第66話 颯鬼 6

「悪食はいるか?」

 と颯鬼の声がしたので、闇屋の工房にいる妖達はうろうろと辺りを見渡した。

「あ?」

 と闇屋が顔を上げた。机に向かって絵を描いていたところだった。 

 それは気味の悪い妖の柄ではなく、美しい花の絵だった。

 花は何でも合う。美しい令嬢の側で可憐に咲こうが、不気味な髑髏の側で毒々しく咲こうが美しい。 その花をいかに美しく、その柄に合うように描写出来るか、闇屋は最近それにはまっているらしく部屋中に花の絵が散乱している。

「悪食? おらん」

 と闇屋は言葉少なく答えた。

「どこにいる?」

 とまた颯鬼の声だけが部屋に響いた。

「知らん」

 闇屋はまた机の上の花の絵に向き直った。

 ペンを取り続きを描こうとした時ににゅっと花の絵の中から颯鬼が顔を出した。

(颯鬼のだんな、花を背負うて。男前は何を纏っても綺麗やぁ)

 と鬼子母神がうっとりとそう言った。

 確かに銀髪美形の鬼は絵の中にいても美しい。

 闇屋はちっと舌打ちをして、

「忙しいんや。邪魔すんな」

 と言った。

「悪食はどこだ?」

「知らん」

「知らないはずがないだろう。お前の役に立つだろうと預けたはずだ」

 闇屋はカランとペンを置いて、

「俺んとこにはあんまり霊がらみの客こんし、腹一杯喰わせてやれんから怒ってた」

 と言った。

「そうか」

「それにあいつアホやから言うこと聞かんし、よりによって俺を喰おうとしたからな」

「それで? 追い出したのか?」

 絵の中の颯鬼の姿がだんだんと大きく盛り上がってくる。

 にゅう~と顔から首、肩までが現れた。

「そこで猛省中や」

 と闇屋は壁を指さした。

 壁に四つ切り大の画用紙が貼ってある。

 だがその画用紙は真っ黒に塗りつぶしてあった。

 よくよく耳を澄ませてみれば、その辺りからすすり泣くような声が漏れ聞こえる。

「悪食を閉じ込めたのか」

「そうや、あいつ俺が寝てる時に喰おうとしたんやで? お仕置きだけですんでありがたいやろ? 今度同じ事したら、俺が悪食を喰うぞ?」

 颯鬼に向かって忌々しそうに闇屋はそう言ってまた机の方を向いた。

「やれやれ、気の短い男だな」

 颯鬼の姿が完全に空間から現れ、真っ黒な画用紙の前に立った。

 押しピンを外して画用紙を壁から外すと、颯鬼はその真っ黒な画用紙を引き裂いた。

 歓喜とも狂喜とも取れるような耳障りな悲鳴が響き辺り、工房にゆらゆらと漂っていた妖達は思わず耳を塞いだ。

 悲鳴の後、引き裂かれた画用紙から姿を現したのは悪霊喰いの悪食という妖である。

 その姿は汚い。枯れ葉やゴミが毛玉だらけの毛布に纏わり付いて、団子になった物が動いている。顔部や身体の区別は付けづらく、部屋の隅にでも寝転がっていれば本当にただのゴミの塊にしか見えない。

 そのゴミ枯れ葉の塊が悪霊を見つけたら食らいつく。

 悪霊に対してその姿はどこまでも広がり、一片たりとも逃すかと覆い尽くす。

 凄まじい食欲で人間でも動物でも妖でも悪霊でも何でも喰らうが、特に邪悪な悪霊を好むので悪霊くらいの悪食と呼ばれている。

 真っ黒な画用紙の中に塗り込められていた悪食がぶるぶると震えながら部屋の隅にごそごそと小さくなった。

「アレが珍味なのは確かだが、喰われるのはお前だ。分かったな?」

 と颯鬼が言うと、悪食はふるふると震えながらうんうん!と頭部と思わしき部分で肯いて見せた。

「聞き分けの良い子だ。褒美に悪霊をやろう。たいして腹の足しにならんだろうが、喰わんよりはましだろう。悪食を借りるぞ」

 と闇屋に言ってから颯鬼はその場から姿を消し、悪食も嬉々として颯鬼の跡を追って行った。

「何やあれ、悪霊退治か。自分こそ悪の根源の鬼のくせに」

 と闇屋が呟くと、

(颯鬼のだんなは人間好きですよねぇ。人間の為に結構いろいろしてやってますよね。今は磯女の女将のとこでトラブルとか)

 情報通の鬼子母神が赤ん坊を腕に抱いてふらっと姿を現した。

「磯女? ああ、あの魚料理屋か」

(ええ、本当に颯鬼のだんなはお優しい……)

「へえ、鬼子母神、颯鬼に惚れてんのか」

(そ、そんなんやあらしまへん)

 慌てる鬼子母神を見て、闇屋はにやっと笑った。

「そーやな。悪食を貸してくれ言うて連れて行ったんや。レンタル料を払うてもらわんとな。今夜は磯女の店で颯鬼のおごりで晩飯やな。手ぇ空いてる奴は皆、行くで」

 と闇屋が言ったので、工房の中にわっと歓喜の声が溢れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る