第53話 鬼女紅葉 2

 その紅葉はもう何年も闇屋の肌で眠っている。

 妖は眠りを必要としないが、眠ろうと思えば十年でも百年でも眠っていられる。

 人間の世界に興味のある鬼子母神や小鬼達などとは違い、紅葉はもう人間になど興味がなかった。強い妖力を保った闇屋の肌は居心地が良かったし、そこでうつらうつらしながら柄達が世間話をするのをぼんやりと聞いているだけでよかった。

 その紅葉が目覚めたのは気まぐれだった。

 ただ眠ることに飽きたからだ。

(ふぁ~~~~~~~~~~)

 大きくのびをしてから、紅葉はふらりと闇屋の背中から外に出た。

 途端に慌てるのはのんびりと外でうろうろしていた柄達だ。

「きゃー。鬼女が出た!」

「隠れろ」

「喰われるー」

 と小鬼達は右往左往して逃げ惑うし、紅葉によくいじめられていた髑髏爺などもぽーんぽーんとボールの様に飛んで逃げて行った。

(何だね、小物どもがうるさいね)

 紅葉はしどけなく纏った着物を引きずりながら、床に降り立つ。

「久しぶりだな、紅葉」

 と颯鬼が言った。

(颯鬼のだんな……相変わらずいい男だ。あにさん……小物どもがうるさくて眠れないからさぁ。ちっとは躾けておくれよ)

 紅葉はあーあと大きなあくびをした。

「目覚ましに働くか?」

 と闇屋が言うと、

(嫌だね、あっちはあにさんの背中でのんびりするのが一番さ。人間界なんぞ面白くもない)

 と紅葉は答えてソファの上にどすんとあぐらをかいた。

(颯鬼のだんなも久しぶりだ。酒でもどうだぇ)

「安物酒しかないが、紅葉姐さんの口に合うかな?」

 と颯鬼が言い、紅葉が艶やかに笑った。

「安物で悪かったな。ふらっとやって来ては人んちの酒を飲み干すくせに偉そうに言うなや。誰か廣瀬に酒持って来いって言うてこい」

 と闇屋が言うと、ご相伴にあずかりたい髑髏爺がぽんぽんと跳ねて出て行った。

 しばらくして廣瀬が足を引きずりながらワゴンを押してやってきた。

 身体が不自由な廣瀬では酒やグラスを運ぶのも難しい。

 ワゴンの上にはビールやら日本酒やらの酒類と、スルメやらスナック菓子からのつまみが乗っていた。

(あれ、相変わらず美味そうな男だね)

 と紅葉が廣瀬を見てからそう言った。

 廣瀬は少しびくびくしながら紅葉に頭を下げた。

(人間の喰うつまみより、あの男を舐め回したほうがはるかに美味そうだ)

 と紅葉が言うので、

「趣味わりぃな、お前」

 と闇屋が言った。

「気持ちは分かるぞ。見た目なんぞ人間だけの感情だ。人間の血肉に極上の邪気となればフルコースだ。廣瀬を外に出さない方がいい。すぐに喰われてあっという間に骨も残らん」

 と颯鬼も言った。

 廣瀬は素晴らしく醜い男だ。

 足も指も身体も浮腫んで曲がり、顔は腫れ上がり疣蛙のようだ。

 そんな廣瀬を見る度に紅葉は本当に頭から囓りたそうにする。

(不浄の壺の毒気がまだまだたっぷり残ってるよ、ああ、美味そうな人間だ)

 紅葉が真っ赤な唇を肉厚で赤い舌がべろんと舐めたので、廣瀬は慌てて部屋を出て行った。

「廣瀬にはまだまだ働いてもらわなあかんのや。あんなにええサンプルは二度と出来ん。あいつは素晴らしい失敗作品やからな」 

 と闇屋が言った。

(つまらん)

 紅葉はそう言うと、廣瀬が持ってきた酒に手を伸ばした。

(だんなぁ、どうぞ)

 と紅葉が颯鬼に酒瓶を差し出した。

(わしらもええでっか)

(美味そうだ)

 と次々と柄達が顔を出す。

(きゃっきゃ)

 と甲高い声がして巨大な赤ん坊が床をはいはいしながら紅葉の足下へやってきた。

 紅葉の真っ赤な着物に手を伸ばす。

(やめとくれ)

 紅葉は素足の先で赤ん坊の尻を軽く蹴った。

(赤ん坊に何てことをするんだぇ)

 鬼子母神が瞬時に現れて紅葉に文句を言った。

(ガキは嫌いなんだ)

 鬼子母神は赤ん坊を抱き上げ、

(冷たい鬼婆だね)

 と言った。

 ぱしっと赤い火花が走った。

(なんつった? 今) 

(雌の鬼に鬼婆と言って何が悪いかぇ?)

(婆はお前だろうが。大年増!)

(はあ? 喧嘩を売っているのかぇ?)

(だったらどうするんだい)

 鬼女紅葉と鬼子母神の間で赤や青の火花が飛び散り、飛んで来たその火に当たって(熱いがな……)と被害を被る者がいる。

「お前らいい加減に」

 と闇屋が言ったところで、

「ちわっす」

 と鳴宮が青女房を伴って入ってきた。

「あれまあ、紅葉姐さんではないか。目が覚めたんじゃな」

 と青女房が言った。

(青女房か、お前に姐さんと言われる筋合いはないね。わっちより年上だろうが)

 と紅葉は青女房に八つ当たりだが、青女房は着物の袂で口の辺りを覆って、

「どれだけ生きたかは関係なかろう。女は見た目じゃ」

 と言った。

 川蝉色の着物に蒲公英色の帯、豊かな黒髪、桃色の頬、赤い唇、確かに三人の中では一番若く可愛らしい姿をしている。

(むかつく婆さんだ)

 紅葉は忌々しそうにけっと言い、鬼子母神も、

(あにさんが若く彫り直してくれなんだら、お前なんぞしわしわの疣だらけの汚い婆さんだったくせに)

 と腹立たしそうに言った。

(あにさんの仕事に文句があると言うんじゃな?)

 と今度は青女房と鬼子母神の火花が散った。

 鳴宮は黙って見ているだけしか出来ない。

 女の喧嘩に口を挟むと矛先が自分に来るのは知っている。

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