん集まるから、逆に廣瀬が嫌だと思うのではないかと思っただけだ! 雌犬は関係ないのだ!)
「そんなら公園に行かんかったらええんやろ? 日が暮れてから人気のない土手っぷちでも廣瀬と歩いてこいや」
と闇屋がやはり机に向かったままで言った。
(グ……)
犬神はしょぼんと床に伏せてしまった。
(なんならわしが?)
と名乗りを上げたのは髑髏爺であるが、なんせ、髑髏に手足が生えただけのビジュアルであるので、いくら美形の人間に上手く化けたところで、顔に手足がついているだけでむしろ気味が悪い。
(鳴宮でも来たら頼んだらどうやの? あれなら見た目も綺麗やし、社交的やからな)
(おお! そうだな!)
しゅっと犬神が腰をあげるが、
「鳴宮はインフルエンザにかかって寝込んでるでぇ。しばらく来るな、言うてある」
と闇屋が言ったので、また犬神はしゅんと床に伏せた。
「この先の公園ってあれか。スポーツ公園か?」
と闇屋が言った。
(そうなのだ……)
犬神はすっかりしょぼんとして伏せたまま答えた。
人間大好きな元犬は自分だけで気ままな散歩も楽しいが、人間とともに歩く散歩も好きだった。鎖に繋がれているのを野良猫や野良犬がせせら笑っても、窮屈なんぞと思った事もなかった。大好きな主とともにいられるだけで幸せだった。
「まあええやろ。廣瀬、こいつにあう首輪と鎖を買うてこい」
(!)
犬神がすっくと四肢で立ち上がり、太くふさふさした尾がぶんぶんと左右に振れている。
(あにさん、では散歩に行ってくれるのか!)
「お日さんにあたるんもたまにはええやろ。それに気になる事もあるしな」
と闇屋が言った。
(気になる事?)
「そうや、お前ら感じへんか? あの公園、なんかおるで」
と闇屋が言った。
(いやだ~~こわい~~)
と言ったのは小鬼で、さっさとパソコンの裏に隠れてしまった。
(あにさん、何かとは?)
「さあな、なんか変な気配がするだけや」
と闇屋はまた机に向かった。
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