第52話 鬼女紅葉
闇屋の背中には二人の毒婦が棲み着いている。
一人は赤ん坊を抱いた鬼子母神、子供を粗末にする奴は許さない。
もう一人は鬼女紅葉、その姿は色彩の派手な着物に素晴らしく美しい容姿、真っ赤な頭髪から真っ赤な角が二本見える。
紅葉は鬼族の女で、すばらしく美しく妖力の強い雌鬼だ。
本来ならばこうして闇屋の背中で出番を待つなどという惨めな事をしなくてもよいほどの実力者だった。
闇屋の肌に棲む柄達には実体がない。
だから闇屋の肌に刻み込まれていなければ存在は魂だけの不安定な物だった。
鬼子母神も犬神も髑髏爺も疫病神も、彼らは実体のない妖だった。
実体が無ければ魂はそのうち消滅して消え去る。
妖は人間とは違い、輪廻転生の輪から外れた存在だ。
消滅は絶対的な死を意味する。
だからこそ人間にはない不思議な力が妖力として備わっている。
変化、再生などおよそ人間には不可能な事をやってのける。
実体のない妖達は日々、我が身の消滅を怯えている。
何故、彼らが実体を失ったのかはそれぞれの柄によって理由が違う。
他の強力な妖に実体を喰われかろうじて魂の一部だけが残った者。
自ら消滅を願い、魂だけになって彷徨っていた者。
それぞれに様々な理由があるが、それらの哀れな魂達を拾い集め自らの妖力で養っているのが闇屋だ。
鬼族は好色である。
同種族はもちろん、他種族の妖、さらに人間との交配も可能な鬼族は性に関しては奔放である。さらに鬼族の血が入った者は格段に妖力が高い事から混血を望む妖がその身を差し出す。強い子供は繁栄し、一族を守れるからだ。
万が一、それの途中に鬼の気が変わって喰われるかもしれないというリスクを抱えても鬼族との交配を望む妖は多い。
紅葉は素晴らしく美しく、そして強い鬼女だった。
妖力の高さやその荒い気性から雌鬼の長に立つほどの鬼だった。
弱い鬼は守り、小鬼や雌鬼には優しい。雄の鬼にも人気があった。
そのまま全ての鬼族の長の強い子供を産み増やし、鬼族を繁栄させると誰もがそう想っていた。
紅葉がその美しい実体を失ったのは、人間の男のせいだった。
人間には人間の時間の流れで魑魅魍魎との戦いの歴史がある。
陰陽師と名乗る人間が魑魅魍魎達と戦い、その地位が政治にまで影響していたのは人間界ではつい最近だ。飛鳥時代に設置されてた陰陽寮という組織が排除されたのは明治時代であるからかなりな歴史と実績を持つ。
妖と陰陽師の戦いは長くそして暗澹たる様だった。
その中で人間である敵と思いを通わせる妖がいたことも少なくない。
妖の中には知能が高く、感情を持ち、そして自分以外の何者かを愛するようになる者もいるからだ。
高学歴、高収入、高身長など問題ではない妖の方が愛に関しては人間よりも純粋であった。条件はただ愛し愛される事だけだったのだから。
妖は人間でも他種族でも愛し合う事に問題はなかった。
問題があるのは人間だけだ。
人間と、人間でない者は人間の中では大きな事だ。
人間は人間世界でしか生きられないの生物だから。
そして人間は自分以外の者を傷つける事に鈍感だ。
それでも紅葉の愛した男は紅葉には誠実だった。
陰陽師という立場を捨てても、紅葉を愛したいと彼女を庇った。
紅葉はまだ幸せな方だろう。紅葉に対する人間の男の愛は本物だった。
むしろ人間同士の愛に傷ついて怨霊と化す哀れな女も歴史の中には多数いたからだ。
手に手を取って逃げる途中、男を庇って何重ものきつい護符に縛られた紅葉の身体は消滅した。紅葉は強かったが、人間の男を庇いながらの戦いは不利だった。そして敵である人間も長い妖との戦いで強力な護符を開発し、その高い霊能力を鍛錬し妖との戦いに備えてきた。
紅葉は人間の男を庇ってその実体を失ったが、誰もが紅葉を哀れんだ。
人間は生まれ変わるのだから、長い長い寿命を持つ鬼の紅葉はそれを待つべきだった。
それでも紅葉は後悔する事なく、男の死に殉じた。
ほんの少しわずかに残った紅葉の魂の切れ端は長い間、人間界や妖の世界を彷徨った。
彼女を哀れと思う同族は、紅葉の魂の欠片でも喰らってやろうとする心ない妖から彼女を守ってやったりもした。
そして長い長い、気の遠くなるような時が流れ、切れ端だった紅葉の魂は蘇った。
鬼女紅葉だからこそ出来た事だ。実体を持たない妖は例え魂が残ろうともすぐに弱って消滅してしまう。紅葉の心優しい同族達は彼女を見守り、彼女が復活するまで世話を焼いた。それほど紅葉は同族に慕われていた。
人間には知らずと鬼族と情を交わした人間が少なくない。
人間界には様々な妖が人間の振りをして紛れ込んで生きているからだ。
金さえあれば人間界で生きる方が簡単だ。
人間に化ける技さえ完璧ならば食料も雨風をしのぐ宿も衣服も簡単に手に入るからだ。
そして人間と交配し、それと知らず妖の子を産み落とす人間の女、あるいは、人間の子を産み落とす雌の妖が大勢いるのだ。
紅葉の幸運は闇屋の生まれる時代まで魂のままでも生き延びる事が出来た事だ。
闇屋は紅葉の同族である鬼との半妖で、そして素晴らしく妖力が高い。
闇屋は紅葉の魂など興味なく、それを喰らおうという気はさらさらなかった。
紅葉の魂を自分の肌に休ませた所で闇屋は何の支障もなかった。
紅葉が男と死に別れて千年に近い時が流れていたが、ようやく安心して眠れる場所を見つけたのだった。
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