第60話 鬼女紅葉 9

「お、お客さんです」

 と廣瀬がオズオズとした声で闇屋に言った。

 その場には颯鬼も鳴宮もいた。青女房も鳴宮の背後に漂っている。

「客? 予定にあったか?」

「いえ、ずっと前に……一度、施術に来た……という」

「へぇ、入ってもらえ」

「はい」


 入って来て一礼した春子に、

「ああ。紅葉を刺した人やな」

 と闇屋が言った。

「その節はお世話になりました」

 と春子は菓子折を闇屋に差し出した。

「覚えてるでぇ、あんた、紅葉姐さんを背負った」

 と青女房が言い、その声に鬼子母神がふらっと出てきた。

(十年くらい前やったかねぇ)

「そうです。離婚に悩んでいた私の背中を押してくださいました」

「紅葉の毒気はきついからな、よう我慢したな」

 と闇屋が言った。

「はい、おかげで人生をやり直し出来ました。あの後、すぐにいい人と出会って結婚もしましたし、子供も授かりました」

(ほんまによかったなぁ)と青女房が言った。

「今日は何か?」

「いえ、それが、先日、街で元の夫の洋一さんと偶然会ったんです。私が子連れなのを随分と驚いてやり直したいとか言うんですよ。どうもうちの子を自分の子供じゃないかって思ってるみたいなんです。うちの子、五歳なんですよ。どう考えても違いますのに、結局、洋一さん、子供が出来なかったみたいなんです。私、いつかこんな風に落ちぶれた洋一さんを見てザマーミロって言ってやりたいって思ってたんですけど、何か悲しくなってしまいました。一度は好きで結婚しましたしね。やっぱり幸せになる事が最高の復讐かなと思いました。ありがとうございました」

 丁寧に礼をして帰っていく春子に、

「やっぱりなぁ。紅葉姐さんの技はきついなぁ」

 と青女房が言った。

「紅葉姐さんの技って何なんだ?」

 と鳴宮が青女房に聞いた。

「紅葉姐さんの技はアレや。男の気を全部吸い取ってしまうんや」

「へえ」

「へえ、やあらへんで。分かってるのか? 気を全部吸い取られたら、子供を作られへんようになるんやで」

「え?」

「気っていうのは、子種の事や。人間が紅葉姐さんと身体を重ねたら、ぜーんぶ吸い取られるんやで」

 ぞぞっと鳴宮の身体に鳥肌が立った。

 子供が欲しいとか作りたいとかの問題ではなく、人間としての機能を紅葉に壊されると思ったら恐ろしい。

「じゃ、じゃあ、洋一って男は紅葉姐さんとエッチして子種を吸い取られたのか? だから子供が持てなかったって事?」  

「そうや、恐ろしいやろ? 最高の復讐やろ? 子を持つ希望もなく、残りの人生老いていくだけやで?」

「確かに……俺も子供を欲しいとか思ってないけど……紅葉姐さんに吸い取られるのは……何か嫌だな」

(最近は子供を欲しがらない人間もいるらしいけど、あの男のような奴には効果的やったろうねぇ)

 と鬼子母神が言った。

「あんなカスみたいな男の子供なんか世の中に増やしたらあかん。子供が可哀想じゃ」

 と青女房は涼しい顔をしている。

「でも、子供が出来ないんだからやり放題だな」

 と鳴宮が少々けしからん事を言う。

「あほか、今からあんなくたびれて金もない男に寄ってくる女なんかいてるか」

 と青女房が言った。

(家に帰れば年老いた親の介護……そんな男の所に来てくれる女はいないだろうねぇ。誠実な男って言うんならともかくさ)

「誠実な男でも……不利な物件じゃろ。今時のおなごは皆、嫁に入るなんて意識はないぞえ。わしらが若い時には……」

 と青女房が言ったので、

「え? 青女房って嫁入りした事があるのかよ? 妖でも嫁入りとかすんのな」

 心底驚いた風に鳴宮が言ったので、

(青女房の名前からして……人妻やろう? そうやなぁ。昔は苦労しただろうなぁ)

 と鬼子母神が言った。

(そうや、親の決めた相手に嫁ぎ、朝から晩までこき使われて……わしらの頃は嫁なんぞ、馬や牛よりも劣る扱いやったんや……それが辛うてな……)

 そこで青女房は言葉を切った。

 人間から妖に身を落とすほどの辛い生活だったのは間違いないようだ。

 しかし千年近くは生きている紅葉よりも年上だという青女房はいったいいつの世代に生きてたんだろう、と鳴宮は首をひねった。

(辛気くさい話はやめや。そうやなぁ、わっちも颯鬼のだんなの子なら何人でも生んで増やしますけど)

 と色っぽい紅葉が闇屋の背中から顔を出して颯鬼にウインクをした。

「それ、ええな。紅葉、百人くらい颯鬼のガキを産んでやれ」

 にやにやと笑いながら闇屋が言うと、颯鬼は素早くその場から姿を消した。

(いつだってつれないんだからさぁ。颯鬼のだんなは)

 と紅葉が唇を尖らせたが、

(まあええ。あっちにはあにさんがいてるから)

 と闇屋の背中にしなだれかかった。 

「あかんで、あにさんの独り占めは」

(お前には鳴宮がおるやろう。その弱っちそうなんで我慢しときな)

「紅葉は颯鬼のだんなにずっと色目使うてこたくせに、浮気はあかんで」

(あっちは強い男が好きなんえ。そやから颯鬼のだんなもあにさんの事も好いとんのや)

「これやから、節操のない鬼婆は」

(はあ? 婆に婆と言われとうないわ。お前こそのいつの生まれかえ)

「生まれは関係ないやろ! 女は器量や……」

(女は子を産んでこそやから……)

 といつの間にか鬼子母神が闇屋の隣に座って、お酌をしている。

(油断も隙もない、子持ち婆。あにさん、そんな年増よりあっちの方が可愛いでぇ)

(あにさん……やっぱり女は見た目が可愛い方が)

(このしわがれ声の婆が何言うてんのや。そんなばあさんみたいなしわがれ声で閨に誘われても萎えるわぁ)

(はあ? 何つったんや、今?)


 闇屋が立ち上がった。

「うるさい女は嫌いや」

 と言って、部屋から出て行った。

「あーあ、あにさんを怒らせた、紅葉姐さんのせいやで」

(あんたの方が年上やろうが、青女房。ちょっと、鬼子母神、このガキどっかやってって、あっちは子供が嫌いなんや)

(こんな可愛い赤ん坊にようそんな……)


 どうも女達の口喧嘩は終わりそうにない。

 鳴宮は諦めて自分もグラスに酒を注いだ。

 その横で犬神や髑髏爺も並んで酒を飲んでいる。

 足下では小鬼や餓鬼達がぽりぽりと菓子をと囓っている。

 誰も口を出さないのは、すでに巻き添えになるのが嫌だからだろう。

「女ってのは人間でも妖でも騒がしいもんだな」

 と鳴宮が呟き、

「うんうん」

「分かるー」

「まいっちゃうよね」

 と小鬼達が言ったので、残りの男達が苦笑して、グラスをちんと合わせた。

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