第55話 鬼女紅葉 4

 吉永春子は悩んでいた。

 夫が出て行った家で夫の家族に囲まれててひとりぼっちだった。

 義両親は何でも春子を悪者にする。ちゃんと調べたわけでもないのに、不妊の原因も春子、夫の洋一が浮気するのも妻としての心得がなってないからだ。義両親を敬わない。家事もおざなりで、パートに出るくらいの能力しかない。隣の嫁さんは正社員で働いているのに。子供も持てない洋一が可哀想だ。昔なら三年で嫁が自ら身を引くべきだ。

 そんな悪口を堂々と春子の前で正論のように言い放ち、浮気相手の元から戻らない洋一を可哀想だと言う。

 春子にしてももう洋一に何の未練もないのは確かだ。

 だが自分が出て行った後に、若い女を連れて来て新しい家庭を築くのが許せなかった。

 春子のせいかどうかもはっきりしていない不妊をかざし、無一文で放り出すつもりはありありと見える。それがどうにも許せなくて、春子は居座っていた。

 結婚して六年だ。それなりに夫にも義両親にも尽くしてきたつもりだ。

 新婚から同居して、この家の家事も義両親の世話も、パートにも出ている。

 近所付き合いもきちんとしてきた。

 春子は二十九才になってしまった。

 今ならまだまだいけるとも思うし、もう遅いとも思う。

「意地をはってないで、さっさと離婚しなよ」

 と言ってくれる友達もいる。

 時間を無駄にしているのも分かる。

 だけど、どうしても許せない。

 そんな事をぼーっと考えているうちに、義母に呼ばれた。

「お昼はまだなの? 草むしりはしたの? 明日から娘夫婦が三日ほど戻ってくるから掃除して、布団の用意ね。夜はみんなでお寿司でも食べに行くから用意しなくてもいいわ」

 と言いつけられた。

 寿司を食べに行くみんなの中に春子は入っていない。

 いつもの事だし春子も一緒に行きたくもない。

 家で残り物でも自由に食べるほうがよほど美味しいしほっと出来る。

 

 春子が決断出来ない理由は、六年間狭い世界で暮らしてきてしまったからだ。

 夫とその家族と近所、近くのスーパーでのパートタイム。

 自転車で回れる距離だけが春子の生活圏だった。

 そこへ閉じこもってしまった春子は自分だけが追い出されるのに躊躇していた。

 追い出されるのではなく、自分が捨てて脱出するという方向に考えればよかったのだ。

 何を捨てても自由を、人間の尊厳を選ぼうとすれば簡単な話だ。

 だがそれを選ぶには小さいな世界で凝り固まった憎しみが邪魔をする。

 自分が出て行った後にあいつらが幸せになるのが許せない。

 夫が新しい妻を迎えても幸せになるかどうかは分からないのに、春子はただただ自分だけが追い出されるのが嫌だった。

 

 昼食の用意をして、庭の草むしりをして、客用の布団を干して、客室を掃除して、夕食を用意する。風呂は一番最後にはいり、春子が出る頃には義両親は文句を言いながら春子の作った料理を食べ終わる。一人で夕食を済ませ、食器を片づけて、一人でひっそりと春子は眠る。洋一が愛人宅へ出て行ってから、ずっとそんな生活だった。

 ひっそりと泣いてしまう時もあるがだんだん脳が麻痺でもしてるのか、それも少なくなっていく。

(哀れな女やろ? 紅葉姐さん)

(同情の余地もないな、こんな女。家畜みたいに繋がれてるわけでもなし、嫌なら自分の足で出て行けばよいだけ)

(まあ、そう言わんと……男が悪いのははっきりしてるなぁ……このおなごはんも、目が覚めたらええんやないの? きつい毒でも身体に入れたら目が覚めるぇ?)

(紅葉姐さんの毒はきついからのぉ。ほら、ばっちり頭も冴えよるやろ)

 青女房がヒッヒッヒっと笑った。

 紅葉と鬼子母神は顔を見合わせてにやりと笑った。

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